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「火事場の馬鹿力」だったのだろうか?
写真整理を続けているうちに気がついたことがあります。2012年の画像の数がやたらと多いのです。ことに土日は子どもの行事と自分の仕事関係の用事を掛け持ちしています。前の投稿で「若かったなあ」と書きましたが、このつぶやきは2012年の画像を見返したときの驚きでもあります。
9年前、長男は中学生、二男は小学生でした。子どもたちの行事への参加、長男の部活動で大会があれば応援に行く。二男の場合も同様です。二男については耳の病気の通院もありました。
そして私がもっとも力を注いでいたのは震災後の福島県の様子を取材し、発信すること。震災により失ったたくさんのことを取り戻し、未来を創り出すこと。私だけではなく、多くの福島県人がそこを目指して、己のできること以上のパワーを発揮した頃だったと思います。
「このままではいけない」「子どもたちのために何ができるだろうか」「福島県の、東北の明日をつくる」と、みなぎるものがありました。先は見えないけれど、でも何かをやらないと気が済まない。第三者からはそんな風にも見えたかもしれませんね。
火事場の馬鹿力
ある方が当時の私のことを言いました。
なにかに取り憑かれているようだった
ある方が当時の私のことを言いました。
確かに冷静ではなかったかもしれませんね。やたら尖っていて、嫌な人間だったかもしれません。ただ…。そんな私を諫めることなく黙って見守ってくれた家族、とりわけ夫には感謝しています。
※画像は震災直後、無料になった高速道路を運転し、取材に出ていた私のことを書いた二男のハガキです。「交通安全週間」の一環の授業で書いたものを私宛に出したと記憶しています。
「火事場の馬鹿力」よかったら、あなたの体験も聞かせてくださいね。