「〇〇が充実していないから、満たされていないからあれをやりたくない」そんなふうに感じることが多い。エネルギーを使う物事は自分自身が満たされている状態でやりたいと思う。満たされていないと感じるときに目の前のことをやりたくないと思うことは“逃げ”なのか、それとも“心の声”なのか
「やりたい」「やりたくない」も「生きたい」「死にたい」も色々な矛盾が共存してて良いのではないだろうか。全てが自分であり、全てが在るものなのだから。
人は矛盾をなくそうとしがちだと思う。物事をはっきりさせなきゃいけない。それだけが正しいのだろうか。矛盾をもって生きることは悪いことなのだろうか。全てに良い悪しがないのであれば、矛盾をもって生きるということも私たちにとって大事な選択肢なのではないだろうか?
人の感情ってポップコーンみたいに伝染してくことが多い。だからこそ今わたしができるのは、自分の中のポジティブな感情を広げていくこと。ポジティブな感情にフォーカスを向けていくこと。良い悪いなどの概念を持たず、視野を広げること。生きている限り、大丈夫。なるようになる。
「それがいい」「それだからいい」というような一点に集中して肯定するような言葉ではなく、「それでいい」「それでもいい」というような全てを受け止めたり、受け入れてくれるような言葉の表現が好きだなぁと思いました。“大丈夫だよ”なんてふうに包み込まれるような温かさを感じてとても好きです。
聞き上手の人は相槌がとても上手。話す側がリラックスできるテンポで相槌をうってくれるし、相槌の声が優しいんですよね。私もちょっとずづ、聞き上手な話しやすい人になりたいな、と思います。
私が私でいるためには、きっと思考しないということが一番だと思う。あーだこーだ頭を使って考えるよりも、心で感じて、心の赴くままに過ごしていくことが自分への最大の優しさなのかもしれない
恋愛とか関係なく、愛を伝えることのできる、愛を伝えやすい環境になっていくといいですね。友達や家族、仲間。その全てに「好きだよ」と伝えることが普通になっていくといいな、と思います。「愛してる」「好き」その言葉たちは自分にとっても、自分の周りの人にとっても幸せを運ぶ言葉だと思うので。
一応ブログの下書きはいくつかあるんだけど、どれも最後まで書ききれていない。きっと私にはそのとき感じたことをそのときの熱量で伝えることのできるつぶやきの方が合っているのかも。忘れちゃいけないのはいつだって自分なりのやり方でやること。自分が自分の行動を選ぶこと。とっても大事なことだよ
自分が自分の軸をまだ固められていないのに、人を助けたい、誰かのきっかけになりたいと思ってしまうことはやめたほうがいいのかな。いや違う。私の中でやめたほうがいいと答えは出ているんだ。でもやっぱり気になってしまうものは仕方なくて。 だから私は、私なりの正解を見つけたい。