ハウスメーカー住宅ができる世界の仕組みと意味|住宅産業論【ダイジェスト】
まさかの遠隔授業でのスタートとなって、昨年度までのパワポやら配布資料やらを大幅に再編集することからはじまった今年度。ようやく、その半期が終わろうとしています。今になってみれば、授業内容・資料を見直す機会になっただけでなく、見る・読むパワポにしたことで、毎回、図版を集め直し、テキストを一章ずつ書き下ろすような体験にもなりました。
そんな授業の一つである講義「住宅産業論」について、ダイジェスト版を備忘録的に書き出しておこうと思います。
⽇本の家づくりに⼤きな影響⼒をもつハウスメーカーは、主に1960~70年代にかけて続々と誕⽣しました。なぜその頃に多くのハウスメーカーが⽣まれたのでしょうか。そして、⽇本の家づくりにどんな変化をもたらしていったのでしょうか。
世間でハウスメーカーについて語られる内容は、提灯記事的に称賛する内容だったり、反対に住文化の破壊者として告発する路線だったりと、両極端な場合が多い。まずは、いずれの立場に立つでもなく、功罪ともに並べて観察してみよう。そんなスタンスでゆるりゆるりと展開。
授業資料をオンデマンドで放流し、毎回Zoomや課題掲示板で意見交換する授業方法をとりました。受講生たちからの率直な意見、新鮮な感想は、わたし自身のなかの新たな「問い」を育む種にもなりました。感謝。
以下、毎回のトピックスについてメモ書き的に書き出します。
1 ガイダンス:ハウスメーカーが住宅をつくる世界
どちらかというと建築学科で学ぶ理想的・本来的な技術・知識とは違うつくられ方で、わたしたちの身の回りの「住宅」はできあがっています。
敷地を読み、施主のライフスタイルや価値観を把握し、時には相反する要望を諸条件を解きながら「オンリーワン」の家をつくることが大事だと思うと、カタログに載り、「商品」となった住宅を提供する「住宅産業」には違和感を抱く学生さんも多々います。
また、日本は古くから木の文化が育まれてきた国で、日本の気候風土から生まれ、匠の技が光る木造住宅が建てられてきたというお話もあります。そして、戦後、高度成長の過程でそうした日本の優れた住文化が破壊されてしまった、といった語られ方も耳にします。
本当にそうなのでしょうか。まぁ、そういう側面もあります。ただ、話はそんなに単純ではありません。この講義では「ハウスメーカー住宅ができる世界」が「どのようになっているのか」「なぜそのようにしているのか」を、日本の家づくりの過去、現在、そして未来を通して読み解きます。
講義は大きく「現在編(1~4)」「歴史編(5~10)」「展望編(11)」にわかれます。
2 緊急事態宣⾔下の家づくり
新型コロナウイルスへの対応として、大手ハウスメーカー各社はバーチャル・モデルハウス体験、間取りシミュレーション、オンライン相談などを展開。不要不急の外出自粛であっても「おうちで家づくり」ができるよう、あの手この手を投入しました。ただ、これらサービスメニューの一つひとつはコロナ前からあったもの。謳い文句や装いを変えてはいるものの、ベースは「インターネット住宅販売」と同じものです。
あらかじめ用意されたプランを選び、多少のプラン変更、屋根形状や外壁の着せ替え、設備・仕様の選択などを経て、概算見積もり・資金計画がネット上で完結するサービスは、「対面販売」が鉄則だった家づくりを揺るがすものでした。「何をもって住宅購入者は『安心』するのか」が変化してきた状況がその背景にはあります。
ネット住宅販売は、さらにプラン・仕様を限定し、東日本大震災や熊本地震の際に「震災復興支援住宅」としても市場投入されました。低価格・高品質・短工期を実現する仕組みは、ネット住宅販売の転用で実現したのでした。「対面販売」を覆し「実物見学」のハードルをも乗り越える(リアルだけどソノモノではないモデルハウスよりも、バーチャルだけどソノモノな画像のほうが信じられるという心性)インターネット住宅販売の世界。変化を加速したのが新型コロナウイルスなのでした。
3 カフェを併業する住宅会社
住宅会社が家具・雑貨や観葉植物などを販売するだけじゃなく、カフェやレストランも経営することが珍しくなくなりました。住宅会社がカフェやレストランを併業する。そんな動向は、戦後社会において一般的だった消費モデル「価格訴求・便利さの実現」が、次第に「価値創造・嬉しさの創造」へと移行しつつあることの住宅産業界への顕れとみることができます。
住宅会社は「家というモノ単体を売る」のではなく「住まう・生きるための価値を提供する」役割を担う。業種という縦軸から生活価値という横軸へ。主要取扱商品で分類する業種枠では捉えられなくなりつつあります。「横軸」的な見方をすれば、「併業」ではないわけです。
こうした、生活全体を〈感性価値〉(もうこの言葉も懐かしいですが)に沿って提案・提供する姿勢は、大手ハウスメーカーの生き残り戦略〈エコ&スマート〉による無差別マーケティングへの逆張りになっているようです。
もはや、かつての「売り込み」営業スタイルは敬遠されます(「営業」という呼称を用いない会社も多々)。未だ明確に「価値」を捉えていない顧客に学習の機会を与え、価値観に触れる体験をデザインすることが住宅会社の役割へ。〈教育産業化〉する住宅産業。
業種が解体されると、あわせて職種解体をも引き起こしていきます。カフェも、そこで働く人も生活価値を表現した「展示場」となるのだから。もはや設計も工事も事務も、そして顧客もが営業マン機能を担う時代。
こうした動きと並行するのが、体験型集客イベントや、リゾート型展示場、さらに宿泊体験モデルハウスやライフスタイルショップを集めたマルシェ、フェス。そして極めつけは、昨年話題になった「モデルファミリー付きモデルハウス」。独身者に家族を持つ喜びを体験してもらう場所としてモデルハウスが浮上した「事件」でした。
4 建築家との協働
「設計事務所、ハウスメーカー、工務店の長所・短所」、「“一品生産=建築家”VS“大量生産=ハウスメーカー”」という図式では見えなくなってしまう“家づくりの現在”について解説。
グロピウス、ル・コルビュジエ、プルーヴェやフラーといった「前史」から、篠原一男、大野勝彦、鈴木エドワード、難波和彦、アトリエ・ワンなどなどのハウスメーカーとの協働、さらには「デザイン・カーサ」など工務店との協働について紹介しました。
住宅工業化の夢。「多くの人が質の高い住まいに暮らせるために技術と芸術の力を結集しよう!」という建築家・デザイナーたちのロマンが込められていました。でもその試みは〈大量生産〉に注力しても〈大量販売〉への関心は薄かったこともあり、広く社会へ一般化することはありませんでした。
大量生産を夢見て一品生産に終わった苦い歴史から時を経て、ハウスメーカー草創期へ。よく知られるのが、大野勝彦と積水化学工業による工場生産住宅「ハイムM1」(1971)。1960-70年代は、建築家が住宅“工業化”への夢を胸に、住宅産業とともに優れたプロトタイプを模索した時代。
そしてバブル期の80年代はむしろデザインボキャブラリーの豊富化=住宅“商品化、さらには商業化”へ向けて建築家の意匠がコモディティ化(積水ハウスが早川邦彦、伊東豊雄ら6人の建築家と協働した「イズ・プレタポルテ」は1987年)。
90年代後半~2000年代にかけては、モダニズムリバイバルの流れに乗って、モダン=カッコイイを体現するアイコンとして建築家とのコラボが再来していきます(大和ハウス工業×鈴木エドワード「EDDI'S HOUSE」2002年、無印×難波和彦「木の家」2004年、無印×隈研吾「窓の家」2007年)。
何度となく試みられた「建築家とハウスメーカーの協働」は、時代により思惑は変わっても現在まで続いています。2010年代、ミサワホームAプロジェクトや三井ホームクリエイティブパートナー。あるいは、タマホーム×塚本由晴「タマまちや&タマロッジア」やcasa建築家シリーズ(カーサプロジェクト)などが登場。高級路線のブランド力向上とローコスト路線(安カッコイイ)の意匠性向上という両極に分岐しているように観察できます。
「設計事務所、ハウスメーカー、工務店」という三者が互いに協働しながら住宅産業の歴史は進んできたのでした。
5 1940s|住宅産業は戦争によって準備された
住宅産業の歴史編へ。そのスタートはミゼットハウスでなく、敗戦後の住宅不足でもなく、60年代住宅産業ブームでもなく、1941年の住宅営団設立あたりから辿ります。
〈住宅産業〉というコトバは1968年、内田元亨「住宅産業-経済成長の新しい主役」が初出というのが教科書的な記述。でも、さらに遡って1944年、〈住宅産業〉と名付けて住宅がつくられる世界を考察したのが建築学者・西山夘三『國民住居論攷』です。
同書第五編「住宅産業」では、住宅産業の再組織や建築単位、基準寸法などを論じており、その内容は戦後ハウスメーカーが直面した課題と数多く重なり合います。そこで西山夘三の食寝分離論や、その研究の土壌となった政府の労務者住宅供給を担う国策機関「住宅営団」の活動、さらにその背景にあった「国民住宅」論から〈住宅産業〉を辿ります。
戦争は住宅を奪うと同時に与えもする。戦争中、庶民の住宅が厚生省の管轄になり、戦後は戦災復興院、さらには建設省、その後、通商産業省も関与するようになった展開は、住宅とは何かを考えるヒントになります。総力戦は社会のなかに分散・潜在していた動きを統合し、加速させます。生活改善運動や住宅計画理論、住宅の系統史的な記述などが「動員」されていく。労働力も居住空間も、戦争遂行の資源として見出される。戦争は合理化・科学化・計画化・システム化へ向けた千載一遇のチャンスと見なされるのです。
国民住宅、新興木構造、木造家屋防火改修、代用建材、建築新体制、防空理想都市、建築設計資料集成…。戦後の住宅「産業化」へとつづく“種”が戦時体制下に編成されていった状況を紹介しました。住宅産業は戦争によって準備された。
6 1950s|公庫・公営・公団住宅がもたらしたもの
住宅産業の歴史、第2回は1950年代。恒久的な仕組み=「住宅金融公庫」「公営住宅」「日本住宅公団」が設立。「戦後住宅政策の3本柱」だとか「三公制度」と呼ばれることになる仕組みができあがりました。
「三公」はそれぞれ戦後社会に豊饒な恩恵をもたらします。全国津々浦々に一定水準以上の住宅を建設することが可能となった「住宅金融公庫」、低所得の人々にも「食寝分離」や「不燃・耐震」が実現されたRC造住宅をもたらした「公営住宅」、戦時に建築家たちが夢想した防空理想都市が現実のものとなった「日本住宅公団」。
その一方で、コインの裏表のように意図せぬ結果がもたらされていきます。公営・公団住宅に組み込まれた「ダイニング・キッチン」は戦時国民住宅の計画理論が現実化したものですが、国家による水準切り詰めへのプロテストから、それさえ確保されればヨシという免罪符として機能していきます。
また、中間所得者層を対象としたはずの「住宅金融公庫」も「男の甲斐性」「恒産なくして恒心なし」といった観念が混然一体となって〈持ち家至上主義〉を形成することに。本来、持ち家を所有するはずではなかった人たちまで、住宅ローンに急き立てられる状況が生まれます。
1950年には「割賦三社」と呼ばれる殖産住宅、太平住宅、日本電建も立て続けに誕生。月賦住宅、お金を借りて家を建てる文化が確たるものになっていきました。住宅金融公庫や月賦住宅は、それに携わる大工さんたちが、請負契約締結のために法人化することを求めて生きました。
朝鮮戦争の鎮静化であぶれた重化学工業の生産力を振り替えるべく、軽量鉄骨造住宅の模索が進んだり、日本住宅公団による大規模な宅地開発ノウハウの確立など、1960年代以降、ハウスメーカーが興隆するための「露払い」が次々に行われたのもこの時代。
そんな1950年代の最後の年、1959年に大和ハウス工業「ミゼットハウス」が発売。大工さんも建築申請も不要。明朗価格でデパート展示即売。3時間で建つ。住宅が「請負」から「商品」へ踏み出した瞬間でした。
7 1960s|ハウスメーカーの誕生
「ミゼットハウス」の翌年には、積水ハウス産業(現在の積水ハウス)による「セキスイハウスA型」(1960)が登場。今度は水回り付、一人前の平屋建て一軒家でした。そのプランを見ると、食寝分離・隔離就寝、ダイニングキッチンが実現されていることに気づきます。積水化学が母体なだけに、主な材料は鉄・アルミ・プラスチック。外観も未来感あふれる斬新さ。
大和ハウス工業(1959住宅販売参入)、積水ハウス(1960設立)に続きパナホーム(1963設立)、ミサワホーム(1967設立)といった、私たちがよく知る大手ハウスメーカーが1960年代に次々と登場。しかも、その多くが異業種からの参入でした。当時の広告をみると、プレハブ住宅=これからの「国民住宅」と謳われています。庶民の手に届く高水準な住まい=「国民住宅」実現の夢がプレハブ住宅に託されたのです。
そんなプレハブ住宅も、平屋建てから二階建てへと進化し一人前の住宅として認知されるかと思いきや「プレハブ=画一的で安普請」というマイナスイメージを払拭できず苦戦。従来の規格型住宅から、外観や間取りの多様性を確保すべく路線変更を図ります。「規格型」から「イージーオーダー方式」へ。
屋根形状・勾配を複数バリエーションとしたほか、総二階以外にも二階を乗せられるようにしたり、プランの凹凸も対応可とし、内外装の高級化も進めることに。でも「規格住宅を多様化したらプレハブ住宅のメリットが無くなる」本末転倒に至ります。ハウスメーカー各社は一旦は舵を切ったイージーオーダー方式を見直すことに。
この「規格型」から「イージーオーダー」へというハウスメーカーの趨勢から見事にズレた存在がミサワホームの商品展開。競合他社が「プレハブ感」満載の「規格型」を売り出していたころ、同社は「フリーサイズ」と名付けられた自由設計商品を主軸に成長。他社が「イージーオーダー」に転換した頃、ミサワホームはむしろ「規格化・合理化」しかも「平屋建て」を売りにした「ホームコア」を販売し、これまたヒット。1960年代のプレハブ住宅を俯瞰すると、ミサワホームの「ヘンタイ」さ加減が突出しています。
住宅産業の振興期、まだプレハブ住宅の定番が定まらなかった時代の住宅群には、これからの住まいを造るぞ!という熱意と、試行錯誤のドラマにあふれています。
8 1970s|商品化はどう展開したのか
「規格型か自由設計か」というジレンマを乗り越えるべく、1970年代に入ると、工業化をさらに高め、高性能かつ低価格を推すことで、在来木造との差別化を行う「高度工業化路線」が進展。その代表格が「セキスイハイムM1」(1971)。
ところが、それもまもなく日本はオイルショックにみまわれます。一世帯一住戸が実現された住宅業界において、つくれば売れる時代は終了。1970年代後半にはプレハブ住宅本来のメリットを確保するためプランとスタイルを限定しつつも、プランニングにおいて独創的なコンセプトを表現し自由設計にはない魅力を持たせた「企画型住宅」の時代に突入します。
「ミサワホームO型」(1976)は素人の注文は受け付けず、徹底した研究とマーケティングに基づき提案する「主張のある家」。これまでの常識を覆す正方形・総二階は当時まず売れないと言われていたのに、巧みなデザイン力とコストパフォーマンス、購買意欲をあおる独特な広告などによって一万棟を売り上げるベストセラー商品となりました。他社も続々と「企画型住宅」を市場投入することに。
1974年にはツーバイフォー工法が日本でオープン化、三井ホーム創業。この動きは同時に木造在来構法を進化(?)させる契機にもなります。大工・工務店の領域にあった木造在来も工業化・産業化に飲み込まれていくことに。
融通が利かない「規格型」のマイナス面を商品力でプラスに転じる「企画型」への転換。これを下支えするのがプラン分析やマーケティングを駆使した商品開発。ところが、熾烈な商品開発競争は差別化どころか、回り回ってどれも似たり寄ったりの画一化をもたらすことに。結局「企画型」は「自由設計」との折衷へと着地。プレハブ住宅の定番として路線が固まったのでした。
9 1980s|質向上と個性化・多様化への対応
1980年代。前半はオイルショック余波の低成長期、後半はバブル景気へGO!。住宅の「量」が確保されたとあって「質」向上への対応が続きます。建設省住機能高度化推進プロジェクト、センチュリーハウジングシステム、基準法新耐震設計基準、公庫高規格住宅割増しなどが矢継ぎ早に打ち出されます。
1970年代後半から顕著となった「企画型住宅」の流れは、80年代前半には価格帯を抑えた商品住宅として展開。バブル景気に突入した80年代後半にはバブリーな商品住宅へと変化。その代表が海外の住宅様式を模した洋風住宅であったり、積水ハウス「イズ・シリーズ」で街の財産でもあったりと、個性化への対応が充実していきます。住宅の「個性化」や「多様化」により、画一的だった住宅産業はようやく幅広い選択肢を提供可能になりました。
並行して70年代半ばから活発化していた構法の多様化・機械化が。ツーバーフォー移入。それに対抗した木造在来もプレカット工法が急速に発展。ツーバイフォーも工場でのパネル化等の改良がなされ、さらには木造在来自体も「新木造」としてより合理的な姿へと変わっていくことになります。
1980年代における木造住宅の動きは、建設省住宅局による木造住宅合理化、日本建築学会による在来構法研究懇談会とも連動しています。大工の人手不足や高齢化への対策であると同時に、徒弟制度から訓練所へ、電動工具の出現、新建材化・住宅部品化の進展などなどで目指されるのは、木造住宅の復権のようにみえて〈産業化〉への道でもある。
プレハブ住宅が全国展開できたのは、各地の大工さん・職人さんたちのおかげ。彼らを組織化し、下請施工・代理店施工組織として系列化していく「家づくりのシステムが解体・再編成される過程」が住宅の産業化でもありました。住宅産業は大工さん職人さんたちの建築技能に依存しつつも、生産性向上・コストダウンの要請から、そうした人たちを無技能工化していく側面もあったのです。
10 1990s以降|総合家電化する住宅
歴史編のしめくくりは平成期30年間の住宅産業。バブル崩壊から阪神淡路大震災、オウム真理教事件、米国同時多発テロ、リーマンショック、東日本大震災といった惨事が続いた激動の平成時代の住宅産業を振り返り。
まず、中小工務店支援に向けた「新世代木造住宅供給システム」が建設省より発表。80年代から活発化した木造在来工法の合理化を受け、ついに中小工務店の営業・設計・資材調達・施工・維持管理に至る技術・ノウハウもまた合理化・産業化されていきます。
また阪神淡路大震災やシックハウス症候群の教訓から、耐震改修促進法や建築基準法改正がなされ、2000年に入ると、消費者保護の観点に立った住宅の品質確保の促進等に関する法律(品確法)が施行。住宅の質向上、安心・安全へ向けた施策がさらに活発化しました。
並行してシンプルモダン・スタイルが流行。ミッドセンチュリーモダン回顧を演じつつも、実はローコスト住宅にモダンの意匠をまとわせたもの。ハウスメーカーと建築家の協働も、建築家のブランドとローコスト路線(安カッコイイ)の合わせ技に。景気低迷は規格型住宅を呼び戻す。ミサワホーム「Limited25」(2001)はメーカー住宅が坪30万円を切る驚異的商品でした。限定されたプラン、徹底した仕様・設備の合理化、合同説明会という営業手法はインターネット住宅販売へ継承されていきます。
「エコ」や「スマート」がバズワード化したのもこの頃。快適性・経済性・環境配慮が関連づけられたり、身の丈感=標準化・工業化・プロダクト化への導き糸として機能します。エス・バイ・エルがヤマダホームズへと生まれ変わったのは、家電産業と住宅産業が一体となる時代を象徴するニュース。トヨタホームも、グループ会社が総力でつくるスマートハウスをPRし、住宅産業が他の産業とつながる構図を指し示しています。自動車産業をモデルに進化をとげた住宅産業はここにきて、自動車産業や家電産業と合流しはじめたのです。
そんな未来像を可視化した企画が「HOUSE VISION」。「家そのものが総合家電へと進化」しつつある状況を踏まえ、「家」を軸とした新しい都市の独創性を発信。総合家電へと進化した「家」に日本の「未来資源」を見出したのでした。他産業へ「開かれていく」過程は、同時に中小工務店による家づくりが疎外されていく過程とも重なります。ハウスメーカーが語る〈エコ&スマート〉の未来図は「企業による家づくり」を最大化する生存戦略でもあるのだということ。
11 働き方改革・産業再編・海外進出
少子高齢化・人口減少、さらにはコロナ禍まで加わって住宅業界の市場縮小は着実に進んでいます。同時並行して業界の人材不足もまた深刻化。こうした局面に対する動きとして、まずは働き方改革。そして住宅産業の業界再編について解説。
半年後には就職する受講生にとっても、働き方改革はなにかと気になるところ。建設業界全体がかかえる問題の全体像を解説しながら、それへの対応として注目される「i-construction」などの事例を紹介しました。こうした動きは、そこで働く人々に求められるスキルも変容させていきます。
そして住宅産業の再編。LIXILや飯田グループホールディングスの大再編。ヤマダ電機がエスバイエルを子会社化しヤマダ・エスバイエルホームに。さらに、2019年には、トヨタ自動車とパナソニックが住宅事業の統合を発表。2020年に新会社を設立し、トヨタ傘下のミサワホームも合流に。なんかもう住宅も三菱東京UFJ銀行みたいになってきてます。
さらにハウスメーカー各社の海外進出。国内の住宅市場が縮小するなか、日本の住宅の強みと現地のニーズを融合した海外市場開拓が進んでいる。四季のある日本ゆえ暑さ寒さに対応し、自然災害にも耐えうる性能を持つ。販売~施工、アフターサービスまで行える体制が整い、工期管理も緻密。こうした日本の住宅の「価値」を武器に海外市場を狙う。東南アジア諸国では依然として人口増・分厚い若年層が見込まれ、ハウスメーカーにとっては魅力的な市場。現地では大手デベロッパーによる分譲住宅が多く建てられるも、工期の長さがネックとなり日本のプレハブ技術が注目されています。
ところで、ハウスメーカーの海外進出が始まったのは、市場縮小を受けて始まったものではありません。意外なことに1970年代はじめごろ。産業振興期を脱したプレハブ住宅が、その勢いで海外へも市場拡大しようと試みたものでした。この出鼻をくじいたのがオイルショックでした。2010年代になってふたたび活発化した海外進出を考えたとき、約70年前の台湾・朝鮮・関東州における住宅営団から続く、海を渡る日本住宅の歩みを辿り直す作業も必要なのかもしれません。
まとめ:振り返り
最終回。これまでの講義内容を振り返り。半期にわたって、住宅産業の過去、現在、そして未来について知り、いくつかの「問い」を共有しました。受講前に持っていたであろう住宅産業に対するイメージが、随分と単純化あるいは歪曲化されたものだったと気づいてもらえたようです。また、身の周りに建つ至って普通な住宅が、これまでとは違って見えるようになったようです。
遠隔授業対応のため、今年はとりあげなかったトピックスもあります。世界との比較や、空き家問題、販売体制、集合住宅との関係などなど。今回それらを解説するのではなく「問い」の形でご紹介することにしました。
今回、受講してくれた学生さんのなかには住宅関連の企業に就職予定の方も珍しくありません。きっとその先々でも、ハウスメーカーと建築家を対立的な図式でとらえたり、伝統的な木造建築と戦後の木造住宅を同じ土俵で比較したりする場面に直面することもあろうかと思います。そんなとき、そうした視点や主張の「思い」も尊重しつつ、いやいや待てよと考える手掛かりに、この講義でお話したことが役立ったら幸いです。そして、実際に「住宅がつくられる世界」で働くことで得た「問い」をフィードバックしてもらえたら幸せです。
教科書
・松村秀一『「住宅ができる世界」のしくみ』、彰国社、1998年
参考書(手に入りやすい本のみ)
・松村秀一監修『工業化住宅・考:これからのプレハブ住宅』、学芸出版社、1987年
・松村秀一『「住宅」という考え方:20世紀的住宅の系譜』、東京大学出版会、1999年
・松村秀一ほか編『箱の産業:プレハブ住宅技術者たちの証言』、彰国社、2013年
・山口幹幸ほか『人口減少時代の住宅政策:戦後70年の論点から展望する』、鹿島出版会、2015年
・松村秀一『ひらかれる建築:「民主化」の作法』、筑摩書房、2016年
・佐藤考一ほか『図表でわかる建築生産レファレンス』、彰国社、2017年
・新建ハウジング編『住宅産業大予測2020』、新建新聞社、2019年
・平山洋介『マイホームの彼方に:住宅政策の戦後史をどう読むか』、筑摩書房、2020年
(おわり)
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