静寂の夜と、地の光
急に生活が変わったとして、すぐに眠れるというわけではなかった。
自分の一日は夜から始まり、様々な事を一つひとつ熟考して、ノートを閉じる。その時間が始まるのは、どうやっても夜でなければならなかった。
去来する思いの本質は、やはり夜にしか現れてはくれず、書き漏らすまいとことばを端から拾わなくなってからも、絶えず自分の周りに渦巻いていた。
拾う必要は無くとも、そこにあるのはどうにも気分の良いものではなく、無闇に漂ってしまうのを眺めるのも、どうも違う。
だからといってそれを浅く、深みのないことばに直してもそれは浸れるものの代わりにはならなかった。
なんてことはないんだ。
4月になり、多くの人と同じように、会社に行くことが少なくなり、一人で家で過ごしている。
時々渋谷にマスクをして、人と関わらず仕事をしているが、今のところ感染しているわけではないし、急に困窮した訳でもない。そして多くの人と同じようなこれからの不安をもって、生活している。
愛する人と、お互いの日常を交わし、何気ない日常を満たしている。
ことばがなくなっただけ。
それだけだが、何をしたいのか考えられなくはなった。
夜、誰もいなくなったベンチの上で、これまで出会った人々の事を去来させてはみても、そこから何をしたいのかは考えようがなかった。
ただ、この無為に浸りながら。
生きているということだけ、伝えてみたかった。
心は動いてなくとも、人生と時間の針は進み、身体と感覚は鋭敏に生きる。未来への足掛かりは日々、打ち立てているし、愛する人とのこの上ない暖かな抱擁は、いつかの未来に取っておいてある。
今ある寂しさは仮初で、足を取られるべき罠ではないことも、分かっている。
何の作為もない、光の明滅。
ただそこに、意思を付けることで
かけがえのない愛する人の一筋の光明となるのなら
今はそれで、許してはくれないかと思う。
なんてことはないんだ。
俺も、君も、誰かも。
今はただ、この地に灯る一つの明かりとして
大丈夫。生きているよと
伝えてみたくなった。それだけのことだが
ここまで遅くなったのは、まだそれほど大変な事態だと感じれなかったからなのかもしれない。
あまりにも慣れた、一人の夜だが
いつの間にかそこからも、距離を取りすぎていたのかもしれない。
きっとそれも、自分のひとつ
改めて見る正直な自分は
何一つ、変わってはいなかった。