容易い

自分って誰とってなんなのか。

そんなことを考えることがある。
てか、常に考えている。

僕って存在は、誰かに影響を与える何かなのか。
僕って存在は、こんなに重くて暗い人間でいいのか。
僕って存在は、なにかの役に立いてなにかのためになっているのか。
僕って存在は、誰かにとって悪い存在では無いのか。
僕って存在は、間違った選択をせず、いつも正しい選択をしているのか。
そんなことが頭の中をグルグルまわって止まない。

今日の夕飯何にしよう〜とか、明日はこれがあるから準備しなくちゃとか、やることがあるって本当に裕福だと思う。

誰かのため、自分のためにやれることがあるってどれだけ幸せなことか。
もう何も無い虚無になった人間の辛さはわからない。

人間って本当に無い物ねだりだ。
有ればそれを存外に扱い、無ければないで嘆く。
で、なにか気に入らないものや意に反するものがあればそれを攻撃する。
なくなって自分の前から消えればそれでいい。

あいにく、自分も人間だからそういうことを無意識にしてしまう。
そのことが本当に嫌だと思う。

じゃあこれを、もう一度気持ちを言ってみ?となると、上手く表現出来ない。
そして悔しく思う。
けど、一時の感情ってわけじゃない。

こんなしんどくて続ける意味ってあるのか?
と、やっぱり強く思う。
こういうことを言うと『病んでる』とか『弱い』とか『公の場でいうことじゃない』とか賛否両論の否の部分が集まる。

まぁそりゃそうだよな。
自分は体感してないし、気持ちも分からないし、面倒くさいし。
だがそこに『殺意』があったらどうする?
自分に対する殺意ではなくて他の人に対する『殺意』
『絶対やってやるからな』って言葉が添えられてたらどうする?
実際に自分を殺した人間だぞ?
誰かにそれを向けることなんて容易いもんだと思う。

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