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生まれて25年が経った。

今日で25歳が終わる。
人生100年生きられるとしたら4分の1が終わることになる。

せっかくだから、自分の人生を振り返ってみようと思う。



1998年10月23日、人生の幕が開く。

私は普通の自然分娩ではなく、帝王切開で産まれた。本来なら1999年1月出産予定だったのが、1998年10月と3ヶ月も早くに産まれることになった。

普通は「おぎゃー」と泣いて登場するはずだが、私は泣かなかったらしい。ポンと叩かれてやっと泣いたのだとか。

体重は972gと小さく生まれ、超未熟児だった。すぐに退院することはなく、しばらくICUにいたらしい。超未熟児だと視覚障害や聴覚障害などのリスクがあるらしいが、幸い生活に支障が出るような障害は残らなかった。耳は少し悪いが、目は良い方だ。両目1.5ある。(家族はみんな目悪いのになぜ?)

ケータイをいじる幼少期

幼少期、何が好きだったかと聞かれると母のケータイを触るのが好きだった。着信音を鳴らしてみたり、カメラで気になったものを撮ってみたりしたものだ。今でもスマホで写真ばっか撮ってるんだから、ぶっちゃけ幼少期と何ら変わりはない。

習い事でサッカーと体操をやっていた。幼稚園近くの公園で開かれていたサッカースクールに幼馴染と一緒に入った。今でもその幼馴染とは定期的に会うほどに親しい。体操は得意な方で、幼稚園の年長の時に空中逆上がりという大技もできた。母がいつもそれを褒めてくれるのが嬉しかった。

好奇心あふれる小学生時代

小学1年の私は折り紙にハマっていて、授業中に折り紙をしてよく怒られた。授業にはまるで集中できず、すぐ友達と話したり、手遊びをしていた。小学2年の頃の記憶はあまりないのだが、給食を食べている時に友達に好きな子の名前を大声でバラされたことだけはよく覚えている。

学校以外は何をしていたかというと、ゲームだ。任天堂64のスマブラでいつも兄に負けていた。PlayStation2のキングダムハーツやメタルギアも好きだったな。結局今とやっていることは変わらずゲームが好きだ。

小学4年になるとクラブ活動に参加することができ、卓球クラブに入った。小学5年と6年は化学クラブで、面白そうな化学実験を自分で調べて学校で実践していた。記憶に残っているのはベッコウ飴作りとスライム作りだ。

この頃は、ルービックキューブにもハマっていた。2回ほど教室に通ったらルービックキューブを揃えられるようになり、大会にも出場した。結果は1分6秒と自己ベスト記録を出したが、82人中75位だった。それでも10歳でこの結果を出せたのだから、なかなかのものだと思う。(笑)

しかし、学校の勉強にはあまりついていかれず、塾に通わされることになった。段々勉強ができるようになると、受験をする流れになった。頭も特別良くはなかったので、本格的に勉強をしなきゃいけなくなった。算数と理科は得意教科だったのに対し、国語と理科は大の苦手だった。

受験は3校受けたのだが、第一志望の学校の受験に限って受験票を忘れるヘマをした。試験は受けられたが、結果は不合格。第二志望の中学校へ進学することになった。

多感な時期、中高時代

中学校に上がると、誰も知らないところから友達を作ることになった。人見知りではなかったので、容易に友達はできた。ところが中学2年に上がると容姿をからかわれて軽いいじめにあう。担任の先生からも嫌われていたので学校を休むことも多かった。中学2年生まではバスケ部だったが、中学3年生からは帰宅部になる。3年はクラスメイトとの波長が合ったのか楽しく過ごすことができた。アニメにハマり始めたのもこの時期だ。

中高一貫校だったので、高校に上がってもメンバーも変わらず、高校生という実感はまるでなかった。しかし、自分の中では変化はあった。それは山岳部に入部したことだ。新しい人との出会い、自然との触れ合い、そのどれもが私を癒した。

中学から続いていた先生嫌いだが、ある時ネットで客観視に関する記事を読んで、人を憎むことは何も良いことを生まないと自覚し、人を嫌うことはなくなった。それから人に好かれることをしようと心がけるようになる。

高校2年生の修学旅行はイギリスとフランスで贅沢な体験だったと思う。ルーヴル美術館でモナリザを見たり、シャンゼリゼ通りを走ったりした。


エッフェル塔の前にて。

自分の誕生日にモン・サン・ミシェルに行けたのは最高の思い出だ。

高校3年の受験勉強は波があり、1日14時間勉強する日もあれば、何もしない日もあったりと極端だった。受験は3校受けて、第3志望の学校だけ受かった。

人生の夏休み、大学時代

大学では、真面目に勉強することもなく、サークル活動や友達と遊ぶことに明け暮れた。サークルは軽音部でパートはギター。

たぶんFLOWのGO!!を弾いていた私

大学2年の頃には、4ヶ月間のオーストラリアのパースへ留学にも行った。団体留学ということもあって、日本人が多くいた。結局日本語ばかり話していたので英語は習得できなかった。それでも多くの友達ができたし、日本と海外の違うところを多く見ることができ面白かった。今でもパースの海が恋しい。

パースの海と19歳の私

大学3年になるとゼミ配属があり、この頃から自分で文章を書くことの楽しさに気付いた。自分の文章を教授に褒められたのだ。

また、私の人生の中でも大きな成功体験となっているヒッチハイクに挑戦したのもこの年だ。大学の先輩がやっているのを見て、自分もやりたくなってすぐに挑戦した。東京から大阪を往復できた時は感動で胸がいっぱいになった。

ここまで順調に生きてきた私だったが、大学4年に上がった時、私は突然入院することになった。双極性障害という精神疾患を発病し、異常に気付いた家族が病院に連れて行ってくれた。詳しくは以下の記事に書いた通りだ。

2ヶ月ほどで退院できたものの、大学の勉強に大きく遅れをとり、留年することになった。周りと差をつけられ焦り、就活もままならなかった。自暴自棄になりゲームに没頭する日々が続く。APEXを毎日12時間くらいやっていたら、また留年した。

2022年9月に大学をやっと卒業することができ、私の学生生活は終わった。

ニート時代、そして今。

卒業後は、しばらくニートをしていた。

2023年の8月から12月にかけてはゲストハウスの清掃などもやったが、4ヶ月程度しか続かなかった。

2024年は、最近まで特に何もすることなく、家で相変わらずゲームばかりしていた。ところが、10月になってからランニングや筋トレ、読書を始めた。noteも本格的に書くようになった。バイトも始め、就労以降支援事業所(障害者向けの就活をサポートしている施設)にも通い始めた。

そして今に至る。



Q & A

もっと知りたい人向けに一問一答形式で自己紹介をしてみる。

好きな食べ物は?
HARIBO・プリン・カレー

好きなゲームは?
VALORANT・キングダムハーツ・VRChat

好きな本は?
ゼロ秒思考

好きな映画は?
プラダを着た悪魔

好きな色は?

大切にしている価値観は?
理想・美・正義・情熱・愛

朝方?夜型?
朝方

どんな性格だと思う?
優しくて明るい

一番好きな季節は?

自分の強みと弱みは?
強み:色んなことに挑戦する
弱み:計画力・継続力・実行力がない

今の目標は?
カウンセリングの資格を取る



振り返ってみると、嫌な記憶より楽しい記憶の方が多かった。なんだかんだ人生を楽しんでいる。もちろん辛いことも沢山ある。なんなら今年の半分くらいは悩みに時間を使っていたくらいだ。でも、それくらいで丁度良いと思う。平坦な人生より、上がったり下がったりリズミカルに進む人生の方がきっと面白い。

明日から始まる26歳は人生100年で見た時の第二幕(4分の2)のスタートだ。一瞬一瞬を大切にして、悔いのない日々を送りたい。


読んでくださりありがとうございました。
たけち(@takecheee_)でした!


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