「応援」や「話題」が物を売った時代が終わり、本物を目指す時代へ
皆さんは「これは本物だ!」というモノに出会ったことはありますか?
しかも誰か有識人が紹介していたモノや美術館など本物の存在が証明されたような場所にあるモノではなく、例えばSNSやnoteのような大衆によって支えられるような場所の中から自分の目で見つけた本物はありますか?
※今回は"本物とは何か"という問いは置いておきます。皆さまの中にある本物の定義でお読みください
僕は基本的にはSNSで本物を発見することは難しいことだと思っています。それを証明するように、SNSが発展してからインフルエンサー事業が黄金期を迎え、最近では"何を言うかよりも誰が言うか"という言葉が言われるようになりました。
僕自身この言葉を始めて耳にした時、SNSユーザーの多くが信頼を他人に依存し、発見する喜びや自分で思考することを放棄し、評価を他人に依存する世界へ突入していくと予測するようになりました。
この変化の本質は、評価されるモノが本物かどうかということよりも、資本が強い、例えば企業などが売りたいと思っている商品やインフルエンサーが話題にしたいと思ったモノが世の中に溢れ出し、それが「価値」と認識されるということだと思います。本物よりも"より大きな声が集まった物"に価値があるとされ始めたのです。まさにインターネットやSNSは世界の価値観を変えてきました。
さらにクラウドファンディングの登場によって、応援したくなるようなコンテンツに人が集まるようになりました。正直に言えば、それが本物でなくても"集め方"が正しければ人が集まるようになったのです。
でも...しかし...
そんな世界がいつまでも続くでしょうか。これは個人的な見解ですし、感覚的な未来予測なのですが、影響力(インフルエンサーなど)という価値がどんどん低くなっていると感じてきました。そしてその変化はさらに加速すると感じています。
理由は幾つかあります。過去に書いた以下の記事も一つの要因だと思います。
僕のようなもともとSNSに全く力を入れていなかった人間が、今ではnoteで20000フォロワーを得ること自体に違和感を感じてきました。インフルエンサーとまでは言いませんが、数字から“影響力”を持っているように見える人が増え、その数が増えるということはつまり、“影響力”の価値が飽和状態になるのは確かだと思います。
さらにインフルエンサーへの信頼度も変わるはずです。有名であればあるほど、企業案件などの大きな資本からの影響を強く受けるはずなので、一般ユーザーはその価値が本物なのかどうかを独自で見極め始めていると感じています。
「それって本当?」
「企業案件だよね?」
といったような自然な疑問心を心のどこかに持ち、情報へフィルターをかけ始めているように思います。その証拠にnoteの世界でも、もともと有名だった人ではなく、有名性のない人が発信する嘘のない偏愛などに話題や信用性が集まっていました。
そんな状況になりつつある現代において、物を伝える、売る、ために本当に必要なことは何でしょうか。
前回の定期購読マガジン記事でこのような内容を書きました。
ただ物が売れればいいというマインドで、ものづくりや販売戦略を練るのではなく、なるべくエンドユーザーひとりひとりに寄り添うことが、結果的には多くの人に寄り添うことに繋がり、その商品自体がその人たちにとっての“居場所”のような存在になり、深く伝わっていくという内容です。
影響力のある人の言葉の価値が下がりつつあると予測するこれからの時代。影響力に頼るのではない手法で、どのように物が人に伝わっていくのか、クレイジータンクが開発した#おうちで手づくりクラフトビール「ヒール専用コーヒー豆」をひとつの事例として考えてみたいと思います。
本物を知っている人の目は厳しい、がしかし・・・
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