
北海道の城④五稜郭
こんばんわ、ほどほど夫妻のたけちです。
今回も2019年GWに訪問した道南旅行の城巡りについて紹介します
実は松前城に行った次の日、青森の大間までマグロを堪能して1日終了してしまいました。
(この模様は番外編にて!)
道南旅行、最終日
本来の趣旨に戻り、城址巡りをするぞー!
まずは五稜郭だ。
100名城のスタンプは五稜郭タワー1階にありましたが、分かりにくかった。しかも、大陸からの人が多過ぎる。(2019年の話です。)
現在は五稜郭タワーの中にはスタンプはなく、五稜郭公園内「箱館奉行所」向かいの「お休処 いたくら柳野」入口前に設置されています。

では、五稜郭へlets登城!
松前城が最後の日本式城郭建築ならば、五稜郭は、西洋式城郭建築!
日米和親条約により箱館開港に伴い1866年に異国の脅威に備えて築城
築城を指揮したのは武田斐三郎
緒方洪庵の適塾で医学を、佐久間象山から兵学を学び、ペリー来航の際は吉田松陰とともに浦賀に行ってその様子を見て「三浦見聞記」を記し、幕府に評価され、その後幕府の長崎でプチャーチンとの折衝に参加したり、蝦夷(北海道)で箱館奉行所が設置されると10年間同地で五稜郭の築城に携わります🙂↕️

五稜郭が有名になったのは1868年から1869年の箱館戦争
新政府軍と旧幕府軍が戦った戊辰戦争最後の戦いです。
戦いの詳細は前述した「五稜郭」を見ると大変わかりやすいと思います🙂↕️

主題歌のさだまさし「夢の吹く頃」今聴いても目頭が熱くなる。

因みに箱館戦争で死んだ蝦夷共和国(旧幕府)幕閣の土方歳三はご存知新選組鬼の副長。司馬遼太郎の小説「燃えよ剣」の主人公。映画にもなっています。土方視線での戊辰戦争ですが、これもおススメです。

現在では桜の名所としても知られる五稜郭
写真じゃわかりにくいけれど桜満開😄
北海道の桜は遅咲きで散るのは早い。儚い。

箱館奉行所
今風に言えば松前城が地方自治体が建設したものならば、五稜郭は国が総力をあげて建築した施設。ともに異国の脅威に対応するものと考えると感慨深いです。
五稜郭を設計し築城の指揮をとった武田斐三郎のその後ですが、戊辰戦争時は生まれ故郷の大洲藩(愛媛県大洲市)が討幕派だったため、幕府に追われるハメになります😩
明治維新後は新政府に出仕し、陸軍の近代化に努めますが、過労のため健康を害し、1880年病死
因みに一緒に浦賀に行った吉田松陰はアメリカへの密航を図り、捕縛、完全に反体制とみなされ安政の大獄の際斬首😱
しかし、現在では吉田松陰のほうが武田斐三郎よりもはるかに有名
やはり人を育てる方が長らくその名を残すのかもしれません。
それでも武田斐三郎や江川英龍などの幕府側の人物も近代日本に貢献した人としてもっと評価しても良いのではないかと思います。
人も多いのでそろそろ志苔館に移動します。
(つづく)