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高度経済成長期までは、ほとんど存在しなかった

 これまで見てきたように、調理や育児は明治時代から戦前にかけて女性に押し付けられてきた。また、良妻賢母という新しい方針で、母親は子どもの教育まで行わなければならなくなる。そこまで役目が増えたのなら、家にいて家事をこなすだけの「専業主婦」も明治時代に始まったと思える。だが、専業主婦という言葉は、わずか55年ほど前、1960年代から70年代にかけて呼ばれ始めたものなのだ。
「男は外に出て働き、女性は家を守る」というのが、家族主義のあり方だと強く信じている人はいる。そのため、「誰のおかげでメシが食えていると思ってるんだ!」という暴言を吐く夫もいる。そのうえ、自分の稼ぎが少ないにもかかわらず、妻がパートに出ること嫌い、恥だとすら思う男性もかつては少なからず存在した。
「男は仕事、女は家事」という役割を求める先は、江戸時代の武士にあるだろう。時代劇でもよく見られるが、夫が勤めを終えて帰ってくると、妻が三つ指をついて迎える。そして大小の刀を預かり、夫のあとに続いて屋敷の奥へ従う。これを理想とするのだろうが、あくまでも理想であって現実ではない。
 まず、江戸時代の人口における武士の割合は10%にも満たない。ほとんどが農民のため、女性でも野良仕事をする。町民であっても、商家は女将が商いを仕切り、職人の家でも妻が仕立てなどの副業や物売りをして収入を得ていた。下級武士は薄給だったので、家の外には出ないにしても妻が内職で家計を助けていた。また大名や旗本クラスでも正室は奉公人の管理をする仕事があり、将軍家であっても御台所は大奥の筆頭としての役目がある。これは大名や京都の朝廷や公家も同じだ。
 つまり江戸時代以前に、働いていない女性など存在しない。家事だけに専念するなど、とても無理な状況だったのだ。
 明治時代に入ると女性も教育を受け、知識と技術を得る。良き妻、賢い母を目指して切磋琢磨するわけだが、何も家事だけをこなしていればいいというわけではなかった。
 資本主義経済の採用と急速な近代化により、日本では慢性的な人手不足に陥る。家父長制度であぶれた農村出身の次男、三男だけの充足は難しく、補充・補足要員としてあてにされたのが女性の労働力である。
 日本の工業で目覚ましい発展を遂げたのは繊維工業だった。特に日本の絹織物は世界でも評判で、貴重な輸出品目となる。ただ、繭から糸をとる繊細な作業は男性よりも女性に向いている。女性たちは繊維工場で働き、日本の産業を支えた。
 そのほかにも、教員、看護師、助産婦、電話交換手など、活躍の場は広がる。追い打ちをかけたのが1904年から05年の日露戦争だ。
 この戦争で日本軍は9万人近い死者を出し、多くの戦争未亡人を生んだ。ちなみに、当時の人口増加率は12%前後が平均だったのに対し、日露戦争の終わった年とその翌年は9%に8%と2けたを割っている。
 働き盛りの男性が少なくなり、一家を支えなければならない女性が増える。一方で、戦争の勝利によって国際的地位が高まり、貿易や軍事産業に代表される重工業も発展する。ますます女性の労働力が必要となってくるのだ。
 だが、当時の民法では、既婚の女性は無能力者とみなされていた。そのため、法律行為を行うには夫の許可が必要だった。そんな背景もあり、女性は低賃金かつ福利厚生もない状態での就労を強いられる。企業は男性の働き手が育つまで、調整弁として女性を雇用する。この辺りは、現在の非正規雇用に似ている。
 それでも、たとえ中途半端な立場であったとしても、女性の勤労意欲が損なわれることはなかった。都会ではサラリーマン家庭も増加するが、それでも共働きも増える。1933年の『経済座談』という書物には、「ちかごろ共稼ぎがだいぶ増えたと言われるが、サラリーマンにそういうのが増えただけだ」とあり、雑誌『主婦之友』1921年6月号には「職業婦人の悲痛なる叫び」として、子連れ禁止だった学校に勤務する女性教師が「こづかいさん」(用務員)に頼んで、用務員室で授乳したという手記が掲載されている。
 しかし、男性の労働力が回復し始めると、国は女性の主婦化をすすめる。1934年、松田源治文部大臣が国会で「日本婦人は夫を援けるもので解放すべきものではない」と発言。38年にはナチスドイツの「母よ家庭に帰れ!」というスローガンに呼応して、愛国児童協会が「母よ家に帰れ運動」を実施する。理事は「ヒトラー総統はすでにやっていたのに、われわれ日本人がはじめるのが遅すぎたくらい」と同年11月16日付夕刊の朝日新聞紙上でコメントしている。さらに翌年、勧業銀行は、結婚奨励のため女性の2 8 歳定年制を実施した。
 それでも現実には、「貧しい家庭の女性は、家庭に帰りたくても働かなきゃならないから帰れない」(読売新聞1936年3月28日朝刊)と、女性解放運動家の平塚らいてうが反論するように、夫の収入だけでは生活の成り立たない家が多かった。さらに日中戦争から太平洋戦争へ至る戦時下になると、男性の数は激減。女性は働かざるを得なかったのである。
 やがて戦争は終わり、連合国軍総司令部(GHQ)の指導もあって女性はようやく解放される。だが、戦後の復興が終わると、日本に訪れたのが未曽有の好景気である。
「高度経済成長期」と呼ばれる時代の到来で、企業は大勢の社員の獲得に奔走する。給与は基本給だけでなく、住宅手当や家族手当なども上乗せして支給。福利厚生も手厚く、厚遇をもって労働力を確保したのだ。また、農業、漁業、林業といった第1次産業から、第2次、第3次産業へ転身するものも多く、「金の卵」として地方から都会へ中学を卒業したばかりの少年たちを集団就職させたのも、このころだ。
 著しい都会の人口増加に伴い、団地も建設された。洗濯機や冷蔵庫といった電化製品も普及し、家事への専念を望む主婦も増える。夫の収入に余裕があるのだから、妻が働く必要はない。しかも、核家族化で舅・姑と暮らすわずらわしさもない。専業主婦の誕生である。
 年功序列、終身雇用が当たり前で、景気が右肩上がりの時代、将来に不安を持たない男性には、自分の働きだけで家族が養えるという自信を持つ。それと同時に、妻を家に閉じ込めておくことで、一家の主としての自負を得る。
 だが、景気が不安定で少子高齢化によって労働力不足が顕著になった今、ふたたび女性の働きが求められてきた。そうなると、男性も家事を分担する必要が出てくる。古い考えは、もう通用しない。専業主婦という理想は、もはや幻想に代わりつつあるのだ。

 「日本人が大切にしてきた伝統のウソ」(河出書房新社)より
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