プロフィール

収入が減っても分野を超えたチームで仕事をする価値


僕がフリーランスになったのは(個人では28歳の時)25歳の時。約10年前。

すぐに正社員で働いていた友人たちに声をかけて(この年齢でフリーランスはいなかったですし、まだフリーランス最高の時代でもなかったので)、まちづくりの団体を立ち上げて活動を始めました。

財団から援助をもらうべく、財団と繋がりのある人のところへ行って話を聞いてもらったり、これからは地方だ!伝統文化だ!と思って日本六古窯でもある滋賀県の信楽町に飛び込んで行ったり、チームとして活動を約3年間続けました。

その間にも個人で大手のインテリアの会社と一緒に仕事をさせてもらったり、大手お菓子メーカーのデザイン案件を受けさせてもらったり、陶器のデザインやマーケティング、ブランディングに関わったり、宮大工しかいない工務店さんと一緒に仕事をさせていただくなど、個人としても活動の幅を広げていました。手前味噌ながら20代半ばにしてはなかなか頑張っていたのではないかと思います。

コンペでも賞を取るようになり、少し自信もついていたと思います。


でも28歳になった時、このままでは仕事には満足だけど自分に満足できない(ブランド価値の必要性)と感じたこととメンバーも次のステージに進んでいたので、団体から完全に個人にシフトし、アーティスト生活を3年間続けました。

急激な方向転換で家族も驚いたと思いますが、すぐに受け入れてくれて、支えてくれました。

でも自分の中で納得できる代表作が生まれ、この時期がなければ今の自分はないと言い切れます。


31歳を超えて、アーティストからまたフリーランスに戻る時が来ました。でも簡単に戻れるわけもなく、どうしようと考えている時に、まずは社会に近いコンペや展覧会に参加しようと思い、建築家の登竜門と言われるUnder 35 Architects exhibitionに応募し選出していただいたり、LEXUS DESIGN AWARDで賞をいただくことで、アーティストだった自分を社会に戻す時期がありました。

そのおかげでまた色々なお仕事の声をかけてもらえるようになり、社会と接点が持てるまでになりました。


でもふと、独立してから今までのことを振り返ってみると、太文字の時期以外は本当に多くの「家族以外の人」に支えられて生きてきたと思います。

しかも支えられただけではなく、あえてチームで仕事をしてきたことによって、多くの他分野と繋がることができましたし、その知識や経験を得ることができました。


初めに飛び込んだ陶芸の産地で得た「移動可能な陶芸窯」とそのディレクションは僕の代表作ですし、世界でも高い評価を得ています。ここで一緒に仕事をしてくださったのが信楽焼の文五郎窯さん。今や陶器を購入するのに半年待ちの作品も多数あるという超人気陶芸家の方々です。出会った当時(9年前)はお互いが無名で、この9年で名を挙げた陶芸の窯元です。


宮大工を抱える工務店さんは僕の建築の基礎を作ってくれました。


そして最近では、ある病院のエントランスにアーティストやカメラマン、ダンサーさんと一緒に「原風景」を作る仕事をしました。

ダンサーが踊る映像と共にアーティストがドローイングを施していきます。

建ってしまうと「機能的価値」しか残らない建築物に「美的価値」や「資産的価値」を残しながら、利用者に愛される場所を作りました。

この作品の詳細についてはいつか記事にします。


僕はアーティスト時代を経験した時「1人」の強さと弱さを学びました。そしてフリーランスに戻った時「収入が減っても良いから色々な分野の人と一緒に仕事をしよう」と決めました。

ここで勘違いしてはいけないのは「収入が減っても良い」というのは、収入が少なくても良いから、面白い仕事をし続けるという意味ではありません。


病院のエントランスのお仕事が良い例ですが、お仕事の依頼を受けた時にクライアントからいただいた要望は「エントランスのデザインをしてください」だけでした。

そしてディレクションの費用も決まっていました。

だから僕1人でデザインをすればすべての費用を収入にすることも可能でした。でも、あえてアーティストやダンサー、カメラマンに声をかけることで、経費はかかりますが学べることは多いと思い、お声かけをさせていただきました。

結果、やはり深い仕事になり、クライアントや取りまとめをやってくださっている方々から「次もお願いします」とお話をいただくことになりました。

そして僕自身も新しいことに挑戦できましたし、学びがとても多く、1人でデザインするよりも格段に「良い仕事」「良い時間」「良い学び」となりました。


この考え方は仕事だけではありません。

例えばnoteを書く上でも、1人で書き続けるよりもできればみんなで書きたい。1人で楽しむよりもみんなで楽しみたい。

以前、こんな投げかけもしてみました...うまくはいってませんが(苦笑)


でも共同運営マガジンは本当に楽しい居場所になっています。


なるべく多くの人を、その人たちの利益になるように考えながら巻き込んでいく。

自分個人の価値や収入が減っても良いから、なるべく人と共有する。

僕はこれからの時代にとても大切な価値観だと自負しています。


でも勇気がない!!お金がない!!という方。

1万円のお仕事をもらったら、勇気を出して2000円を誰かの価値に変える、くらいのことでもいいと思います。もしかするとツイッターで誰かを褒めてみることもそうかもしれません。本当に小さなことでも良いと思います。

そして昨日の記事を読んでみてください。


みんなで力を合わせる。


僕はそんなデザイナーになっていきたいと考えています。


竹鼻良文/TAKEHANAKE代表

TAKEHANAKE design studio HP

TAKEHANAKE BRAND


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竹鼻良文 /合同会社クレイジータンク
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