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【後編】~言語の壁を乗り越える旅 オタワ編~ 世界は優しさ以上で想像不可能!? きっと“なんとなく”で出来ている②
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第5章(続き)
レニー反対派のラファイエ
翌朝になっても、昨夜の興奮が尾を引いていた。
そのせいかなかなか寝付けず、二度寝の誘惑が私をそそのかしてくる。しかし私の歩みがベッドへと振り返ることはない。
だって今日も私は、学校でレニーに会わないといけないのだから。
それにしても……いつもより早く家を出てしまうくらい、私は浮かれているらしい。
学校に着いてすぐ、遠方のレニーが私に気づいて手を振ってくれていた。
こちらも手を振りながら、すぐさま彼のもとへと駆け寄る。
「昨日は送ってくれてどうもありがとう」
「そんなことはお安い御用だよ。わかる? 英語を教えることはとても大変だけど、君を車で送っていくことはすごく簡単なんだ。僕が免許を取ったのは40歳の頃で、それまで誰かに『乗せてってー』といつも頼んでいたんだ。でも今は君を送っていくことができるし、それは僕の喜びだよ」
眩い笑顔でそんな嬉しいことを言われて、私の口角が緩まないはずがない。
ただでさえ浮かれていた私が、いっそう浮かれてしまうではないか。
だから授業の始まりを待っている間も、昨夜と今朝のレニーを思い返してはニヤついていたけど、どうかご容赦願いたい。
授業が始まり、レニーが本日扱う歌決めを行う。
生徒たちから次の曲について様々な予想が飛び交う中で、不意にレニーが私の名前を呼んできた。
「ナナ! キミのリクエストを訊こう」
「エルトンジョンの『Your Song』!」
「そう来ると思ってたよ!」
レニーがおもむろにバッグからCDディスクを取り出し、プレイヤーへとセットする。
もちろん、流れてきたのは『Your Song』。
この曲は前々から歌いたいと思い続けた私の大好きな曲である。しかしこれまで授業で歌う機会はなく、漠然とこのままこの曲に触れられないままオタワを去るのだと思っていた。
しかし先日のライブのとき、思い切ってレニーに相談してみると彼は快くOKしてくれて、こうして今日CDを持って来てくれたのだ。
彼との約束が果たされた瞬間だった。
レニーの生演奏で歌えないのはちょっぴり残念だけど、ないものねだりをしても仕方がない。そもそも彼はまだ、この曲を弾けないのだから。
むしろCDという手段を使ってでも私の願いを叶えてくれた彼には、いくら感謝してもし足りないくらいだ。
「この曲は、ナナたっての要望でね。彼女は来週オタワを去るから……」
レニーはそういいながら、グスンと手で涙を拭くようなマネをした。
「学校が最後になる日は教えてね! ちゃんとグッバイを言いたいからさ。みんなもそうだろ~?」
「「「Of course!」」」
レニーの問いかけに、生徒全員が大きく頷いてくれる。彼らとはそれほど接点がないのに、皆本心から言ってくれているようだ。
ここを発つのはまだ先の話なのに、もう目頭が熱くなる気分だった。
でも泣くのはまだ。それにどうせなら湿っぽくじゃなくて、ちゃんと笑って晴れやかな心地で旅立ちたい。
それはそれとして、ちゃんと授業も行われる。
CDをかけながら、レニーは『Your Song』の歌詞すべてについて、意味を丁寧に解説していく。
『I hope you don't mind that I put down in words』
サビに登場するこの歌詞について、私は当初『put down』の意味がわかっていなかった。
直訳すれば『置く』だけど、言葉を置くなんて訳し方じゃないのは私でもわかる。
正しい意味は『write down(書き留める)』。つまりは『僕がこの曲を書いたことを君が気にしないことを願う』という意味になる。
これは私の願いでもあった。
私がこれまでの旅行記を本に起こすとしたら、レニーのことは間違いなく登場させるだろう。でもそれがレニーの気に障って欲しくはない。だからどうか、あなたも気にしないで……。
休み時間になって、マレーシア人の女子生徒が声を掛けてきた。
「ナナはオタワを出るの?」
そうだよ、と私が頷くより早く、横からバングラデシュ人の男子生徒が答えてしまった。
「彼女はアメリカで結婚するんだ」
彼の反応に、マレーシアの女子生徒が口元に手を当てて目を見開いていた。
私も似たような反応になっていたと思う。
そもそもなんで結婚なんて話が浮上した? 相手はどこの誰か、是非とも私の前に連れてきて欲しいんですが!?
男子生徒に問いただすと、彼はどうやら私がシアトルで友達と会うという話を飛躍させてしまったらしい。結婚式に行くと話したのが災いしたようだ。それはICHIBAN を辞める口実としての話だったんだけど。
女子生徒に訂正し、正しくは各地を旅行で巡ることを伝える。
「Good luck!」
彼女からの何気ない応援で、私はいっそう今の選択に自信が持てた。
そして同時に胸が熱くなる。本当、私はいい人たちに巡り合えたのだと実感する。
話をしているとマレーシア人の女子生徒は、9月からここより一つ上のクラスへ行くとわかった。でもそれは彼女に限った話ではなく、ここにいるほとんどの生徒が上のクラスへ行くらしい。
そういうことなら、なおのこと8月の終わりに出ると決めたのは正解だった。
レニーを大事に思うのはもちろんだけど、彼の授業を共に受けてきた彼らとの出会いも私にとっての貴重の宝物だから。
レニーの授業について話しているうちに生徒が次々に集まり、気づけば会話の輪は大所帯になっていた。
みんながレニーとのこれまでに思いを馳せるが、無論集まった全員が別クラスに移るわけではない。
「レニーはすごくいい先生だから、まだレニーのクラスにいたい!」
そう主張する生徒も当然いるわけで。
その女子生徒の意見に、頭が取れそうなほど頷いていると、不意にアフリカ人男子生徒のラファイエが口を挟んできた。
「いつも歌ってばかりいるクラスはここしかない。ベイビーみたいだ」
Oh、藪からスティック。
みんなでレニーの良さを共有する空気だったのに、レニー反対派の彼は不躾にも会話の流れを一刀両断してきた。
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