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「サッカーと旅」サッカー未亡人とサッカー少年がふたり旅で見つけたもの。

Football widow (フットボール・ウィドウ)という言葉をご存知だろうか? 直訳すると「サッカー未亡人」つまり、夫がサッカーに夢中になってしまって、妻をほったらかしにしてしまうという意味の言葉である。

私は絵に描いたような「サッカー未亡人」だった。自分自身は運動は大の苦手でサッカーにも全く興味がなく、何度聞いてもオフサイドの意味すらよくわからなかった。(正直に言うと実はいまもちょっとアヤシイ…)

そんな私が、息子とリバプールFCの本拠地アンフィールドに行くことになるだなんて、人生はわからないものだ。

身重のサッカー未亡人

そんな私がまさかサッカー狂の人と結婚してしまうなんて。(パッと見、文化部系なのに、サッカー好きってもはや詐欺じゃない?)

あれは忘れもしない2002年6月の日韓ワールドカップ。身重の私をほったらかして夫はサッカーに夢中。特に日本代表の試合が始まると、「ごめんちょっと集中するから」と声をかけることすらできない。「あんたが集中したところで結果変わらんやろ」と心の中でつぶやく私。試合が終わるやいなや「ちょっと復習するから」と言い放って自室に閉じこもり、サッカーゲームをし始める始末。  

っておい!復習ってなんだよ!(ちなみに予習もしていた。)

もう完全にサッカー未亡人。身重のフットボールウィドウ。そして腹をサッカーボールのように蹴りまくる胎児。生まれたのは男の子。なんか嫌な予感。

サッカー少年いっちょあがり

嫌な予感は的中。夫は息子をまんまとアチラ側(サッカー側)の人間にしてしまった。たった一度の試合観戦で。それから息子は庭の芝生がえぐれて生えてこなくなるほど、毎日飽きもせずボーンボーンとボールを蹴っていた。やがて息子はサッカークラブに。そこからはもうサッカーひとすじ。ボールを追いかけてボールと友達になり、仲間も増えていった。

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フットボール・ウィドウ、初めてのサッカー観戦に行く

この頃、私にも転機が訪れる。地元神戸の「ヴィッセル神戸」の観戦に行く機会ができたのだ。せっかくなのでヴィッセル神戸のフラッグで娘の応援服を作った。そうでもしないと観戦に行けないほど運動音痴な私の心が変わったのは、初めて生でサッカーの試合を見たときだった。

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会場の臨場感や高揚感もさることながら、何より感動したのは、ボールを蹴る音。

テレビでは、ボールを蹴る音までは聞き取れない。しかし実際にその場にいると、ボーンボーンと、ボールを蹴る音が鳴り響く。

そっか、人間が蹴っていたんだ。

私は当たり前のことに感動する。それと同時に、息子が庭でボールを蹴っていたボーンボーンという音が蘇ってきた。この場所に居る選手たちも、そうやって、何万回も何百万回も小さい頃からボールを蹴っていたんだ。ついピッチを駆け抜ける選手の背中に息子の姿を重ねてしまい、泣きそうになった。

↓ボロボロになるまで履き潰したシューズやスパイク。

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サッカー以外でやりたいことがわからへん

息子が入っていたのは、神戸出身の香川真司選手がかつて通っていたサッカークラブだ。息子が小学生当時、香川選手はイギリスのマンチェスターユナイテッドに所属していた。ビッグクラブのすごいところは、選手が今まで所属してきたチームに「今まで選手を育ててくれてありがとう奨励金」が出ることだ。そのお金で支給されたユニフォームを着て、息子は雨の日も風の日もボールを蹴った。

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そんな息子が海外サッカー、特にイギリスのプレミアリーグに憧れていったのは、ごく自然なことだった。

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風向きが変わったのは中学生になってからだ。息子はオスグッドという成長期特有の足の痛みや怪我に苦しむようになる。そんなこともあり、仲間達がサッカーの強豪校に進学するなか、息子が選んだのは普通高の受験だった。

高一の三者面談で、初めて進路について聞かれた。高校の部活でもサッカーは続けてはいたが、この時すでに「サッカー選手になる」という選択肢は消滅していたと思う。息子は先生の問いに答えられなかった。帰り道、私は息子に聞いた。「何かやりたいことある?」と。

すると息子はこう答えたのだった。

「サッカー以外でやりたいことって言われても、わからへん。」

私にとって、ものすごく切なく重い言葉だった。いつもボールと一緒だったいろんな時期のいろんな息子の姿が脳裏に浮かんでくる。


母ちゃんは息子をイギリスへ連れていく

おっしゃ母ちゃんに任せとけ!私は決意した。「息子をイギリスへ連れて行く」

イギリスのプレミアリーグの中で、息子の一番好きなクラブチーム「リバプールFC」の本拠地、リバプールへ。(←そこはマンUじゃないんかい!)

そこから私はむちゃくちゃ働いた。節約もした。人間やればできるもので、1年間で目標金額を貯めることができた。

お金は貯まったが、さすが大人気クラブ、チケットの入手は相当困難なものだった。結局手に入ったチケットは息子の一枚分のみ。

その貴重なチケットを手にイギリス、リバプールのアンフィールド・スタジアムへ。(2019年8月撮影)

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対戦の日、息子は日本の社会人や大学生達とファン同士で繋がって情報交換をし、そのまま観戦に向かうという。

私はスタジアム近くの宿が空くまで、外で荷物番。宿からみんなとの集合場所まではバスがストライキみたいで、息子は40分歩いていくと言いだした。

いってらっしゃ〜い!と歩き出す背中を見送る。

いわゆるZ世代の高校生、Wi-Fiとスマホがあれば無敵とはいえ、海外で一人で歩いて行くだなんて大きくなったもんだな。保育園の初めての運動会では私にしがみついて離れなかったくせに。でもサッカーのためなら、小学生からたった一人で電車を乗り継いで、練習に通っていたんだ。

息子の背中のその先にいつもサッカーがあったから、息子は歩き出せていたんだと思う。

いってらっしゃい。頑張れ。息子の後ろ姿を見送りながら、私は思った。母にできることはもう荷物番くらいかもしれないね。

息子は無事みんなと合流し、食事をしたり、フードバンクのボランティアに参加したりと、有意義なひと時を過ごせたようだった。サッカーという共通点があったから社会人や年上の人ともコミュニケーションが取れたのだと、興奮気味に話してくれた。

どんだけ息子を成長させるんだ、サッカー。

その夜、試合に興奮して疲れて眠ってしまった息子の寝顔を見ながら、私は初めてサッカー狂の夫に感謝した。

「この子をサッカーに出会わせてくれて、ありがとう」


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さよならフットボール・ウィドウ

帰国して三日後の登校日、息子は進路を変更した。何かを見つけられたようだった。海外で知らない人と交流したり、ボランティアに参加したことで、国際的なことに興味を持ち始めたようだった。

何だっていい。大事なのは、サッカーがきっかけで見つけられたってこと。

私はいつも君の背中越しに、君の見つめるものを応援したいと思っている。

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ボーンボーンとボールを蹴る音が聞こえる。

スタジアムでは誰かの息子が、みんなの子供が、ボールを蹴っている。


街中で、かつての息子のようにたった一人で電車に乗っているサッカー少年に会うと胸がキュンとなる。がんばれがんばれ。心の中で声援を送る。

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彼らの背中のその先にあるものを、

私はこれからもずっと応援していたい。

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さよなら、フットボール・ウィドウ。

私もサッカーに出会えてよかった。




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△こちらの記事が思いのほか好評だったので、サッカーネタを続けてみました。いつもはドレス、ウェディングの仕事、ファッション、旅、イギリスのことを中心に書いています。サッカーのマガジンを追加しました。こちらで、リバプールFCのチケットのことやリバプールの街の様子なども書いてみたいと思っています。よろしければマガジンのフォローもお願いいたします。




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