【note66】Quest Cup2024を振り返る②4人の座談会
3人だけの挑戦
前回の投稿で、今回は高校生が1チーム出場したことを紹介した。そもそもなぜ、高校生チームがあったのか?という話から!
勤務校では中学2,3年生はゼミナール授業という名前の探究的な学びの時間がある。生徒は教師のゼミ紹介を聞き、希望するゼミを選択する。希望通りに行くこともあれば、入ったゼミが第5希望などということもある。中学のゼミナール授業に関する考察はPart3でまとめようと思っている。ここでは、本題のなぜ、今年は高校生チームがいたのかという話とQuest Cup後に行った座談会の様子をライブ形式で。(注)形式上、たぶん読みにくいです。すみません。
もったいない!が始まり
高校には、いわゆる体系的な探究学習の時間が設定されていない。勤務校は中高一貫であるが、内部進学者は高校全体の半数程度である。そうした事情があるかもしれないが、中学2,3年生の2年間、ゼミナール授業を経験した生徒達は高校で、そうした探求(探究)の場から外れてしまう。教科学習に探究的な要素があるだろうし、「〇〇探究」という名称がついた科目はあるが、それは中学での経験を生かした探求とは少し違う。中学での学びに比べると大学入試を意識する「課題設定」や「課題解決」が前提となっている。
「せっかく2年間取り組んだのに勿体ないよな…」というのがゼミを続けてきた自分の率直な感想だった。高校には放課後講習という、補習講座(レベルは基礎から発展まで幅広い)が設定されている。そこに、探究学習を突っ込んでしまおうというのが事の始まりだ。当然、扱うのはQuestなので、中学での経験を生かして、取り組んだらもっと充実したものができるのではないかと期待していた。
あれれ???
いざ、募集をかけてみると中学でQuestに取り組んだ内部進学生が一人も受講希望を出していない(この時点で当初の自分の目論見は外れている)。
生徒たちのリフレクションペーパーなどを読んでいると、高校でも挑戦する機会があれば乗ってくるかなと思っていたが、どうもそうではないらしい。
確かに高校の授業は忙しく、月~金曜日まで7時間授業が続く中で「探求」に割く時間的な余裕はないのかも知れない。いや、そうしたタフな時間割だからこそ、全く違う切り口の講座を設定したんだけどなあ…。そんな中で、受講希望を出してきた生徒3人は、全て高校入学者だった。講座開講には一応の基準があり、5人以下の場合は閉講としてもよいことになっている。
でも、(直接的には)受験に直結しないように見える講座をあえて希望した訳だから、機械的に「閉講」とするのも忍びない。3人を呼んで、聞いてみることにした(何と3人とも同じクラス)。
私「希望者が3人だけなんだけど、どうする?」
生徒「えー」苦笑いしながら、「あ、でも3人でもやりたいです!」
私「じゃあ、やってみようか」
こんなやり取りで始まったのが高校生3人だけのQuestチームだった。
4人のおしゃべり
何でこの講座とったの??
Quest Cupが終わって行った最後の講座で「そもそも、何でこの講座を受講したの?」と聞いてみた。
生徒A「なんだっけ?忘れちゃいました」
生徒B「何でもいいから1つ受講しろって家で言われたんじゃなかった?」
私「そうなの(笑)そもそも、何で友達が理由を知ってんの(爆笑)
生徒A「あ、そんな感じでした。でも、結果的に楽しかったし、受講してよかったです」
生徒B「僕は何か面白そうかなと思って!」
生徒C「私は何か、大会(Quest Cupのこと)に出るって書いてあって、それが今後の大学とかで役に立つかなと思って」
私「なるほどね、まあそれも別にいいんじゃない。きっかけは何でもいいわけだし。それが例え消去法でも(笑)
率直に「社会課題探究」どうでした?
私「授業とは全く違う『社会課題探究』をやってみてどうでした?割と普段私が担当している公共の授業もスタンスは近いからね。色々考えたり、正解のない問いを出したりするじゃん。それが私の授業スタンスだったり、教科特性なんだけれどね。全体的には入試を踏まえて、しっかりと覚えるとか、正解を出すことがメインになるケースが多いでしょ?率直にこうした学びをやってみての感想を聞かせてください!」
生徒A「面白かった。苦労するけど、方向性が決まると一気に進む感じがするし」
生徒B「普通にただ覚えるとかじゃなくて、何か久しぶりにちゃんと自分で考えた気がします」
生徒C「結果発表を聞いた時は(チェンジメーカー賞*ブロックのトップ)に選ばれなくて残念だったと思ったけど、改めて振り返ってみると、こうやって少人数で、一つのテーマについて意見をどんどん出し合うっていう体験がすごい良かったなと思いました」
何が難しかった?という問いからの気づき
私「このソーシャルチェンジって自分的には、とても難しい営みだと思っているんだよね。実際、半年くらいやってみて、これ超難しいなとか、苦しいな…みたいなところはあった?」
生徒C「最初にテーマを書くとき、付箋とか使って意見を出し合ったけど、その時、自分が想像していたものと他の二人の意見が全然違ったから、『これどうやってまとめるの?』というのはありました。」
生徒B「今、思い返すと、最初のテーマを決めるときに自分で考えるところで『自分って思ったより何も考えていなかったな』と思いました」
私「なるほど、なるほど。まあ、それぞれの思いの根底には共通するものがあったのかもしれないよね。気づかなかったけど、それを自然に掘り起こしていたのかも知れない」
生徒A「自分の意見ばっかりじゃなくて、お互いに『そういうのもあるよね』みたいな感じで共感したからまとまったのかも」
私「でもさ、実際に口に出したり、書いてみるとわかったりしない?そういうのをオートクラインっていうんだけど、内に秘めたものは発すると自分で気づいたりするんだよね。だから、その気付きはとても大事!」
生徒A「さっき、共感したって言いましたけど、結構、自分のこだわりが強く出ちゃった気もして…それが他の2人にとって、いい形になったのならよかったんですけど」
私「ちょっと気になる?でも、テーマ設定の時って軸が必要だし、そこにみんなの意見が色々と織り込まれて、最終的な形になったんだから、良いと思うけどね」
生徒BC「うんうん」
マイテーマをどう見つける?
私「みんな共通にテーマを決めるのってすごく難しいって感想を持ってるじゃない。マイテーマとかチームのテーマってどうやって決めていったらいいんだろうね?別の中学生のチームで左利きの人を助けたいっていうテーマを設定したものがあって、それってなんとなくすごくニッチなテーマな感じがするじゃない。でもそのテーマ聞いた時にあー、これすごいなって思ったんだよね。テーマ設定と言うとなんとなく壮大なテーマを作りがちじゃない。例えば世界の貧困を解決したいとか、ネット誹謗中傷をなくしたりとか、そういうのが別に悪いわけじゃないんだけど、そこにどこまで自分がリアルに感じられてるかって実はすごく大きなポイントになりそうだと思うんだよね。左利きで食べにくいとか字を書いてたら手が真っ黒になっちゃうってものすごくリアルじゃない」
生徒A「共通点?」
私「え、それどういうこと??」
生徒A「自分がやりたいことと現実に起こっていること、現実うまくいっていないことの共通点を見つける…」
私「あー、なるほど。つまり普段自分が思ってるなんかモヤッとしたものと社会で実際に認識できる問題の共通点を測れると上手くいくってこと?」
生徒A「そんな感じですね」
私「もともとこのプロジェクトってBのエピソードが突破口になったかんじがあるよね。あれすごいリアルだったからね」
生徒B「僕はクエストカップの最初に出てきた違和感って言葉がやっぱり気になります。見逃さないで見つけるっていうことができれば本当に周りの問題に気づけるんじゃないかなと思って」
生徒C「あ、私もそうです。うん、違和感」
私「違和感って意外と気づかなくてさ、言われて初めて気づくのよ」
違和感にどうやって近づく!?
私「違和感ってどうやって見つけたらいいんだろうね?」
生徒C「自分のこととして考えてみる…?自分に当てはめたらどんなことが起きるとか」
生徒A「違和感って実際に触れてみないと分からないのかなって思います。すごい違和感って小さいから実際に自分がちょっとやってみるしかないのかな」
生徒B「僕電車の改札で右でも左でもスマホ持ったりするんですけど、タッチが片側にしかできない時って結構きつかったりするんですよね。有名な話だと思いますけど」
私「なるほど。でも昨日のQuest Cupで違和感っていう言葉が頭の中に認識されたことによって、改札のことが『あ、これ違和感だな』ってつながるよね。人って実は結構、日々の生活で違和感を感じてると思うんだよね。でも何とかなっちゃうから流れてしまう…。でも実はその違和感って自分以外の人にとってはものすごく大きな問題だったりすることもあるわけだよね。だから別に毎回やる必要はないかもしれないけど、どうしてもモヤッとするときはスマホのメモに『今日こんなことがモヤっとした。違和感!』と書いておくとか、それだけでもずいぶん違うよね」
生徒C「確かに時々モヤッとすることあります」
話題は終盤。アビリティは上がった感じする?
私「じゃあもう終盤なんでまとめにかかりますけど、この半年クエストっていう活動をやってみて自分の中で成長したとか、ちょっと自身のアビリティ上がったとか感じることありますか?」
生徒B「僕は前よりちゃんと文章を読んで考えるようになりました。与えられたものをただ受動的に読むんじゃなくて目的ができたというか」
生徒A「いろんな人の意見を聞いてそれにプラスアルファで自分の意見を加えていくっていう経験かな」
生徒C「例えば友達とかと話してる時でも、例えば友達とかと話してる時ただ自分の感情という言うか、気持ちだけでしゃべるんじゃなくて、相手がちゃんと理解するというか、相手にもちゃんと伝わるように話そうとすることが多くなった気がします」
私「みんな、いいね!それぞれのアバターが成長した感じだよね」
(注)彼らのプロジェクトには成長するアバターというシステムがある
最後のまとめ
私「じゃあ本当に最後のまとめにしましょう。みんな一言ずつどうぞ」
生徒B「楽しくちゃんとやれたのが良かったです。例えば先生がやっている中学生のゼミと一緒に探求できたらもっと楽しかったかも」
私「あー中学生ね。確かにそれは言えてるよね。実際3人は孤独だしきついよね」
生徒C「ライバル欲しいです!」
私「確かにね。ライバルがいると、『頑張ってるな』とか『あのチームめっちゃ進んでいる!』とか、そういう感覚が生まれるもんね」
生徒A「 3人しかいないからやっぱり一人一人が出す意見の量には限界があると感じることもありました。意見を言っても採用されなかったりすることもあるし…。でも無駄にしたらいけないなあと思いながらやっていて最終的には賞は取れなかったけど自分たちがやりたいことをそのまま形にできたなと思います」
生徒C「 3人だし、最初は自分があんま話すのは得意じゃないというか、意見を出すのは苦手だからスムーズに行かないだろうなと思ってたけど、少人数だからこそ、この意見を言ったら、何か意味があるんじゃないかと思ったし、小さなことでも言ってみたりすると意外とつながったりして、他の人の意見も色々聞けたりして最終的に楽しかったなと思います」
私「とても貴重な意見を聞きました。みんなにとっても振り返りは大事だから、ぜひこの半年の経験を生かしてほしいなあと思います」
生徒B「もう来年はないんですか?」
私「やりたいの?」
生徒B「いやあ、なんかあったらやろうかなと」
生徒C「私もちょっと考えていきます」
最初にこんな話から始まっていました
私「Quest Cup振り返ってみてどうでしたか?」
生徒A「正直悔しかったです」
生徒B「思ったよりうまくできて、このグループで賞を取れるかなって少し思っちゃいました」
生徒C「もうちょっとプレゼンに工夫をしたりアドリブを入れたりアクションをしたりできたらもっと良くできたのかなと思います」
昨日書いた通り、悔しいという気持ちは大切にしたいと思っていた。
だから彼が最初にカップを振り返って「悔しかった」という気持ちを素直に伝えてくれたことは結構感動した。「がんばったね、お疲れ様」もいいけれど、「もっと行けた、もっとできた」という感覚はやはり持っていてほしい。それは自分に対する次のハードルになる。もしかしたら、自分という存在に対する期待と目の前の現実の間のギャップ、違和感なのかもしれない。だからこそ人は悔しいと思って次に向けて再び走り出すことができるんだろうと思う。来年どうなるか分からないけれど、可能なら彼らのもう一度チャレンジしたいという気持ちに応えたいなと今は素直に思っている。