Hirofumi Takeoka
東京日本橋から京都三条大橋までの中山道六拾九次(約540km)をGoogleストリートビューもなかった2005年に歩いて記録した5,300枚を超える連続写真を大公開!
2005年5月11日。 15年前のこの日、大学生だった私は旅をはじめました。東京日本橋から京都三条大橋を目指す中山道(時に木曽街道とも呼ばれる)540km徒歩の旅。Googleストリートビューもなかったこの時代、私は旅の道中、進行方向に向かって約100mに1枚写真を撮り続け、なんと5,363枚におよぶ街道の連続写真を記録として残していました。 あれから15年が経ち、新たなウィルスの出現によって旅に出づらくなってしまった今、この連続写真を1枚0.3秒のコマ送りスライド(映像)
5月11日にはじめた25日間のチャレンジもいよいよ最終回です。15年前の6月4日は大学の友人や後輩約20人で草津から京都三条大橋を目指しました。スライドにも私の前を歩く同行者の後ろ姿が写っていますね。 以前の記事(1回休み)で紹介した地図は、草津以降は東海道編に掲載されているので中山道編は草津で終了。 そして、最後にはこんなメッセージが!甲州街道ですか…心惹かれますね。ただ、ちょっと遠いので近々鯖街道を攻めたいな、なんてひそかに思ってます。五街道ウォーク事務局さんからの
これが最後の1日です。この日は同行者もあり、少し賑やかな感じとなっています。途中雨に降られたりもしていますが、ご堪能ください。 《マガジン|中山道音速スライド旅行》 https://note.com/takecomai/m/ma5c815b6b7ed
旅も終盤、残すところこの日を含めて2日となりました。豊郷を9時頃出発して草津を目指します。カバー画像は愛知川宿の写真。でも、この奥の洋館風の建物はその後すっかりなくなってしまいました。逆に今はグレーの道路はカラー舗装になって素敵な街路灯も設置されています。 さてさて、この日は今までにないおもしろいできごとが起こりました。旅のきっかけの記事にも少し書きましたが、豊郷での活動を一緒にしてくださっていた「とよさとまちづくり委員会」のおひとりの方が、滋賀を代表するラジオ局FM滋賀に
いよいよ残りは2日!この日は一気に草津まで。 《マガジン|中山道音速スライド旅行》 https://note.com/takecomai/m/ma5c815b6b7ed
この日もほぼお休みみたいなものですね。お昼頃に80分くらいだけ歩きました。それが音速だと約20秒の動画になります。この旅のきっかけとなった高宮〜豊郷、お楽しみください。 《マガジン|中山道音速スライド旅行》 https://note.com/takecomai/m/ma5c815b6b7ed
細かな旅程は決めていなかったのですが、最終日だけは大学の友人たちと歩くつもりで日を決めていたので、そのための調整日です。動画、再生しても写真はありません(22日目が抜けると気持ち悪いので投稿はします)。あしからず。。 《マガジン|中山道音速スライド旅行》 https://note.com/takecomai/m/ma5c815b6b7ed
まさに国境ですね。この日は美濃から近江に入ります。道路の案内板にも見慣れた表示が見られるようになってきました。私は当時、滋賀県(彦根)の大学に通っていたので、ようやく帰ってきたという気持ちでした。 垂井を過ぎると関ヶ原。そう、関ヶ原の戦いのあったあの「関ヶ原」です。下の写真は西首塚の史跡。 そして、いよいよ近江に突入。 小さな溝を挟んだ美濃側と近江側の旅籠で寝っ転がりながら話ができたという逸話から「寝物語の里」と言われています。 近江に入るとベンガラ塗りの建物がよく見
近江の国に入ります。垂井宿,関ヶ原宿,今須宿,柏原宿,醒井宿,番場宿,鳥居本宿,高宮宿と宿場の数で言えば、この旅最多の旅程です。 《マガジン|中山道音速スライド旅行》 https://note.com/takecomai/m/ma5c815b6b7ed
私の撮った写真ばかりなので見てくださっている方はつい忘れてしまいがちだと思いますが、歩いている本人、このような格好です。前にも書いた通り、古いまち並みの宿場では被写体となり、群馬や長野では菅笠というこのアイコンのおかげでたくさん声をかけていただいたりお茶をごちそうになったり、またある時は虚無僧かなにかと思われたのか向かいから歩いてくるおばあさんに手を合わされたこともありました。 さて、この菅の笠は奈良井宿で調達した3代目です。初代は、高校の友人がくれた富士山みやげの笠、2代
もう残り1週間を切っています。今日は垂井まで。 《マガジン|中山道音速スライド旅行》 https://note.com/takecomai/m/ma5c815b6b7ed
第19日目には木曽川に別れを告げ、うとう峠を越えて鵜沼の宿に向かいました。すっかりまちに降りてきた感じですね。 この旅の道中さまざまなものを写真に残していたのですが、その中でもちょっとしたコレクションがこちら。そう、ブロック塀です。かなりいろいろな種類があるんですね。 これ、この1日だけで撮影したものなんです。個人的には上から3枚目や4枚目の下段のシンプルなものが好みです。多少、地域性もありますが、このあたりはわりとバリエーションが豊かですね。 《マガジン|中山道音速ス
うとう峠を越えて岐阜の中心部に突入です。この日の到達した加納宿は岐阜駅からすぐの都会です。 《マガジン|中山道音速スライド旅行》 https://note.com/takecomai/m/ma5c815b6b7ed
すごろくで言えば1回休み的な1日です。太田宿のある美濃加茂市のすぐ隣町である関市出身の大学の友人が、前日に太田宿で出迎えてくれて、実家に泊めてくれました。そして翌日のこの日は関周辺を案内してくれて、夕方中山道に復帰。次の坂祝駅まで歩いてあっという間に終了。 というわけで、この日は関の写真ばかりしかなかったので、地図のご紹介。街道ウォーカーにとって地図はとっても大事なアイテムです。それも旧道が現在の地図に照らして示された地図が必要で、さらにコンパクトで携帯性に優れたものでない
この日は、前日に太田宿で出迎えてくれた大学の友人が、実家に泊めてくれて周辺をいろいろ案内してくれたので、ほとんど歩いてません^^;わずか12秒のスライドですがどうぞ。 《マガジン|中山道音速スライド旅行》 https://note.com/takecomai/m/ma5c815b6b7ed
あの狭い谷をすり抜けるように流れてきた木曽川、こんなに大きな川に成長しました!なんだか感慨深いですねぇ。このカバー画像は橋の上から撮影したものです。これこそ中山道最大の渡し場「太田の渡し」です。 中山道は、江戸時代には東海道の裏街道として大変栄えた街道です。東海道に比べ約40km長く、宿場も16宿も多いのですが、非常に人気のある道でした。特に別名「姫街道」とも言われ、皇女和宮がよく知られていますが、京都から将軍家に嫁ぐ姫行列が通ったことでも知られています。 その大きな理由