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【繕う日々】ひとの手の跡は仕事に残る
ドレスをリメイクする仕事をしていてつくづく思うのは、人の手の跡は必ずかたちに残るってこと。
リメイクという仕事柄、誰かの手の加わったものをお直しすることになる。手作りのドレスだととてもわかりやすい。丁寧につくられていること、大胆につくられているところ、愛情がたっぷりと込められているところまでわかったりする。
いちどお直しされたものをさらにリメイクするときはもっとわかりやすい。時間をかけたところや、工夫をされたところなんかもわかる。ああ、ここでつじつまを合わせたんだな、みたいなことまでわかる。
「なんでわかるんですか?」って聞かれたとしても、「わかるからわかる」としか言いようのない、ふわっとした、でも確かな感覚だ。
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話は変わるけど、わたしが通信制大学の学部生の頃は、文芸コースでドレスの小説を書いていた。わたしは文章をたくさん書いて、推敲でかなり削っていくタイプだ。気がついたらいっぱい書いているのだ。ときには気分が乗ってきて、要らぬことまで書いている。だからいつも文字数を減らすのに苦労する。いっぱい書いては、いっぱい消している。
そういうことが、なんと作品をチェックしてくれる担当教官にはわかってしまうらしい。「いっぱい書く人だと思います」というようなことをよく言われていた。「たくさん書いて、悩んで、たくさん削ったことがわかります」と。
わかっちゃうのか。文章もわかってしまうのか。どうしてわかるんだろう。あ、そうか、「わかるからわかる」のか。
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時間をかけたことは、「わかる」のだ。ということは、短期間でやってしまったことも「わかる」のだろうか。そう考えると、こわいなあと思う。仕事ではそんなことはないけれど、大学院のレポートとかだったら、勢いでやっちゃってることもあるから。
わかられてしまうことはこわいけれど、逆にいえば頼もしくもある。だって、無駄に時間をかけてしまったところとか、じぶんが納得できなくてやり直したところだとか、頼まれてはいないけれど縫い直した部分、みえないけれど手をかけた部分なんかも、そのものの「気配」になるのかもしれないと思えるから。
文章もしかり。もしかしたら研究もそうかもしれない。動いた日数、歩いた距離、費やした時間、読んだ本、そういうのもいつかきっと役に立つだろう。
そういいながら、このエッセイは、ぴったり1000字で書き終えました。もちろん勢いで。
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