初めて飲んだスクリュードライバーの想い出。(亡くなったマスターを偲んで)
母の旧友の、ジャズバーのマスターが亡くなったそうだ。77歳。
母は若い頃から芸事を教えており、
稽古の後にはお弟子さんたちと会食し飲むことも多かった。
そのジャズバーは、仲間と行くこともあるが、
主に1人で飲みたい時に足を運んでいたようだ。
◆
富山の繁華街から一つ通りを入ったところにあるその店に、私も数回お邪魔したことがある。
1度目は中学生か高校生だったように思う。
(母は私をたまに大人の集まる場に連れて行き、
そこでの振る舞い方を学ばせる癖があった)
マスターは微笑み、カウンターへ通してくれた。
サンドイッチや、ナッツやポッキーなど
私でも食べられる何かを出してくれたと思うが
そこは細かく覚えていない。
強烈に覚えているのが、
スクリュードライバーを出してくれたことだ。
アルコールを入れずに作ってくれたのだが、
シェイカーの音、
グラスの形、
オレンジの皮をカットし
グラスに飾り付けてくれたこと
目の前にグラスを差し出された時
スポットライトが当たったように
光って見えたこと
今も鮮明に覚えている。
マスターは、我々親子にかかりきりにならず、
すっとなにげなく他の作業をする。
でも、また、良き頃合いに話を振ってくる。
母は言った
マスターの、来て欲しい時にはカウンターの前に来てくれて、外して欲しい時はスッと外してくれる、その感覚が絶妙で心地よいのだ、と。
気の置けない友人が少ない母にとって
マスターのいるこの店は
心を落ち着けたり、
家に持ち込めない気持ちを吐き出したりできる
稀有な場所だったのだと思う。
◆
外出自粛が続いたり、
母も体調が優れなかったりで、
そのバーには数年行けていなかったようだが、
たまたま、4月の終わりに
母と、母の友人と2人で行ったそうだ。
マスターとその時会っておいてよかった
「黄昏のビギン」を歌ってくれたようで、
その歌声を思い出すと言っていた。
私もその曲を聴きながら、
今日はマスターを偲ぼうと思う。
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