ネガティブに打ち勝つのは、ポジティブじゃなくて、没頭だよ②
退院後から実家暮らしを余儀なくされている。
実家暮らしというのはこんなにも劣等感を感じて、何よりもしんどい。
見渡す限り実家暮らしではないと思える。
バスの運転手、ブックオフで入店した人に挨拶をする店員、薬局で退勤して帰る前に自店で買い物をして帰る人、すれ違う小学生の親御さん、みんなみんな実家を出て暮らしている。
夕方など、カーテンがなびいて中の見えてしまう感じを見ると本当にセンチメンタルな気分になる。
それプラス、夕飯の準備をしてる音や匂いがしてくると、もうたまらない。
かく言う僕はどうなんだ。
実家暮らしで仕事もしていないという状況。
これで少しでもお金があれば自信は付くだろうが、最終的に行き着く感情は同じ劣等感を感じるというところだと思う。
せめてなにかに向かって行動していたい。
実家を出るために稼ぐために、何かしらの行動をしていたい。
ニートって本当にこういう不甲斐なさがしんどいところだと思う。
働いてるときは『仕事やだな〜』とか思うんだろうが。
見てろ?そのうち仕事が嫌だという趣旨のブログ書くぞ〜(笑)
とりあえず今できることをやりたい。
社会的つながりがほしい。
と思って、ボランティア活動というものに応募をした。
応募したボランティアは、他にも障がい者の人が手伝っているという町の物産店のボランティアだ。
同じように障がい者の人もいらっしゃるということですごく気持ちのハードルが下がった。
やっぱりそういった類のことに理解があるというのはすごく気持ち的に楽である。
それに働くわけではないため、ある程度、責任の重圧から解放されると思っている。
前に高次脳機能障害の集まりに参加した時の、気持ちの報われた感が大きくて温かみを感じた。
そのことから、今度のボランティア先でも同じような気分が味わてるといいなー
と、思っている。
こういう慢性的に感じている『劣等感』や『孤独感』『寂しさ』『焦り』などというのは、誰かと会うとかどこかへ行くとか、その時間だけは解放されると思う。
でもそれが終われば逆戻りであって、なんの解決にもなっていない。
ただ予定というもので傷口を応急処置しているだけにすぎない。
だからこそ、こういうネガティブな感情に打ち勝つのは、一時的のポジティブな事ではなくて、半永久的に没頭出来るものというのが必要なんだと、深く実感した。
そうか、先のない予定を作るという事は、一時しのぎでしかないんだなと書いていて気づいた。
先輩にこの言葉をもらってから、この言葉に何回も救われた。
本当に有難く思っている。
今後もきっと色んな場面で救われるだろうと思っている。
高次脳機能障害があって、忘れっぽい今でもしっかりと覚えているほどには救われてた言葉。
これから先も、もっとたくさんこの言葉に救われていくんだろうと強く感じる。