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きびしいのにもきっと理由があるよね

パナソニックが公式noteを始めたらしい。そして、「#やさしさにふれて」というコンテストをするとのこと。

せっかくなので「やさしさ」について考えてみた。確かに、身の回りには沢山のやさしさが満ち溢れている。今日もコンビニのおばちゃんは『気をつけて〜いってらっしゃい』と声を掛けてくれた。良い人も沢山いる。でも、結局「やさしさ」を考えて辿り着いたのは「きびしさ」だった。

「やさしい」の対義語は「きびしい」。でも、「やさしさ」と「きびしさ」は両立する。「愛のムチ」なんて言葉は、まさに、きびしさの背後にあるやさしさを表現している言葉。私自身も、上司にこっぴどく怒られたときに、「自分の成長のためを思って叱ってくれてるんだろうな」と思ったことも度々ある。もちろん、めちゃくちゃ感情的に怒られたこともある。。。

子供用ロボット車椅子を研究していた頃、全くうまくいかないときがあった。大先輩の違う組織の共同研究者に言われた。

『お前はあの子供の成長を止めてしまっている』

正直度肝を抜かれた。というか、えっ。。。という気持ちになった。一生懸命やってるのになぁーとも思った。でもそれ以上にショックだった。

今になって思うと、言う方も迷っただろうなぁと思う。逆の立場になった時、今の自分は相手にそんな言葉を言えるだろうか?このままではいけないのはわかっているけど、どこまで言って良いもんだろうか。そんな葛藤を超えて、その大先輩は敢えて言ったんだろうと思う。

まさに『きびしさ』という『やさしさ』

ちなみにその研究は結果的には上手くいった。10年くらい前のことだけど、家に帰った時、涙が出たのを今でも明確に覚えている。後にも先にもそんな体験はあの時だけである。本当に良い経験ができたと思うし、あの時言ってくれた大先輩には今でもスゴく感謝している。

今回は改めて「きびしさ」と「やさしさ」について考えてみたい。そして、個人として何を大事と思っているか、つらつらと書いてみる。

言われる側からみた「きびしさ」と「やさしさ」

優しい言葉を言われたときと厳しい言葉を言われたときの、自分の心の中の状態を下図に纏めてみた。非常に主観的であるけど、なんなく分かってもらえるような気もする。

図3

やさしさもきびしさもあるときには、基本的には頑張ろうと思うし、きびしさだけがあるときには、短期的に凹むし、長期に続くと心が病む。かと言って、やさしさだけがあって短期的には嬉しいけど、長期的にはたぶんツラくなってくると思う。特にやさしくされ続けるだけというのは結構ツライ。逆にやさしさを与えたり、特にはきびしさが欲しくなるものです(個人の性格によるかもしれませんが・・・)

言う側からみた「きびしさ」と「やさしさ」

では、言う側からしてみたらどうだろうか。下図のような感じだろうか。きびしさとやさしさが両方あるときには、内心申し訳ないと思いながらも、ちょっと厳しいことを言っているのが多い。なぜなら、期待しているから。

図2

きびしさだけが先行するときには、我を忘れるほど怒り心頭になっているというのが最有力だ。逆に優しい言葉ばっかり掛けるときには、めちゃくちゃ相手に気を使って本音を言っていないか、利害関係もないし、どうでも良いよね~と思っていることが多い。

「やさしさ」のない「きびしさ」も「やさしさ」へ

お客さんのところへ行ったとき、「やさしさ」あり&「きびしさ」ありのセグメントに入ってくるお客さんは大事なことは言うまでもない。期待して頂いているのだ。期待に応えられるようにしなければならない。

それ以外はどうでも良いのかというとそうでもない。個人的には「やさしさ」なし&「きびしさ」ありというお客さんはすごく大事だと思っている。もちろん、こちらがダメージ受け過ぎないという意味もあるが、このセグメントは、我を忘れるほど「本気」で考えてくれているのである。厳しくするというのもエネルギーが必要。何かしら理想があって、そこに至っていないから厳しくなっている。何を理想としているのか、しっかりと探る必要がある。

その理想を踏まえて、これは合わないと思えば、切替えれば良いし、なるほどなと思うことが少しでも見つかるのであれば、是非そこは改善して次に繋げたい。多くの場合、次か次の次くらいには、「きびしさ」あり&「やさしさ」ありに変化してくるのではないかと思う。理想に向かって動き出した時、いつの間にか最大の味方になっているかもしれない。

もちろん、本当に何言っても厳しいことだけを感情の赴くままに言ってくる人もいるので、その場合は早めに諦めましょう。こちらの心が疲れてしまいます。。

「やさしさ」も「きびしさ」もある第三者

もう一つ大事にしたいのは、全く利害関係がないにも関わらず、「きびしさ」あり&「やさしさ」ありなことを言って頂ける方である。全く本人の直接的な利益にならないのに、ごく稀に本気で厳しいことを言ってくれる人がいる。繰り返しになるが、きびしさにはエネルギーがいる。そんな消耗行為をしてくれる人は大事にしないといけない。

私の周りにもしっかりと厳しいことを言ってくれる人がいます。正直、一瞬ムッとすることもありますが、あぁ、調子乗ったらダメだなと気付かせて頂けますし、そういう人は割と大所高所から他社も含めた俯瞰した状態で業界全体を見ているケースが多いようにも感じる。是非大事にしたい。


「きびしさ」の背後にあるモノを是非想像してみたい。そこでは自分には考えてもみなかった「やさしさ」に触れられるかもしれない。そして、その「きびしさ」は新しい創造の大きなヒントになるかもしれない。


今回は、いつもロボットトークとは少し違うテイストで書いてみました。
では、また来週~。

安藤健@takecando

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