コーヒーとホットドッグとイケメンについて
「そこのカフェのホットドッグがおいしいんだよ」
友人がおすすめのカフェを教えてくれた。ホットドッグがおいしいカフェって変じゃないか。パン屋かな。
時間もお金も(何だったら心の余裕だって)ある僕たちは、早速そのカフェに行ってみることにしたのでした。
妻と散歩がてら出かけた昼下がり。
幡ヶ谷駅から歩くこと数分、そのお店に到着。
パドラーズコーヒー 西原本店
友人がおすすめするだけあって、とてもおいしかった。思い返してみると、これまでホットドッグなんて数えるほどしか食べたことがない。そう考えると、人生で一番おいしいホットドッグだったといっても過言ではない。
写真でも伝わると思うけれど、まあソーセージが大きい。名のあるソーセージだったけれど、忘れてしまった。肉汁たっぷりだ。
でもそれよりもおいしいと思ったのは、パンだ。ソーセージを挟んでいるだけが仕事かと思いきや、何だったら主役だった。おいしかった。ぱりぱりだけれどしっとりしていた。ぱりぱり、かつ、しっとり。変なことをいっているのはわかっている。でも語彙力がないからじゃなくて、本当にそうだったのだと主張したい。なんというか、ぱりぱりのパンって喉が渇くと思う。フランスパンとか。でもこれはそうじゃなくて、すごく食べやすい、けどぱりぱりだった。で、結果めちゃおいしかった。
店員さんいわく、そのパンは、「カタネベーカリー」のパンみたいだ。残念ながら今日は閉まっていたけれど、今度是非行ってみたい。(行ってみたいお店があるというのはいいことだ)
このホットドッグがおすすめの「パドラーズコーヒー」(というと、ホットドッグだけと思われるかもだけれど、コーヒーも当然おいしい)なんだけど、実はそれだけじゃない。それ以上の驚きがあった。あることに気づいて、僕と妻は思わずアイコンタクトをしてしまったほどだ。
それは何か。そう、そこの店員が、超絶イケメンだった。BTSのメンバーかなってくらいイケメンだった。「店内で食べますか」と声を掛けられたのだけれど、声までもイケメンだった。穏やかな声色だった。僕と妻はアイコンタクトをして、会計が終わりコーヒーが来てホットドッグを食べ終わるまで、イケメンについて話をしていた。なんだあれは。人生イージーモードなのか。よく見ると、僕は彼と同じ青いシャツを着ていた。不思議だ。着ている服は似ているのに、僕と彼には大きな隔たり(越えられない壁)があるようだった。
「いろいろなものを惹きつける分、悪いものもきて大変なんだよ」妻がイケジョのような発言をした。なるほど、そうなのかもしれない。彼にはきっと彼にしかわからない苦労があるのだろう。誰もが好意をもって自分と接してくれる。それはどんな世界なんだろうか。
いやいや、待て。誰だ。僕のことをイケメンじゃないといった人は。僕だってイケメンになれるチャンスはあるのだ。いや誰にだって、あるのだ。もしいま自分がイケメンじゃないと思っているのなら、それはあれだ。あれなのだ。なんというか、自分の強みを活かしきれていないのだ。
僕が学生のときの話だ。
僕は、友人とモンゴルへのツアーに参加したことがある。モンゴルだ。大草原だ。ゲルだ。馬だ。そう、イメージするようなモンゴルだ。大草原を馬に乗って100キロ移動するようなツアーだった。2週間ほどのツアーなので、学生が多かった。男性もいたし女性もいた。そこから、恋が芽生えたりもしていた。
そこのモンゴルで女性に一番モテたのは誰だったか。そう、僕だ。嘘だ。僕じゃない。一番モテていたのは、モンゴル人だった。馬を操り、風のように走り抜ける彼らは、とてもかっこよかった。日本からきた僕ら学生が、馬に乗りすぎてお尻が痛いと騒いでいた中で、彼らは落ち着き、時に警戒するように周りを見て、時に馬をけしかけるいたずらをした。自然の中で生きているその様子が、かっこよかったのだ。
その様子をみて、僕は気づいたのだった。かっこよさというのは、場所によってモノサシが変わるということに。馬に乗るのが得意ですと合コンでいったところで、多分モテない。でもモンゴルだと、その乗馬のスキルが非常に重要で、それがかっこよさのモノサシになる。顔じゃない。馬に乗れるか、なのだ。
かっこよさは絶対的なものじゃなくて、時代や場所によって変わるということだ。
今回でいえばだ。カフェという接客業で、見た目に目がいく環境だからこそ、彼はイケメンなのだ。これがたとえば、ネットゲームの世界だったら、彼よりも、ゲームがうまい人がイケメンになる。
なんだか長くなってしまった。ようは、あれだ。自分の強みを活かせばいい、ということだ。
つまり何が言いたいかと言えば、僕にだってイケメンになるチャンスがあるということだ。
さてはて、僕は、どこの世界ならばイケメンになれるんだろうか。旅は続く。