見出し画像

留学生やワーホリにも直撃している国際社会 3

-ワーホリのビザを逆手に利用する-

いまワーホリや語学留学を考えている10~20代は、発想を変えて海外を見る必要があると思っています。多くの人は、海外で働くには英語が使えることがはじめにあり、英語がしゃべれないと仕事に就くことが出来ないと信じています。その認識は正しいものなのか? 確かに、話せないよりも話せた方が幅広い情報や活動の範囲が広がり優位なこともあります。

では、話せないと何も出来ないか?

 私の持論になりますが、言語空間で勝負できなくても他のことが卓越していたら、仕事や他のことで人と繋がることはでき、中途半端に会話が出来るよりも深いところで繋がることができると思っています。海外に住んでいて、日本人が海外でそれなりの実績を残している人たちは、言語空間で繋がるよりも他の事(技術や業(スポーツ)や相手を感動させる行動)で繋がっている人の方が、異文化の中に溶け込んでいるように思います。
 多くのワーホリや語学留学で来る人たちは、英語を身に付けることを第一の目的にしていますが、半年や1年ぐらいで語学が身につくことはありません。他言語を修得することは、日本語脳を壊して新しい思考回路を作ることであり、言語脳やアイデンティティは簡単に壊すことは出来ません。それは想像よりもはるかに難しく、20歳を超えた人間が1年足らずで壊すことは至難の業です。20歳未満の人が外国語の習得が早いのは、言語脳が定着せず柔軟に英語脳に変換できることができるからです。もし、語学を修得したいのなら日本で下地を作り、何年も勉強をしないとしゃべれるようにはなりません。その意味では、貴重な時間を使って第一目的に英語を修得することを考えて海外に出たい人は、自分の向き不向きを考える(単純に英語の勉強が好きか嫌いかのこと)必要があると思っています。
 カナダ人が日本にワーホリで行くときに、日本の語学学校に行ってから日本で活動をするのか? そんな話しを聞いたことがありません。まず、はじめに興味の対象があって、そのことを深く調べて片言の日本語を勉強して日本に来ます。それから、目的の仕事や長期滞在を決めて(伝統工芸士の修行・日本の自然に魅せられて長期滞在する。)、少しずつ言葉や表現を覚えていっています。
 冒頭の話しに戻りますが、英語が使えなくても働いているうちに、作業を媒体にしながらコミュニケーションができるようになります。さらに言えば、他民族を圧倒される技術があれば、英会話がおぼつかなくても単語と単語で気持ちが繋がることができ、相手が歩み寄り言語空間を越える関係にもなります。
 
これから海外で自分を試したい人たちは、発想を変えて時間と経験を積んだ方がいいと思います。日本人は、どこかで会話コンプレックスと話せないことの罪悪感を持っています。そして、英会話が出来ないと仕事が出来ないと信じて、そこから先に進めようとしません。学校教育の沿線上で世の中を見て、杓子定規でしか物事を判断していません。ワーホリや留学で来る人は、エイジェントを使い語学学校に行き日系の会社で働くサイクルの中でしか行動しないので、それ以上の可能性を作ることはできていません。
 かつて、面倒を見ていた男で現地の人と料理をしたいと希望を持って、カナダに渡ってきた若者がいました。しかし、英語が使えないから先方から断られて、どこにも仕事に就くことが出来ませんでした。その彼が、私の店に来て八方ふさがりであることと自分の夢を話しました。そのときに彼に言ったのは、正当な方法でものごとを考えるのではなく、無給のインターシップ(まかないだけを食べさしてもらい、何でもやりながら現場に入ること)をしながら相手に必要と思わせるシンパシーを送れと伝えました。そして、私の紹介でレストランに1週間インターシップをする機会を得て、彼は一生懸命働に働きました。その姿を見ていたヘッドシェフは、私のところに来て、「彼を雇用したいが、どう思う?」と聞いてきたので、必要であれば雇うべきであることを伝えました。そこで、 彼はフルタイムで働くことになりました。仕事が決まった時に、彼は報告と感謝を伝えに来ました。そのとき私は、もう1つのことを伝えました。
「会話が成立しない中で働くことは、聴覚障害と同じハンディーキャップを持っている。その中で、圧倒的な仕事量をこなして周りを無言で説得するしかない。」彼は、その意味をインターシップの中で身に染みて感じていたようです。



 農業プロジェクトの一期生でもある優之介も、同じような状況でした。ほとんど英語がしゃべれる状態ではなく、貯金も底をつき明日生きられるかどうかの状態でした。彼もまた同じように私の紹介で、「EL.Guapo」というメキシカン料理のレストランで働く機会を得ました。働く前に彼に伝えたことは、「英語が出来ないコンプレックスを持つことでなく、圧倒的な仕事量をこなし会話以上に行動をすれば、周りを説得することが出来る。」と伝えました。彼は、それを実践したことで、そこのシェフやスタッフから可愛がられて、言語を越えた世界を見ることができました。
 多民族国家であるカナダは、多くの人が難民や移民で来て生活をしています。その中には、自国でも教育は乏しく英語教育をほとんどせずにカナダに渡ってきます。しかし、彼らは自分たちの民族の誇りを持ち、英語がしゃべれないことにコンプレックスは持ちません。白人たちが理不尽なことをすると、怒りをあらわにして相手に立ち向かい闘う姿勢をむき出しにします。その精神力の強さやたくましさは、いまの日本人にはありません。
 本来、海外で暮らすということは、自分の心をむき出しにして感じることで、悔しさや嬉しさを味わいながら、いろんな民族と生活をすることです。大半のワーホリや留学生は、浅い関係しか作らず、つらいことや差別から逃げて一歩踏み込んだ世界を見ようとはしません。異文化の共存は、綺麗ごとだけではない現実があり、自分たちの正当性を伝えなくてはいけないことが必ず出てきます。
 移民の一世や難民で来た人は、マイナリティーの中で差別を受けながら生きている人がほとんどです。レストランなどで働くと、多くは体を使ってする仕事なので有色人種がほとんどです。そのときに、彼らの人生観を共有することで生命力を見ることが出来ます。
 
-平和ボケをした日本人は、何が価値かわからない-

 多くの日本の20代が、私のところに来た時に「目標がない」とか「夢がない」と言って、自分の精神と体の一体を作ろうとはしません。それは、戦後教育の問題なのか占領政策の問題かは定かではありませんが、海外で生活をするにはあまりにも単調で線が細すぎます。
 海外に出てみたい人は、日本国内の閉塞感から抜け出したいとか、自分を変えたいと悩んで来る人がほとんどだと思います。しかし、日本社会の現実から抜け出しても、海外の現実は待っています。表層的な環境を変えても、心と体を変えないと目的もぼやけてしまい海外の生活に適応することは出来ません。せっかく環境を変えて、その機会を得ても何も変わらないで終わってしまっています。本来は、自分を変える最大のチャンスでもあります。
 日本人であることは、「匠の世界」や「日本の文化」や「勤労精神」に触れて成人まで育ってきています。ある意味、そこに他民族と徹底的な違いがあり、言語空間を越えた世界観を持っています。この価値観を持ってワーホリというシステムを使って、異文化の中で個の存在を認識して体と精神の一致を望めば、日本国内で見えなかった自分の姿が見えてきます。他文化を通して、匠の世界や日本の文化を見ることで、いままでの自分が何だったのかが見えて、自分たちの「目標」や「存在の意義」が見えてきます。そこには、日本の勤労文化(丁寧な接客、理髪技術、大工技術など)が後ろにあり、民族の誇りが潜在しています。
 ワーキングホリデー・プログラムは、1年間就労が出来るプログラムです。言うなれば、就労ビザ以上の多目的であり、自由に会社が選べる特別なビザです。その申請料は、安く375ドルで手に入れられます。いま、就労ビザの発行は3500ドルかかり、大都市の地域によっては発行されなくなっています。(失業率が6%の街は、就労ビザは出せなくなっています。)加えて、就労ビザは原則1つの会社でしか働くことしかできません。
このワーホリのビザをどのようにして、海外で挑戦出来るか? 
 この逆転の発想で、自分たちの国家観や民族観の精神を取り戻す手段として見ると、このワーキングホリデーのビザも違った価値観で見えてきます。
(次は、ワーホリを使って世代の分断化をゼロにする)
 
 
 

いいなと思ったら応援しよう!