あなたの"いつもの"にはなりたくなくて
オーセンティックバーでもショットバーでも、バーテンダーと距離が近い場、という場所は2回行けばおおよその空気は知れる。
カウンターに座り、誰がおしぼりを渡してくるのか、誰が最初の会話の相手になるのか、それさえ掌握できればなんてことはない。あとはカウンターの隣に誰が座っているか。私みたいに、平日の8時過ぎから飲みだすような客には、大体、左右どちらかの席が空いている椅子に座らす。
2回で決まらないのは、その店で飲む"いつもの"というやつだ。ウイスキーだったら好きな銘柄をどの店に行っても同じように頼めばいいのかもしれないが、それでは味気がない。向こう側はあらゆる種類の銘柄をそろえて待っているのだ。それに相対するのに、どこにでもあるものでは申し訳が立たない。
私は挨拶代わりのジントニックを頼み、灰皿が差し出されてすぐ、煙草に火を着け、バーテンダーと二言、三言、会話をし、夜を燻らせていた。
*
彼女が来るのは決まって終電間際だ。
彼女はこの店の常連で、女王様。彼女の気分は、おおよそ二つに一つ、男と二人で、淑やかな態度で来るか、一人で泥酔して来るかだ。まさにこんな日。
女王様が辺りを睥睨する瞬間、店で飲む男たちは固唾をのむ。誰の隣に座るのか、誰が彼女を射止めるのか。答えは分かっている。
彼女は初めて会った時も泥酔していた。とはいえ饒舌だったから、年若い私はまったくそんなことは分からなかった。年の頃は分からない。ただ恐ろしく綺麗で美人。40過ぎなんて後から聞いたが、未だに嘘なんじゃないかと思う。2回目のバーで私の隣に座った彼女は、私の飲むものについて聞きながら、自分のボトルについて語った。
「グレンリヴェット。そんなに高くないし、コスパもいい。昔は色々飲んだけど、結局これに落ち着いちゃうんだよね、もう年だからさ」
そして、私が煙草を吸っているのを見ると、一本頂戴とねだる様になった。
「本当はさ、禁煙してたんだけどね。今日だけ。許してね」
「いいですよ。僕がいる時は無料喫煙所として使ってやってください」
「なにそれ」
そういって彼女は苦笑した。それから私たちはこうやって会う度、お互いの男女関係や身の上話を話すようになった。彼女と出くわした後日、またバーに行くと、大体彼女は僕の吸う銘柄の煙草をこっそりと買っておいて、バーテンダーに頼んでおくようになったので、持ちつ持たれつ、のような関係性だった。
「君は絶対私の彼氏にならないから、だからかわいい」
そんなことばかり言う。はいはい、そういう言葉が一番傷付くんだよ。喉元まで出かかった言葉を、すっかり薄くなったウイスキーで流し込む。そんなことはもう慣れた。
どうせ今日も、グレンリヴェットなんだ。
二人で来るときの男は、毎回毎回くるくると変わった。その度に私は、彼女がまた、うまくいかなかったことを悟る。だがどうでもいい。彼女が一人で来るとき、選ぶ椅子は私の隣だ。今日も彼女は酔っぱらいながら私の隣でいつものを頼みながら、一本せしめた煙草を美味しそうに吸う。
彼女は自分の"いつもの"を教えてしまった。それは魔女がこっそり胸に忍ばせている魔力の素の宝石のようなもので、彼女がいない時に飲むグレンリヴェットは間違いなく夜を彩る素敵な一杯だ。それは知っている。
だけどね。ごめんな。
私にも"いつもの"というのはあって。彼女にとって私が、コンフォートゾーンの"いつもの"なのかもしれないけれど、私はほんのちょっと、ずれて居ることを、私は今も、言わないままだ。そういう関係性も、あるのだろう。
貴女が見る私は、いつまでも若いままの青年。
ここにいる限りは、それでいいんだ。
今宵だけ、貴女の贖罪の一本、許してあげる。
そしてそれは、彼女の言葉に甘えて、愛してやらない私にとっても、贖罪の一本だった。
*
お互い歳を重ねた今となっては、彼女は
「あんた早く結婚して年金払いなさい!私の為に!」
なんて発破をかけられる始末だ。
はいはい。若き燕は仰せのままに致しましょう。恐らく今宵も女王様は傍若無人に杯を重ねている。
今は少し遠い日に感じる、そんな夜もあるのだろう。
グレンリヴェットは、私の"いつもの"を語る時に、残しておくよ。