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takechan's diary vol.67
5年経っても。10年経っても。20年経っても。忘れてはいけない、その日の記憶。67日目、書きます。
名もなき僕たちの挑戦
3月11日。僕は、高校を卒業して10日後でしたが、大学の準備講座を受けに高校へ行っていました。
授業が終わり、帰る用意をしていたところ、その時はやってきました。
校舎が横に揺れているように感じ、恐怖を感じました。揺れが収まって外に出ると、鍵のかかっていなかったロッカーが全て開き、まだどこか揺れているような、変な感じになったのを覚えています。
当日のことはまだまだ書けるのですが、辛い怖い話はここまで。
今日は、その1ヶ月後のお話をします。
震災発生から2週間後(たぶん)。当時、学級委員長だった僕に副委員長の女の子から連絡が入ります。
「私たちも何か被災された方々にできることをやろうよ!」
僕も何かやりたいとは思っていました。この言葉で僕も奮起し、クラスのメンバーに投げかけ、できることを模索しました。
結果、約1ヶ月後の4月12日(日)に駅前で募金活動をすることにしました。その後は、南大沢駅で行うことが確定し、募金箱作り・呼びかけの台本作りなどを手分けして行いました。
迎えた当日。本来は僕らのクラスの有志だけで行う予定でしたが、他のクラスの同級生も手伝いに来てくれて、総勢30名ほど(だったはず)が集まりました。
午前10時。6班に分かれて呼びかけます。
しばらくの間、誰も入れてくれずに、時が過ぎていきました。当たり前です。僕らは名も知られていないし、本当であれば大学に入学しているはずだった新1年生。見向きもしない方がほとんどでした。
30分経った頃。おばあちゃんがやってきて、
「あんたたち、頑張りなね!」
と言って、募金して下さいました。めちゃめちゃ嬉しかったですね。うん。
これをきっかけに、僕のエンジンがかかり始めたことを覚えています。声を張り上げました。
「僕らのことは知らないと思いますが、どうかよろしくお願いします」と、心の中で呟きながら、一生懸命に活動を続けました。
その後は、少しずつではありますが募金者が増え、お昼休憩へ。少しだけ手応えを感じていました。午後はどうなるかなぁ。
この手応えは、さらに大きいものとなります。
午後に入ると、子ども連れの方が多くいらっしゃるようになり、お子さんたちが募金してくださるようになりました。
その姿を見た中高生や同世代の方たちも、友達や保護者と一緒に募金をする連鎖が生まれ始め、少しの間募金が途切れない時間もありました。
残り時間も少なくなり、ラストスパート。
強面のお兄さんから「お前ら、頑張ってるな。その気持ちに募金するよ!」とお札を入れてくださったりもしました。
17時。僕たちの挑戦は終わりを告げました。
当初の予定は、「20万いったら、大バンザイ」で、僕も15万くらいかなと感じていました。
結果は、なんと、、、
約43万円!!!!!!!!!!!!!
みんな、驚きました。そして、叫びました。
「やった〜!!!!本当にやって良かった!!!!!」
起案者の副委員長は泣いていました。彼女の想いは、届きました。
日本人は素晴らしいと感じた瞬間でした。
段々と自分も当事者になっていき、たった数時間だったけど、みんながチームになっていくような、あの感覚。
この経験は、いまだに忘れることのできない、僕にとって大きな財産です。
みんな、ありがとう。
![スクリーンショット 2021-03-11 23.29.38](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/47515308/picture_pc_fd8d9987512dc034035477a70f84232a.png?width=1200)
あれから10年が経ちました。
今後、同じようなことが起きることは、容易に想像ができます。
今度は、違った形で、自分の手で、行動できるように。黙祷。
3/12追記
どうやら、立役者がもう一人(男の子)いたようです。
先ほど副委員長から連絡があり、僕もなんとなく思い出してきました。
ちなみに、今回使用した写真は、おそらく彼が作ったであろうブログから拝借しました。
https://blog.goo.ne.jp/masaki-802
赤十字社にお金を届けてくれたのも、彼だったみたいです。感謝。