佐野元春 & ザ•コヨーテバンド つまらない大人にはなりたくない
「つまらない大人にはなりたくない」
ヌーヴェルバーグの映画の邦題にもなりそうなタイトル。
1980年にリリースされた2枚目のシングルレコード「ガラスのジェネレーション」のキラーフレーズだ。
2025年の現在、40数年の月日を経て、今回、コヨーテバンドとともに再定義として、耳にすることができた。
まず、個人的な思いを伝えると、今回の〈再定義〉と位置付けされている楽曲群には、そこまでの期待はしていなかったんだよね。
少し生意気な事を言わせてもらうと〈再定義〉と言われても、80年代から90年にかけてのライヴではアレンジを変更するのは、少なくなかったし、それは楽しみのひとつでもあったけど、レコード(記録)として残る作品としては、ワクワク感や新鮮味が足りてないような気がしていたから。
それから、この楽曲とこのフレーズは、実はあまり好きではなかったんだ。
好きではなかった、というのは少し違うかもしれないけど、何かこそばゆいというか、何か照れ臭い感情があったんだよね。
リアルタイムで聴いていたのならば、素直にこのフレーズに"Yeah !その通りだぜ、元春!"となっていたのかもしれない。
この楽曲がリリースされた1980年の10月はまだ9歳。子供も子供である。そしてこの楽曲と出会えるのは、その6年後の15歳くらい、ちょうど思春期。その時に求めいてた"佐野元春像"とは少しズレていたんだ。何か直接的すぎたのかもしれない。
その頃に先に聴いていた『Café Bohemia』の世界"いつも本当に欲しいものが手に入れられない"や"風向きを変えろ!"などのメッセージと「ガラスのジェネレーション」で発せられるメッセージでは、何か違う風が流れていたんだよね。
この時、ライヴで聴いていたのならば少し話しは違ったかもしれないけど、ちょうど1986年くらい、佐野元春は30歳に差し掛かっていて、「ガラスのジェネレーション」を歌えない時期だった。というのを聞いたんだ。それは、このフレーズの呪縛があって歌えなくなっていたと。
さて時を戻そう。2025年の現在、僕も53歳になっていていい大人だ。
それで、結局のところどうだったんだい?と聞かれれば、君に握手をしてから、ハグをしていることだろう。
この2025年に「つまらない大人にはなりたくない」をリリースした理由は本人にしかわからない。けれども、この楽曲を聴いてしまった今、なんとなくわかるような気がしたんだ。
ここまで、瑞々しく、堂々と、胸を張って、楽しそうに、バンドとともに、自信満々に歌っている姿を観て、何か感極まるものがあった。
その感情はなんだったのか、大げさにいうのならば、〈自分の解放〉だ。
コヨーテバンドと新たに吹き込んだ風が、今までのこそばゆい自分のひねくれた気持ちを、やっと解放してくれたんだ。
何よりも「つまらない大人にはなりたくない」と思っていたんだ、と。
やっと、この楽曲に素直な気持ちで向き合えることができた。
僕は間に合ったのだろうか。そう思いたい。
ロックンロールは若者たちに向けたものである。
これは常々、佐野元春が口にしている言葉だ。
僕のような大人はもちろん、できるだけの若者たちにこのメッセージが届きますように。