木造・クマさん・低姿勢|建築家・隈研吾の戦略
現代建築について考えるとき、いまや建築家・隈研吾氏は避けては通れない存在です。現代建築理論的なお話はわたくし不案内ですが、とりあえず自分の関心に引き寄せつつ、隈氏の語る木造建築について備忘録的に書き留めておきます。題して「木造・クマさん・低姿勢|建築家・隈研吾の戦略」です。
戦略としての「反・エラそうだから」
サンザンすったもんだした新国立競技場。驚くほど野蛮な経緯で白紙撤回に至った「ザハ案」。なぜ「ザハ案」は実現できなかったのか?その経緯や理由については既に多くの論者が語っているので端折るとして、思い切り乱暴に「なぜ?」の理由を挙げるならば、それはズバリ「エラそうだから」では中廊下。
ビッグプロジェクトである新国立競技場がこの世に生まれ落ちるにあたって繰り広げられた論争や中傷や提案の数々は、いわば「現代日本社会において巨大建築の建設を可能とする条件とは何か」を浮き彫りにしています(青井哲人「戦後建築論争史の見取り図:とくに「巨大建築論争」の再読のために」、建築雑誌、2011.2)。
論争で指摘された景観破壊だどうだとか、コンペのプロセスが適切だったかとか、大幅予算オーバーがどうだとかは、それぞれ一理ある理由だし、それらをクリアすることが建設を可能とする「条件」なのだろうけれども、とはいえ、なんでそれをオリンピック関連諸施設のうち、ことさら新国立競技場でだけ言うの?という疑問がぬぐいきれません。
それこそ白紙撤回の決定打となったはずの予算オーバーとて、後に小池知事が豊洲ちゃぶ台返し問題で垂れ流したムダ金を思えば、実は「決定打」ではなかっただろうに。やっぱり問題化した原因は「エラそうだから」が最も適切に思えてくる。
では、その「エラそうだから」ってモヤッとした指摘はなにを指すのか?
真っ先に思い当たるのは、森喜朗組織委員長だとか内田茂都議だとかの存在だろうし、アンビルトの女王ザハ・ハディド氏の見た目や、「日本の大事な建築物なのに設計者が日本人ではない」という偏見、コンペ審査委員長・安藤忠雄氏のダミ声だとか、そういう方々を象徴するように見られた「ザハ案」の大きさや形、色合いなんだろうナと。
それこそ「なんか新国立、感じが悪いよね」のメンタリティ(念のため申し添えると、わたし自身がそうした「エラそうだから」感を共有するものではありません)。
ちょうど新国立競技場問題で注目された建築エコノミスト・森山高至氏が、その名も『非常識な建築業界:「どや建築」という病』(2016)としてまとめた一連の建築家・建築業界批判は、どや顔した建築=「どや建築」というキーワードが慧眼だった。
「どや」はここで言うところの「エラそうだから」へ戦略性を加味した概念だろう。森山氏が「どや建築」なる言葉を造語しつつ、自らもあえて「どや評論家」を演じたという周到さ。「どや」の高い訴求力の証。
同じくサンザンすったもんだした五輪エンブレムの問題も、実は佐野研二郎氏の見た目や態度が「エラそうだから」が最大の原因だったのだと気がつきます。現代社会はことほどさように「エラそうだから」といった雰囲気がプロジェクト実現の妨げになる。
案の定、新国立競技場やり直しコンペが大成建設+建築家・隈研吾+梓設計によるA案に決まったと聞いて膝を叩きました。隈研吾といえば『負ける建築』(岩波書店、2004)。雑に言えば、「反オブジェクト」というより低姿勢な「反・エラそうだから」な建築ということ。
隈氏はかのバブル期の名(迷)作「M2」(1991)へのバッシングもあって、さんざん苦労した結果、この「負ける建築」へと辿り着き、そしていまの活躍がある。そんな艱難辛苦があったからこそ、今、新国立競技場に取り組んでいるわけだ。そのあたりの思い・経緯を分かりやすく綴った本が『なぜぼくが新国立競技場をつくるのか:建築家・隈研吾の覚悟』(日経BP社、2016)です。
この本のタイトル&サブタイトルに込められたユーモアにニヤリとなります。タイトルは内村鑑三『余は如何にして基督信徒となりし乎』(1895)だとか伝説の討論会「我国将来の建築様式を如何にすべきや」(1910)から、サブタイトルは構造派・佐野利器のマニフェスト「建築家の覚悟」(1911)をもじっているのでしょう(カングリーすぎ?)。
隈氏は「M2」から「新国立」へと改宗していった理由を語りつつ、西欧列強に負けない「エラそう」な建築様式、「国家当然の要求」を実行する建築家といった100年前のスタイルの「大転換」を提示したわけだ(伊東豊雄&中沢新一の相変わらずな「大転換」との違いも興味深い)。
隈氏の著書『なぜぼくが新国立競技場をつくるのか』には、戦略としての低姿勢例がちりばめられています。「建築家は変人」ではダメだと説き、民主的で最良の妥協を模索する受け身の姿勢を重視=「腰が低い」。当然に新国立競技場も最高高さが「低い」のが大事と説きます。
かつては建築家といえば、ムダにプロフィール写真がモノクロでコントラスト強すぎ、なぜかシャッター切る瞬間に顎が痒くなりがちでした。最近だと自然な笑顔に小洒落た格好で身体は斜め前を向き、インク節約ですか?みたいな色合いに変化してきました。
でも、隈氏の写真はそうではない。常にその辺の人の良いオジサン的な「隙」を見せる(粋から隙へ笑)。新国立コンペで競った伊東豊雄氏のように白ブチメガネやカラフルな靴下は履かない。
文章も分かりやすいし(というか分かったような気になる)、少しまえ話題になったコンクリート建築の歴史的経緯みたいな事実関係がかなり危なっかしい表現も、分かりやすさのためには厭わない。というか、そういう危なっかしさと分かりやすさは不即不離だろう。
それは『なぜぼくが新国立競技場をつくるのか』がタレント茂木健一郎氏との対談付きという徹底ぶりにもつながる。これもまた「負ける建築」の実践、「低姿勢」という戦略なのだと気がつきます。
そうまでしないと建築プロジェクトを実現できない。それが(日本か海外かを問わず)現代社会=大炎上時代の状況。そんな時代ゆえの恐ろしさは、すでに新国立競技場の顛末(しかもその後、ザハ氏が亡くなってしまうという後味の悪い展開付きで)が示しています。
「反・エラそうだから」としての木造建築
現代日本社会において巨大建築の建設を可能とするための「エラそうでない」こと。その建築的表現として導かれるのが「木造建築」。現代社会において「木造建築」が持つ意味・役割を、隈氏は「負ける建築」へと位置づけていて興味深い。
新国立競技場という火中の栗を拾い、渦中の人となったエブリデー渦中者・隈研吾氏。やれムダづかいだのやれ環境破壊だのと大炎上時代に「巨大建築の建設」を実現するために大切なのは、建築家や建築作品が「反・エラそうだから」=「エラそうでないこと」。
もう少し正確に言うと「エラそうでないように感じられること」。
このために、建築家は誠実に説明し、対話を深めることを心がける。ある特定の層ではなく、なるべく多くの皆に「いいね!」と思ってもらわないとダメな時代。一部の批判者たちがつくりだす雰囲気によってプロジェクトが頓挫する時代。そう思うと、隈氏が「クマさん」と呼ばれることすらディズニーを連想させるイメージ戦略ではとカングリー精神を旺盛にしてみたくなります。
そんなクマさん、「負ける建築」を提唱する彼が新国立競技場で配慮したことの一つが「建物の高さ」。ザハ案のケチのつきはじめがまさに「高さ」だったわけで、クマさんは極力低く抑えようとする。建物も低姿勢であることが大切。それと同時に重視したのが「木材の活用」でした。
そもそも、やり直しプロポの条件には「日本らしさ」や「木材の活用」が打ち出されていて、クマさんの手法にもうまくマッチしました。著書『なぜぼくが新国立競技場をつくるのか:建築家・隈研吾の覚悟』の第2章はズバリ「木の建築だからできる“偉大なる平凡”」。
クマさんは言います。「・・・課題を解く鍵が「木」にある予感がありました。「木」という素材の持つ、温かな感じは、なぜか人間に大きく作用するからです」と語り、さらには「21世紀のデモクラシーは、木の中にひそんでいます」とまでのたまう。
さらにクマさんは言います。「105角」という規格材でなんでも作ってしまうのが「日本の“偉大なる平凡さ”」「木の面白さとは、まさに、その『平凡さ』『民主性』にある」「木という素材は人々を調整する最高の道具」だと。こうした表現に違和感を感じてしまうようでは、大炎上社会を超えて建築創作することが難しくなるのでしょう。
とはいえ、木造は温かく人間に作用し、特に105角は民主主義で人々をつなぐ素材、とかなんとか、もはやここまでくるとファンタジーですが、でもそれは緻密な戦略に基づくファンタジー。木を使うということが木構造原理主義なスタンスでないことは次のようなクマさん自身の発言からも明らかです。
単に木を使うのでなく、木を感じられる空間にしたい(中略)原理主義的にはすべて木構造であるべきかもしれませんが、それではどうしても無理が出てくる。木材はもっと柔軟に、もっとだましだまし使った方がいいというのが僕の考えです。
(日経アーキテクチュア2016.1.28)
なるほど、これが「大炎上時代の木造建築観」か、と納得。それを踏まえれば、廃材置き場とネットで揶揄される「SunnyHills微熱山丘」での木の使い方も了解されます(好き嫌いは別にして)。
「エラそうでない」建築としての「木造」。クマさんの木造建築観は一見したところ「日本らしさ」を志向しているように見えて、そう思うことは排除しないけど、かならずしもそういうわけでもないというノラリクラリ感が特徴的です。人はそこに愛国的表現をみるだろうし、ナチュラルな優しさ・温かさをみる。ひとそれぞれの「いいね!」がつく。
以上のような戦略が奏功して、伝統木造技術文化遺産準備会の講演会に登壇したり、高知県立林業大学校の初代校長になったりと、必ずしもクマさんの建築創作と親和性が高いと思えない、いや、そもそも敵対するほどの違いでは?なところからもつながりが生まれています。
皆がそれぞれ前向きに勘違いできるスタンスも「負ける建築」の特徴なのだでしょう。そのへん、自己啓発の世界とも親和性高いわけで、今後、そうした方面からの情報発信も大いにありえるでしょう。
追記:ありまぁす(2019年5月)。
クマさん云々を超えて、そもそも日本において「木造」がどう語られてきたのかを辿っていくと、「木」が持つ多様なイメージ・性質・来歴をいいことに、さまざまな主義主張の補強材とされてきたことに気づきます。その多様なイメージを持たれる「多義的」な素材であることを、クマさんは積極的かつ戦略的に利用しているのでしょう。
「だって、なんだかんだいって、建たなきゃお話しにならないでしょ」と言われている気がする。
*******************
今後においても日本において木造建築が重要な位置=木造正義を占めるのは間違いありません。実際、いま木造建築に熱い眼差しが注がれています。都市の木質化や大空間木造、さらには伝統構法の再評価などなど。
一方で、木造住宅の在り方を大きく変容させる省エネ法改正や、ZEHに代表される住宅の総合家電化といった動きへの懸念も聞かれる。木造建築の話題には事欠かきません。
ここらで一度、木造建築について考えてみるためにも、木造建築がどういう理念や主張とともに語られてきたのか探ってみたいナ、と思います。
多様なイメージ・性質・来歴をファンタジーとして取り込んでいく「木造」とは一体なんなのか。それこそ「木造」が「非木造」の出現によって意識された明治以後、大正期の佐野利器、さらには戦前・戦時・戦後と激動した昭和期に現れた、木造建築を巡る「語られ方」を棚卸してみたい。
(おわり)
関連note。