恩師・体育の山田先生-こんな形だけど感謝を言いたい-
僕は夏が大嫌いでした。
いきなりすみません。
でもこの気持ちには理由があって、僕は高校生以来、プライベートで半袖を来て外を出歩いたことがほとんどありません。
その理由は「アトピー性皮膚炎」、そしてアトピー性皮膚炎が治ったら次は軽度の太陽アレルギー。
太陽アレルギーというのは、簡単に説明すると日の光に当たりすぎると僕の場合水ぶくれができたり、少し体がむくんだりします。
でも今年の夏は日本の歴史に残るような暑さ...。
対策として、薄手の長袖シャツを着て、腕まくりをする。腕が痛くなってきたらすぐに腕まくりをやめる。そんな日々を過ごしています。
半袖を着なくなって20年くらい経つので、もう慣れたものですが、僕には夏に忘れられない言葉があります。
その言葉を言ってくださったのは、数年前に亡くなられた高校時代の恩師・体育の山田先生。
僕は中学と高校1年生の時にアトピー性皮膚炎がひどくなり、足にはガーゼを巻いたり、スパッツのようなものを履いてその上から制服のズボンを履いて学校に行っていました。
信じられないかもしれませんが、体育がある日はその間に体育のジャージを履くという三重ズボン。そのまま1日を過ごしていました。
みんなの前で着替えるのが嫌だったのです。
体育の授業は長ズボンの指定ジャージを履かせてもらい、暑い中1人長ズボンを履いて体育の授業を受けていました。
暑いのってそれはもう大変でした。
10代の多感な時期でもありましたし、本当に辛かったのを覚えています。
そんな高校時代のある寒い寒い冬の話。
保育園からずっと同じ幼馴染が体育の山田先生に
「竹鼻みたいに長ズボンを履いて体育の授業(剣道)を受けたい!」
とみんなの前で伝えました。
僕が通っていた高校の剣道の授業は男子だけで行われていたので、女子がいない分それほど恥ずかしい気持ちにはなりませんでしたが、その言葉を聞いた時はやはりかなり引け目を感じました。じわっと冷や汗をかいたのも覚えています。
その時、体育の山田先生が僕の一生の宝物となる言葉をくれました。
「良いよ!竹鼻と一緒やな!じゃあ真夏も一緒やな!」
体育の山田先生は僕の苦しみを知っていたのです。
ずっとずっと僕の中にある優しい言葉。
その後、ジャージを履きたいと言う者は誰もいませんでした。
お亡くなりになられたということは友人からのFacebookのメッセージで知りました。
いつか、絶対に感謝の気持ちを伝えたいと思っていましたが、叶うことなく時を過ごしてしまいました。
夏が来るたびに体育の山田先生のことを思い出します。
先生、本当にありがとうございました。
先生のおかげで少し夏が好きになりました。
竹鼻良文