記憶が場所を呼び起こす
『telecasterの外の夢』シリーズを毎週絶賛更新中ではありますが、そんな状況の中、次の創作のプロットが出来上がり、はぁ?浮気性にもほどがあるだろとこの移り変わりの激しさに凄くもやっとしている今日この頃です。
今回は"場所"に呼ばれた話です。
なので結構、しょうがないかなと思います。
今回は書く前に、公開を始めだす前にその場所について語ります。正式名称なんかは伏せます。いったらすぐに分かるので。その異様さが。
私にとってその場所は結構思い出深い所です。
ちょうど大学3~4年までの間に住んでいた場所の近くにあり、私にとってその期間は原体験というのかな、初めて意欲をもって、働くとか、勉強するとかを身を削ってやった、そんな時期でした。だから当然、ちょっとしたことでむしゃくしゃすることもあったし、寂しさも感じたし、空虚感を感じることも、今よりもはるかにたくさんあったのでしょう。
その時期は、何かあるとずっとそこを歩いていました。元々、近所を散歩するのが好きなので、その時期特に、そこを選ぶことが多かっただけなのですが、その時期に歩いていた場所がなぜ今現れるのか。ちょっと今も不思議です。
春には桜が満開になって、非常に良い景色です。ただ、意味はそれだけではなかった。その場所を通ることは、全てを巡ることだった。その場所の入り口から、出口までは綺麗にストーリーが出来ている。見つけたことの喜び、賛美、暗鬱、抜け出せない長い道程、そして、解放。解放された先は、言うまでもなく圧倒的現実。言葉では言い表せないから、多分こういう場所を見出して、冷静にフラッシュを焚く写真家の方々は、本当に凄いのだと思う。
今回その場所を選ぶにあたって、当然ながら下調べをしました。その当時の私が知っている情報だけでは、描写するのにあまりに事足りない。
検索をかけて、気づく。なんだこの関連ワードは。そして関連ワードからまた先へ進んでいく。気づく。
この場所は元からフィクションを超えている。
わざわざこんな3流note創作者が目を付けなくたって、語るに有り余るストーリーを、この場所は最初から持っている。現実が想像を完全に超えている。場所想起で創作を始める物書きは、あまり多くないように思えるし、私も本来、そういった類ではない。
ただ今回、私は完全に呼ばれてしまった。こういう体験って、あまり味わえない。途中まで書いていたプロットとタイトルが完全に歪んでしまった。
尚のこと、私はもう一度、この場所を歩かなければならない。