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コスパの浪費

割引あり

コスパという言葉が社会に浸透してどのくらい経つだろうか。(知らん)

TVのロケで、SNSの投稿で、雑誌のページ、街の広告でコスパ最強!神コスパ!などの言葉をよく見聞きするようになった。

社会全体の価値観がコスパの良いモノ=良い(優れた)モノになっているようでなんとも言えない違和感を覚える。

ナニ、いや何を隠そう、ぼくはコスパという言葉事態が大嫌いなのである。

「タケヒロ!コスパ良い店見つけたから行こう!」
こんな誘われ方をするとちょっとため息が出そうにさえなる。

ぼくはコスパの良い店よりも君と美味い飯を食い、美味い酒を飲み、くだらない話でゲラゲラ笑いたいのだ。
その時間は*プライスレスであってそこにコスパもクソもないのだ。

*プライスレスとは、お金では買えない値段の付けられない価値、という意味の言葉である。

Weblio辞書:https://onl.tw/nu3CSex
よく見れば串が4本も刺さっている

このハンバーグのような(サイズは本当にハンバーグと変わらない)つくねは焼き鳥の値段としてはどう考えても高かった。
サイズが原因して焼くのにも時間がかかり頼んでから30分近く待ったのも覚えている。

しかし、これを先輩たちと「でけぇー!w」と言いながらゲラゲラ笑って食べた。

というこの思い出がぼくにとって物凄く価値のあることなのだ。

ちなみに奢っていただいたのでぼくは1円も払っていない。

コスパ重視の彼ら彼女らを見ているとどうもコスパの良いものを探すことが目的になってしまっていて、その対象の価値やそれに伴う経験などは後回しになっているようにしか思えない。

そういう価値観基準にはこのつくねの様な「手間暇かけた」という言葉は存在しないだろうと思う。

むしろそれは彼ら彼女らにとっては悪なのかもしれない。

ちなみにコスパの意味だがこれはコトバンクによると以下の通りらしい。

コストパフォーマンス(cost performance)の略語。 費用対効果。 支払った費用(コスト)と、それにより得られた能力(パフォーマンス)を比較したもので、低い費用で高い効果が得られれば「コスパが高い」と表現される。「費用」は金銭だけでなく時間・労力・精神的負担なども含まれ、「パフォーマンス」は、作業なら結果、工業製品なら性能食べ物なら味、ファッションなら材質・デザイン性、人間関係なら他人から得られるものなど、様々なことに使われる。

コトバンク:https://onl.tw/MQqRi7L

多くの場合で言われるコスパが良いとはようは安くて良いモノである。

このコスパの裏には隠れた要素がある。

それは徹底した無駄の回避である。

コスパ重視の彼ら彼女らはこの無駄というやつをとにかく嫌う傾向がある。

お金の無駄、これはお金の使い方を失敗したことによる。
時間の無駄、これは時間の使い方を失敗したことによる。

無駄とはつまり失敗であり、無駄の回避とは「失敗したくない」ということなのである。

確かに限られたリソースの中で最大限の効果を発揮できるにこしたことはない。

ただこのコスパ重視がぼくにはどうにも無駄を重ねているようにしか思えないのである。

身の回りのコスパ

コスパ重視が無駄を重ねているということに関しては後述させていただくとして、ここでは一度身の回りのコスパを考えてみたいと思う。

①動画配信サービス

今や当たり前の存在となった動画配信サービスだが、ぼくのような90年代生まれは子供の頃と言えばレンタルビデオ屋さんに足を運び、お目当ての作品を探し、レジでレンタル契約を交わさないと自宅で映画を見ることなどできなかった。

小学生のぼくは怖くて入ることができなかった

話題の最新映画なんかは朝イチで映画館のチケット売り場に行かないとその日分のチケットは売り切れてしまう始末だ。

ネットで事前予約など出来ずとにかく朝早く行って売り場の前に並ぶしかなかった。
99年公開のスター・ウォーズ エピソード1
01年公開のロード・オブ・ザ・リング
同じく01年公開のハリー・ポッターと賢者の石
上記3作品は朝5時から母親とチケット売り場に並んだのを覚えている。

そういった意味ではネット予約は非常に便利でありがたいサービスだと思う。

だがこれは単なる「便利」であって、コスパが良いという表現は当てはまらない。

話を戻すが動画配信サービスはぼくも使っている。(Amazon prime Video)

TV放送を見逃してしまったアニメや昔の映画などを見ることができて非常に便利だと感じている。

そしてこの動画配信サービスはとにかく安いのだ。
冷静に考えても安すぎるのだ。

映画館で最新の映画1本見るのに約¥2,000のこの時代に月額¥500〜で数えきれないほどの映画が手中に収まってしまうのである。

しかも自宅で見られますどころの騒ぎではない。

スマホ1台あればどこでも見られるのだから凄い。

映画館に足を運ぶ手間もなければ、高いチケット代(月額料金と比較して)を払う必要もない。

動画配信サービスはコスパの塊と言って問題ないと思う。

言い忘れたが、当然この動画配信サービスにはYouTubeなども含まれている。

②グルメ系比較・まとめサイト

「地名 ジャンル コスパ」で検索すると様々なまとめサイトが出てくる。

最近はネット検索よりも写真や動画がすぐに出てくるInstagramでお店を探す人が増えているらしい。

「#地名 ジャンル コスパ」といった具合だろうか。

やったことがないぼくには分からない話だ。(理由は後半わかる)

これもサイトやInstagramが今ほど盛んではなかった頃であれば雑誌を購入して調べていたのだろう。

旅行先のお店を調べるときなんかは特にそうだったように思う。

こういうやつ

しかし今はネットの時代、本屋にわざわざ買いに行かずとも片手の中のスマホ1台で有名なメジャー所から地元の人だけが知っているようなローカルな情報までが無料で手に入る。

しかもInstagramに関してはリール動画で紹介なんかされているもんだから紙媒体と比較してもよりイメージのしやすい高品質な情報が手に入る。

これはコスパが良い調べ方と言っても問題ないと思う。

動画配信サービスの功罪

動画配信サービスのおかげで誰でも簡単にどこでも映画などの映像作品を楽しめるようになった。

しかしあまりに大量の映像作品がいつでも次から次へと自分の好きなタイミングで手に入るお陰か、時期は分からないが映画は映像作品というアートの領域から抜け出し映像コンテンツと言われるようになった。(気がする)

つまりだ、映画は鑑賞するものから消費するものへと変わってしまったのだとぼくは感じている。

鑑賞は作品に接して、味わい、考え、理解することだが、消費はそうではない。

そこには味わう、考える、理解する、そんなプロセスは存在しない。

そしていつしかウケる作品というのは考えなくても理解できる作品になっていく。

鬼滅の刃なんかはいい例だ。

主人公の竈門炭治郎はよく喋る。
心の内も全てを省かずとにかく喋りまくる。

雪の降る中、敵に終われ崖から落ちようものなら「雪が積もっていたおかげで崖から落ちても怪我をしなかった」と説明までする始末だ。

そんなシーンあったかどうかも正直覚えていないが竈門炭治郎という男はとにかく何でもかんでも説明する男なのである。

これに対してぼくが思うことはこうだ。

「そんなの見りゃ分かる」

雪が降って積もっているし、落ちたときの音も「ボフッ」のような何か柔らかい物の上に落ちた音なのだから。

しかし悲しいかな、多くの人はその喋りまくる竈門炭治郎に違和感を覚えないらしい。

2020年に公開された映画で鬼滅の刃は世界1位の興行収入になり、 国内の興行収入はなんと約400億円らしい。

みんなが口を揃えて「よかった」「面白かった」「感動した」などの感想を言っていたのがまだ記憶に新しい。

確かに煉獄さんの殉職には少し泣いた。

それと比較して宮崎駿の最新作「君たちはどう生きるか」はどうだろうか。

この作品に関しては感想が割れているような印象だ。

「理解できない」「難しい」「面白かった」「さすがパヤオ」

などの感想を耳にする。

ちなみにぼくも鑑賞済みだが個人的には物凄く好みの作品だった。

竈門炭治郎とは正反対、主人公はおろか登場人物は誰も何も説明をしてくれない。

意味の分からない概念が現れても何も説明がない。

まるで宮崎駿から「見て感じて考えてみろ」と言われている気分になる。

だがそれがぼくがこの作品を面白く感じた理由でもある。

ぶっちゃけ内容に対して理解は追いついていない。

だがそこを考えるのが面白いわけで。

竈門炭治郎のように考える暇もなく椀子そばのように次から次へと答えを投げも込まれたら全くもって面白くないのだ。(あくまでぼくは)

頼むから考える機会を奪わないでくれ。考える力を失ってしまう。


魔性のショート動画

前述したようにコンテンツと化した映像作品たちは鑑賞されることなく、とにかく消費されまくる。

10秒飛ばし、倍速再生、イントロスキップ、エンディングが流れ始めれば次のエピソードへ。

少し落ち着けと言いたい。

1つの作品を終わればすぐに別の作品を見始める。

もう終わりがない。

そして次のようになる。

「朝から動画を見てて気付いたら夕方になっていた」
「夜から見始めたら朝になっていた」

これを聞いてどう感じるかは価値観の違いもあるだろうから正解はないがぼくはこう思う。

「時間がもったいない」
「大事な何かを失っている」

正直に言えば、ぼく自身も経験がある。

特に危険なのが再生時間の短いショート動画だ。

InstagramやYouTubeで猛威を振るっているあれだ。

ユーザーの好みに合いそうな動画を次から次へと永遠に提供してくる。

面白ければ指を止めて見る、そうでなければ2秒以内にスワイプだ。

ほんの数秒の出来事なのだがこれが気づくと数分、数十分、数時間と時間が経っているから恐ろしい。

そして気づく「あぁやってしまった」と。

しかし時すでに遅し、失った時間は戻ってはこない。

貴重な休日、日々の睡眠時間をこれで奪われた人は少なくないと思う。(当然ぼくもその1人だ)

果たしてこれはコスパがいい時間の使い方だったと言えるのだろうか。

無論、この問いの答え、ぼくはNoだ。

睡眠時間を奪われた時点で絶対的にNoだ。

これはぼくにとって紛れもなく時間の無駄使いだ。

コスパが良いからと思って使い始めたサービスで時間を浪費した。

コスパの無駄使い、つまりコスパの浪費だ。

失敗したくないからコスパを求めたはずなのに、結果的に時間の使い方を大失敗しているのである。

矛盾もいいとこである。

無料のエロ動画サイト

さてここから先は少しばかり大人向けの内容が混ざってくるので有料とさせていただきたい。

と言っても100円だ。

決してコスパは悪くないと思うが読み終えてコスパが良かったと思うかどうかは皆さん次第だ。

申し訳ないがそこにぼくは責任をもてない。(もつ気もない)

100円払っても読んでいいと思った皆さんだけが先へ進んでもらえたらと思う。

損をしたくない方のために、一応、購入された方々の感想をいくつかここに提示しておく。


さて、100円というコストを払ったあなただけに見せたいものがる。

下の画像は世界でアクセス数の多いサイトTop100を視覚化したものだ。

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