風の様なひとって、こういう方のことを言うのかいな~(ちびまる子っぽく) 近所にある、海外に行ったんかと錯覚するような隠れ家レストランに試し入店することになり、慌てて言われたコックシューズを探しました。 お店に持ち込む包丁を来ていた母親を巻き込んで久しぶりに研いで。 海外を旅して料理を学んでいたシェフの空気感は明らかに日本人離れしたものでした。 『海外では調理初めてのなれてない人はどんどん積極的に参加していくんだよ。~。』 同年代の風通しのいい同性仲間を紹介して頂く。
花を撮るというより、採取してる気分になる。美術館をぶらぶらした。 (アート鑑賞ってなんなのかなぁ?) ふと一目惚れした時を思い出した。時間がのびてクローズアップされる。そんな感じかもと、 アート鑑賞って普段は過ぎ去るものを時間をのばして見つめることなんだと自分にとって、 五感、好き、なぜかわからないけれど気になる、どうしようもなく圧倒される、知らない世界に興味をもつ、みつめていたい、楽しいアート鑑賞、 アートやモノを愛でることは異性関係なく人に影響されることと似てる、その感性
身体をほぐすことと対話の大切さ。 身体ともっと話した方がよさそうで、女子日の前後から特に体が落ち着かなかったのだけれど、有休を使ってお休みを頂いた。 キムチ鍋を作って食べたら昼から夜までびっくりする位にぐっすり。 この前、久しぶりに岩盤浴とお風呂に行ったら、ここでもびっくりする位に長居していて、日々の身体をほぐしてあげることをもっと意識しなくてはと思った。 最近はよく対話をしに行く。とにかく外に出てアクション起こすだけ返ってくるよ、編み物も外でした方がいいよと、対話なし
陶芸をながくしている女性が自分の器でお酒をだしたいと思い、始めたお店で少しだけ働かせて頂いた。 映画のセットに使われそうな、和風の家具でまとめられたいくつかの部屋がある一軒家で、会社の人達との集まりだったり、弁護士さんだったり銀行のお偉いさんだったり、昨日は飲食店の社長さんの話が印象的で(22歳からお店をやりだして、まともに稼ぎだしたのは40過ぎてからって、) 雰囲気のある家具と会話のシーンが、映画のシーンにエキストラで入ったような感じでした。 肌を見せるような服を着てる
徒歩で帰る途中に、 「靴紐、ほどけてますよぉ~」 と自転車を運転する女性から、 「自分の考えなんて大したことないよ。〜。 自分の人生に結婚はないと思ってたけど、会った時にこの人と結婚するんだ、って思ったから、そうなった。」 私『それって、同じ星の人ですか??』 「星のことは、わからないけど 笑笑。 自分とは全然ちがった人間だと思うよ。」 以前も数人に、なんとなく確信でこの人と結婚するんだと思ったという話を聞いたことがあった。 気持ちにゆとりができたり、景色が変わった
想像したり妄想したことをネタにする、共有する、それだけで楽しくなるから、そうすることで充分だ。 もし私がお店をするのだったら、こんなことをコンセプトにして、と同じ階で働く元上司と話していたら(私はそこに暖炉がほしいです。炎ってみてて落ち着きますもん)と言われて、ノートにメモをしたりして。 ノートを持ち歩いて、イメージすること自体が楽しいことを考えていた方が、今が健康だなぁと思うようになった。 編み物をしだしてから、後で一目おかしい所をみつけると、そこまで解いてやり直す。何
自分に起こった出来事や起こっている事対して、深刻になりすぎないことだよ。 と、結構前にある人が話した。 その人は大好きだった身内を二人亡くしていて、心の中に寂しさを抱えていた。 ある人の上司は、ある人のことをお前は軽すぎだと言ったりするけど、そうじゃなくて、あまり深刻になりすぎないことを習慣にしているのだと思った。 習慣から性格に、。 ある人のことは知らないことばかりだけど、 様々な個性的な同僚をまとめる仕事であったし、 本人は細やかに気がつく人だった。 生きていく術
就寝前に5分から10分、デッサンをするようになった。主に女性を描く。 以前、絵を習っていた時も感じていたことなのだけれど、身体を描いた時に、動きが硬いというか、もっと曲がっているのにと思うことがある。 肩はもっとあがっているのに、硬くなるなぁと。 私の身体が硬いからなんじゃないかな、 私の身体が柔らかくなれば、絵に描く身体も柔らかくなるんじゃないかと、 それを確信してやまない。
吉本ばななさんが、人間楽しさが原動力でって、その後の話が思い出せないけど、 ただその行為を楽しんでる、編み物も学生時代のコラージュも、それで自分の心にエネルギーをあたえることで、 仕事や人間関係や生活のことを頑張れたり、健康な循環ができれば素敵なことだと思う。 姉は畑仕事が昔から趣味で、体力もあり頭もよくて、子供の頃から植物に話しかけていた。 今は試行錯誤重ねながら農業をしていて、人の世話をすることが昔から好きで、経済の話をしだすと、男性を負かしたりする位に力強いという
先日近所のカフェで、舟越桂さんの彫刻作品に出てきそうな、少し年が上の女性と隣り合わせになった。 本好きな人が集まるお店で、ひとりで来た人が重なって、亭主を交えての会話が楽しかった。 古本屋で購入してきたと話すお客さんが、数冊の本を出し、それをみんなでながめたりして。 気になったエッセイストがいて、後で図書館の検索リストで探し予約する私、 最近みた3Dで絵画をながめた話や、今ちょっと話題になっている本のZ世代の話、 自分が取り入れ不足の、最近の世間のこと、韓国の話、韓
明日までの展覧会を観にブックカフェに来ている。 ふと思い出した。私のいびつさや、おかしさを、可愛く想ってくれていた人のことを。バカにせずに、くすくすと上品に笑って、ゆかりはチャーミングだよ、と言ってくれたこと。 ザーザー降っていて、閉店ぎりぎりまで雨宿り。 そうしたら、思い出して涙が出そうになった。 当時のどうしようもこうしようもなく不器用だった私を想ってくれてありがとう。
『だれに対して、どうなってほしいのか。』 職場でライティングに挑戦した時に、後で上司に言われた言葉、 私が書いた文章は、多くの人に向けてで、録音を聞いてもらったのは、1人のお客様に向けての手紙を書いてほしかったからだと。 直ぐにメモをした。 今度からイメージしながら、働いたり、作品を作ろうと思った。 誰かを想うことが、生命力だと思うし社会との繋がりだと思う。以前、忘れられない人がいたまま数年就職活動をしていて、やっと決まった職場は、その人が愛用していた紳士服ブランドだった
『ちひろさん』を観た。 カフェで有村架純さんがすごくよかったときいて、ネットフリックスを登録した。 水商売をしていた女性が弁当屋さんで働いていて、その街と周りの人との話。 私はその映画を観て、主人公は水商売をすることで、自分の中の鍵を開けたんだなと思った。 映画の中に出てくる(同じ星の人)という表現もよく理解できた。同じ星の人に出会うと、不思議と共鳴しあう。年齢も立場も性別も関係なくて、他の星の人からしたらなんのことかわからない表現が理解できる。星の人にであうと、知らない
職場からほど近い所にギャラリーがあることを、その写真展で知った。 最近、パレスチナを撮った暮らすように旅する女性の写真展に行った。 普段は面識ある人しか繋がらないけれど、snsで繋がった好きなお花屋さんで働いてる顔の広い方の友達のようで、気になった展覧会だった。 パレスチナを撮った、数枚の大きな写真、短文の説明を読んで、その場にいた作家さんやお客さんの会話の輪にいれてもらう。 よく会話についていけないまま、翌日、パレスチナのことや宗教のことを調べた。 普段、宗教に寄り添
『個』というものは、実は無限な広がりを持っているのに、人間は自分の知っている範囲内で個に執着するからね。 私はこうゆう人間やからこうだとか、あれが欲しいとか。 『個』というのは、本当はそんな単純なものじゃないのに、そんなところを基にして、限定された中で合理的に考えるからろくなことがないんです。前提が間違っているんですから。 (何か大きな流れの中の一部として、自分を捉えるような見方が足りないんですね。) 『個』を大きな流れの中で考える、そういうふうに『個』を見るということは
5月の半ばから、朝ランを始めました。 目的はダイエットから、実際走りだしてみると、散歩途中の愛らしい犬、公園にいる生き物達、時間や気温や天候によって、毎日目に留まる場所が変わって、 黙々とランニングどころではなくなります。 半周走って、半周は写真を撮ったり、散歩したり、ストレッチをしたり。 帰り道の道路沿いにミントがはえてることに気付いたのは、朝時間のせいなんじゃないかと、子供の頃、雑草でお茶を作ったりして、飲んだことがあったなぁと。 身体と心を動かすこと、ひとりだけど