一貫性なんてなくていい
人って、なんで一貫性を求めたくなってしまうんでしょうね。
他人にはもちろん、自分にもけっこうそういうところありませんか?自分の大元になるパーソナリティがあって、そことは矛盾するような行動を取ってしまうと罪悪感を覚えたり、なんだか自分のそんな気持ちがニセモノのように思ってしまう。
例えばそれは、
一人でいるのが好きなのに、誰かとの繋がりを求めてしまう自分。
制限されず自由に動きたいはずなのに、組織の中でいることに安心感を覚えてしまう自分など。
どうして筋の通った一貫性のある行動ができないんだろう?自分の核は一体どこにあるんだろう?
なんだかちぐはぐな自分に居心地が悪くなってしまって、一貫性を求めたくなってしまうんですよね。
でも、そもそも人間だれしも矛盾の塊
。
どこをつついても統一感があって一貫性のある人間なんて、存在しません。てか、それってもはやロボットみたいで怖いし…。
私は普段、会社員として人事のお仕事をしています。採用面接もしたりするんですけど、うちの上司がこの辺に厳しい人で。
「言ってることに一貫性が感じられない。不採用」
とか言っちゃうわけですよ。
だーかーらさーーーー。
人間に一貫性なんてないの。あれもやりたければこっちも好きで、常に自分でもわけの分からない衝動や矛盾を抱えて生きているの。むしろ、面接で一貫性見せているのは、一生懸命作っているんだと思っているくらいですよ、私は。
ところで、この一貫性問題、もちろんライティングにもかなり関係してきます。
「発信の軸がしっかりしていなくちゃ!」
「本題と関係ないことは書いちゃいけない」
なんだか、そんな鬼きびしいルールを自分に課してしまい、文章が書けなくなってしまう人っていますよね。あ、私のことなんですけど。
好きに書いたらいいのに!書き散らかしたらいいのに!
しかし、テーマが散らかった統一感がない文章に人は居心地の悪さを覚えるわけです。これで良いのか?と苦悩するのです。
でも、私がたくさんの人の文章を読んできて分かったのは。
その人の軸は発信しているテーマに宿るのではなく、その人の想いの中に宿るということ。
好きな食べ物について書いていても、ある時は政治経済について語っていても、その人の核って、ちゃーんとその根底に脈々と流れているのがわかります。
どんな思いを持っていて、何を大切にしているのか。
だから、表面的な一貫性なんてなくても大丈夫。そんなもん、持たせようとしなくたって、もう既に勝手にあるものだから。
人間は、矛盾に満ちた生き物だけど、核もちゃんと持っている。
私たちがすべきことは、自分に一貫性を持たせようとすることではなく、いつでも本当の気持ちを表現できるようにしておくこと。
その核が自分でも分かるように、常に自分の本音に正直に生きることです。
おしまい。
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