昔嫌いだったものになってどうする
というのは、教育の話。皆思っているより教育って好きねぇ。と思う。
思い返してみる。学校。朝9時だか8時だか忘れたけど、その時間までには席について静かにしておく。制服以外はNG。シャツべろべろ出したり、学校指定のものじゃねえ上靴を履いたらNG。廊下は走んな、夜遊びすんな、煙草を吸うな、髪を染めるな、教師に楯突くな、授業はさぼんな。そんなところかなぁ。
人間関係、成績優秀だったり、スポーツ万能だったり、容姿端麗だったり、そこら辺が偉い。中堅層、普通。最下層、だせぇとまでは言わないが、何かしらずれてる。そんな層。みんな仲良く。いや、仲良くせよとは言わぬが、喧嘩はご法度。問題外。
ここまで書いて振り返る。義務教育を終え、そこそこの組織にはいったとしてここら辺までのルールはいつの間にか常識になっている。なんとなくそれに従う。問題なのはマイノリティな皆さん。上記の事柄に対して、一つでも、下らねぇとか馬鹿馬鹿しいとかふざけんな!とか憤慨している人々にとっては、そもそもストレス。しかしながら残念なことにこれらのルールに対して本心でええそうね、守ることはとても大事なことね。と聖女のように語る清廉潔白なお方は本当に少ない。そんなマイノリティの癖に、社会ではそれらのルールを遵守させる側に立っちゃったら、そもそもジレンマを抱えて生きる羽目になるのです。どうすっか?
仮定を立てます。①社会のルールは守らないかん→②でもみんな本心ではそんなことねぇ→③守るべきルールと守らなくてもいいルール(自分ルール)を選別する→④そんな自分ルールと似ているルールを持っている人を信用&尊敬しよう→⑤そういう人を適宜配置して組織を作れば良くなる→⑥蛸壺化、あるいは馴れ合い化
と、ここまで書いた。やべー何にも良くなってねぇー。
わたくしも含めて、こんな価値観&ルールにガッチガチになって生活しておる今日この頃ですが、あれ?そもそも教育って、今よりも自分を世界を良くするためにあるんではないの、と。この、良い、の価値観が変わったら、都度変化せんと行けないもんではないの?と。
それにしても世間は学校好きだよなぁ。私は公園の方が好きだったよ。