辛い尾道ラーメン


「尾道ラーメン」というラーメンを,恥ずかしながら私は知らなかった。もはやどこにでもご当地ラーメンがあるように見えるので,もしや私の住んでいる埼玉でも「埼玉ラーメン」やそれに準ずるものがあるのかもしれないと思って検索してみたが,残念ながら存在しなかった。尾道と同格になろうとは,流石に烏滸がましかったらしい。
広島駅のあたりをぶらぶらしていたら,「飾らないラーメン屋」を自称する店舗があったので,私はそこに入った。有名人のサインがズラリと並んでおり,これで飾らないとはこれ如何に,とも思ったが,そういうことではないのだろう。私は揚げ足を取っただけだ。
メニューには,「尾道ラーメン」と「辛い尾道ラーメン」がある。形容詞「辛い」をメニュー名に添えるということは,これは相当辛いはずだ。私は辛いものは嫌いではないが,「どれだけ辛くとも食べられますよ,エッヘン」というタイプの人間ではない。辛すぎても困る。しかし,店員さんに「どれだけ辛いですか」と聞くような度胸など持ち合わせていないし,仮に聞いたとして辛さを正確に知ることは全く不可能だ。せいぜい,「すごく辛いですよ」ないし「そんなでもないですよ」あたりの返答が与えられ,より迷宮に迷うことは間違いない。リスクを回避するとすれば,普通の「尾道ラーメン」を食べればよい。しかし,私は形容詞をもメニュー名に入れる大胆なラーメンへの関心が抑えられなかった。果たして私はそれを注文した。
 出てきたのは,毒々しいほど真っ赤なスープのラーメンだった。これは民放各局がこぞって取り上げそうな見た目だなァと思った。決して貶しているわけではない。肝心の味はと言うと,辛かった。いや,辛かったが,危惧していたほどではなかった。いや,やはり辛い。当然だが,唐辛子の類が大量に使われている。しかし,不快な辛さではない。食欲をさらに増幅させるかのような辛さである。これを書いている今でさえ,あの味を思い出してまた食べたくなってきてしまっている。これは芸能人も数訪れるだろうと思った。麺はわりと固麺で,これは私の好みに大いに合致した。メニュー表を今一度見返したら,チャーハンや唐揚げもあり,何ならセットメニューもあったらしい。普段,そのような類に魅力を感じないため,ラーメン店では上段2行しか見ないのだが,これほど辛いラーメンであればぜひチャーハンも食べたい。セットメニューにしなかったことを後悔した。
行きは市電で来たが,帰りは歩くことにした。もちろん,土地勘などなにもないため,適当に歩いた。すると,原爆ドームにたどり着いた。きれいにライトアップされていた。もはや残骸となった建物が残っていた。私は,かつてその建物が生き,産業奨励館だった頃に思いを馳せた。そこで働く人は,いつも通りの日常を謳歌していたに違いない。原爆投下の体験記を読んだことがある。曰く,ピカもドンも無く,ただ女が「空襲!」と叫んだだけだったという。一瞬のうちに自らがいる建物が凄惨な姿になり,隣を流れる川が死体で埋まる,そのような地獄絵図が生まれる瞬間を当時の人間はどのような気持ちで体験したのか,想像すらできない。そのような戦災は,未だ「過去のもの」と言えないところが,人類の愚かさを象徴しているようで,やりきれない。
原爆ドームの奥には,橋が見えた。その橋には,広島電鉄 – 市電が走っている。その横を,自家用車とバスと自転車が並走している。私は,広島を,鉄道と路面電車,バスが共存した魅力的な交通都市であると感じた。無論,よそ者の勝手な意見であるが,よそ者が表層的に見ると,優しい顔をした街に見えた。戦災から100年足らずでここまで復興した事実を,私たちは再考する必要がある。
ところで,原爆ドームは,広島駅の近くにある私のホテルからは逆方向だったらしい。最終的に,流石におかしいと気がついた私は文明の利器に頼った。現在地は,もはや広島駅からは離れ,新白島をも通過し,横川駅の近くまで達していたらしい。私は電車にのることにした。近くに本屋があったので,文庫本を一冊買った。RED WINGに乗って,広島まで戻った。

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