僕らはみな殉教出来なかったのか
「君は"誰かの為に行動する"という事を始めから分かっていた学生だった。だからこそ、今僕は、君自身が幸せになっていない事が、悔しく感じる」
深夜のタクシーの車内で、かつての僕の指導教員は、そう溢した。
それに対して僕は
「今でもまぁまぁ、幸せなんで、大丈夫です」
そんな、見え透いた嘘をついた。
先生、それはねえよ。
"社会に貢献する事が、人として生きる事の最高の幸せである"なんて、言ってたじゃないか。
一応、社会の底辺ではあるけど、貢献はしてるさ。だから、まぁまぁなんて言ったんだ。嘘じゃないさ。
先生に、責任はないんだ。
いや、責任で僕を救う事は出来ないんだ。
僕がただ、大義に殉教出来なかっただけなのだから、誰にも罪はないんだ。
昔所属していた大学の研究室の、なんて事のない飲み会。呼ばれたのが不思議だった。
先生は、こうも言った。
「君は、やり方は悪かったかも知れないけど、僕は君が率いたチームを見て、何も出来ない落ちこぼれ学生と決めつけた事を、間違ってたと思ったし、これから先の学生達への対応も変わった。変えさせられた」
一緒に飲んでいた2人の同期は
「俺らももっと褒めてくれよー」
なんて、言っていたが、その日の先生は、何故かその時の話ばかりしたがった。
研究室第一期生、運営メンバー3人で、先生を囲むなんて事のない、同窓会。ここまでは割と普通で。
もう一つの意味は、内部分裂と権力争いによって完全崩壊した、幻の一期生の同窓会。
そして、先生から離反し、反逆の旗を掲げたのが、他ならぬ僕なのだ。
2人の同期はそれぞれにパートナーを持ち、それぞれの生活を話していた。温かくもあり、それだけに迷いもあるという話をしていた。僕にはそんな存在は居なかったが、その場から浮いていたこともなければ、その事に迷ったことすらなかった。
先生は、何を見抜いたというのだろう。
己が大義の為に、一身を賭してそれに殉ずる。
エルネスト=チェ=ゲバラが、キューバでの立場に固執し、ボリビアで銃殺刑に処されなかったとしたら、彼は革命家として、今尚人々の希望として、生き続けることは、出来なかったのではないか。
先生が常々言っていた、大義の為に生きるとは、そういう事ではなかったのか、人の上に立つとは、人を率いるとは、そういう事ではなかったのか。
僕は、そういう生き方をする事に決めていた。先生に反逆し内部崩壊を促す事で、僕以外の人生や選択を可能な限り、より良くできるように、その道を選んだ。
自分の事は後回しにした。
もし運が良ければ、僕の人生は、最善のタイミングで完遂する。その事を信じて疑わなかった。
訂正する。迷いがなかったわけではない。
研究室の前まで行って、扉を叩こうとした事は、何度もある。
引き返したのは、それでも大義が勝ってしまったからなのかもしれないし、気分だったのかもしれない。
「いつか、君の事を理解して、そばに居てくれる人が現れる。だから、そんなに卑下する事はない。君はそういう人間じゃあ、ないんだ」
どうして俺の事ばかり案ずるのか、その時の僕には分かっていなかったのだと思う。
先生、あの時あなたに話していれば、僕は違った人生を歩んだかもしれない。
あなたに話さなかった事は、全て記事としてここに上げた。
これ以上の重荷を背負わすより、一人で汚名を着た方がよっぽどマシだと思ったのかもしれない。
今は、少しわかる。
大義の為に戦うとは、その先にある美しい世界を慈しむ為に、生きる事だ。
殉ずる、というのはそうはならなかったひとつの結果でしかない。完結に持ってきてはならない。
同じ街に何年も住んでいるくせに、まだ会うことすら出来ていない。それで良いのだと思う。
先生、ありがとう。
あなたはあなたの、希望を見てくれ。
僕は僕の大義の為に生きる。
あの時、戦うと言った僕たちを、完遂するためだけに。