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文章の可能性って...

はじめまして、タケです。都内の大学に通っている22歳です。

これから、ブログ(日記的な)モノをはじめていきます。具体的には自分が経験したこと、日々の日常を自分なりに面白おかしくレトリックな要素もいれつつ皆様にお届けできたらなと思います。

そして、補足として私が思う文章を書く意義を自分の今の能力やセンスと照らし合わせて考えてみました。

文章を書く時って基本一人なので、そう言うのもあって孤独感は強い。その孤独感を打ち破るのが想像力だと私は思ってます

文章を打つ意味なんか特別これといったモノは存在しないです。稼ぎたいとか、周りから認められて注目の的になりたいとか、そう言う欲が強いわけでもない。もしそんな欲があるのなら、もっと別の方法を考えるだろう。

元々文章を自分で作ったり、それで自分自身の思ってることを言語化することは決して苦ではないし、何なら好きな方でした。書き終えた時の達成感もすごく感じ満足するしそれを人に見せて褒められたら尚更嬉しいです。

実際に読書感想文で賞をもらったこともありました。ちょっと才能あるのかなって思ったりもしてみたり笑。けど決してそこに対して自分の能力を過信しているわけではないです。

自分は特別、誰かを魅了できる文章のセンスもなければ、専門家のように何かしらの特定の分野に特化してるわけでもなし、その知識を用いてアドバイスしたりするような文章を書くことセンスも無いです。

好きなことや関心のあるテーマならそれができるかもしれない。けどそれをしたところで差別化出来ないし、何だか今更感がある。て考えたらオリジナリティのある文章力を持つことが大事だと気付きました。

『その視点なかったわ』、『その発想面白い』そう思ってくれる方が一人でも多くいたら勝ちだと思っています。もうすでに存在している概念や理論、事実について語るのは自分の役割では無いし、もうその必要性もないです。

自分は何のために文章を書くのか、その答えは一つでは無いと思っています。自分の考えや身の回りで起こった現象を可視化すること、そしてそれを自分なりのワードで伝え、少しでも想像の先にいる読者が共感してくれたら良い、それが一人で黙々と文章を考え打つ孤独感を打ち破ってくれるのです。

人とは違う発想に嫌悪感を持つ必要なんて無いです。その唯一無二さがその人の個性であり尊敬すべきところなのだから恥じる必要なんてないです。

他の人と違う生き方をしても良い、違う服を着ても良い、違う髪型をして良い、それこそが自分らしさであり、羨ましく思うところでもあります。

私だって大好きなつけ麺だべたり、好きな洋服着たり、好きな音楽聴いたり、好きなテレビラジオを観たり聴いたり、好きなスポーツ観たり、好きな場所に行ったりしてますもん。それこそが自分らしさの形成です。

自分らしさの可視化そして、自分という唯一無にの存在を忘れないこと、それが自分を好きになることにつながると思ってる。これまでの人生で他人を意識したり比較対象としてきすぎた。

それ故に結局自分を犠牲にするような選択をとってきました。けど人生トータルで考えた時に、それって自分にとって損でしかないと思いました。

何か自分の意見や考えをバシッと言える人は尊敬するしかっこいいと思います。この人がこう言ってたから自分も...って何かかっこ悪いなって思うし舐められそうで嫌だって思いが大人になって強くなりました。しっかりと客観的な判断の上なら良いと思いますが。

それを矯正するための手段としての「自ら文章を書くこと」があると私自身考えています。自分の考えが持てる人は良くも悪くも人を惹きつける能力があります。来るもの拒まず去るもの追わず、出会いは一期一会で偶然や運命的な要素が強く予想できないのが人生の面白さです。

自分もこのnoteをしていたらそんな出会いを問わず運命的な出来事が身の回りで起こっている可能性だってある。そんな可能性がゼロでなかったら期待しない理由なんてないですし、やらない理由なんてあありません。

さあ今日はどんな1日が待っているかな!そしてこのnoteを通じてどんなことが伝えられるかワクワクしながら過ごしていきたいですね



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