うまくいく人は、かならず「終わり」を決めている
注)このnoteは、ぼくがライティングでかかわった『なぜ、2時間営業だけでうまくいくのか?』からの抜粋です。特別に著者、出版社の許可を得て転載・一部再構成しております。尚、予告なく削除する場合がありますのでご了承ください。
終わりを決めるから本気になれる
「将来どうなるか不安だ……」
「夢をかなえたいけど、どうすればいいかわからない……」
「年金とか老後が心配で、仕事に身が入らない……」
いまあなたはこんなことを思っていませんか?
ハッキリ言いましょう。
そんなことばかり考えていると、夢はかないません。
いつまで経っても、将来への不安なんか消えません。
ではどうすればいいのでしょうか?
それは「成長する」ことです。
昨日よりも今日、今日よりも明日と成長する。
毎日、自分を成長させることができれば「最高の自分」になっていきます。そうすれば夢もかなうし、結果的に素敵な未来が待っているはずです。
成長するためには「毎日を本気で生きる」ことが大切です。
では、本気で生きるにはどうすればいいのか?
その答えが「終わりを決める」ということなのです。
終わりを決めるから、日々を本気で過ごすことができる。
本気で過ごすことができるから、毎日成長でき、結果的に夢がかなうというわけです。
「このお店は1000日営業したら閉店します」
ぼくの仕事は、ラーメン屋です。
31歳のとき、地元の大阪にラーメン店「鶴麺」をオープンしました。その3年後には、2号店「らぁ麺クリフ」を開店。
どちらも連日行列のできる人気店となり、テレビなどにも多く出させていただきました。
そして、2018年42歳の春─ー。
アメリカのボストンに「鶴麺デイビス」を開店しました。
おかげさまでオープン以来話題となり、地元の新聞にも1面に取り上げてもらいました。「行列に並ぶ」という文化に馴染みのないアメリカでも「行列店」となり、雪の降る寒いなかでも、ぼくのラーメンを食べるために多くのお客さんが並んでくれています。その活動は「情熱大陸」でも取り上げていただきました。
この「鶴麺デイビス」は、ちょっと変わったお店です。
それは「1000日営業したら閉める」と決めていることです。
すでに閉店する日が決まっているのです。つまり「終わり」を決めたうえで営業しているわけです。
なぜ、1000日と決めているのか?
よくマーケティングや話題づくりとしてやっていると思われるのですが、そうではありません。「期間限定」や「ポップアップショップ」で注目させようとしているわけではないのです。
終わりを決めるのは、「自分を本気にさせるため」です。
みんな勉強や仕事で「締め切りがあったからお尻に火がついて本気になることができた」という経験があると思います。終わりが見えないと、どうしてもダラダラしてしまいます。
だからぼくは、受動的な「終わり」ではなく、積極的に自ら「終わり」を決めて、本気の1000日を過ごしているのです。
本気でやることは、つらいことだと思われがちです。
でも実際は違います。
本気でやることは「楽しい」ことです。
もちろん体は疲れるのですが、メンタルはものすごくスッキリしています。毎日に張りが生まれますし、今ぼくは最高に楽しい毎日を過ごしています。
本気でやるからこそ楽しむことができるようになるのです。ぼくは自分が「今を楽しむ」ために、あえて終わりを決めているのです。
未来が見えない時代だからこそ1000日に集中する
終わりを決めているのは「自分が成長する」ことにフォーカスするための仕掛けでもあります。
ぼくはつねに「結果ではなく、いかに成長するか」にフォーカスしています。
なぜ「成長」にフォーカスするのか?
それはまわりまわって未来の自分を助けるからです。
成長こそが将来に対する何よりのリスクヘッジであり、楽しく生きるコツだということです。
成長にフォーカスすることで、将来への不安をなくす。もしくは「成長する自分を楽しむ」ことによって、将来の不安について考える時間をなくすことが大切なのです。
「1000日営業」という数字にも意味があります。
これがたとえば「1万日後に閉店する」だったらどうでしょうか? ちょっと遠すぎて実感が湧きません。「あと1万日あるから、まあいいか」となります。逆に「100日」だと近すぎます。もちろん終わりを設定しないよりはいいのですが、短いのでスケールが小さくなりがちです。
「1000日」というのは、近すぎず遠すぎず。終わりを実感しつつも、ダイナミックなことができるちょうどいい日数だと思っています。
「この日数であれば、毎日を楽しみながらがんばれそう」。そう思える日数を自分で探ってみてもいいかもしれません。
先の見えない時代、多くの人が将来を不安に思っています。
なるべく先のことを考えながら「貯金をしたほうがいいのかな?」「副業をやったほうがいいのかな?」などと考えながら過ごしています。
ただ、これだけ変化の多い時代に、10年も20年も先を見据えて生きるのは無理です。会社も終身雇用ではなくなりつつあります。世界の状況も日々刻々と変わって、誰も予測できません。
そんななかで「将来のことを考えながら生きなさい」「きちんと老後のことを考えなさい」と言われても、どうすればいいかわからない人が大半でしょう。結局、日々をダラダラと過ごしながら、不安な状態がずっと続くだけなのです。
「これからどうなるか」より「これからどうしたいか」
ひと昔前であれば「先見性を磨いて、計画的に生きる」ということも大切だったでしょう。でも今の時代、それはそうとう難しいことです。
10年前に、今の状況を予想できたでしょうか? 老若男女がスマホを使いこなし、スマホで動画を見て、SNSに没頭する時代─。そんな世界を予想できるはずがありません。「先見性を持つ」ということは、今の時代ほぼ「ギャンブル」のようなものになってしまうのです。
「まわりがどうなるか?」とただ不安を抱えているだけで「待ち」の姿勢でいては、何も動けません。
ボーッとしているあいだにも、どんどん時代は動いていき、取り残されてしまいます。
最近成功している人は「これからどうなるか」なんて考えていません。むしろ「これからどうなるといいか」「これからどうしていきたいか」を考えています。
未来を予測して動くのではなく、自分が実現したい世界とはどのような世界なのかをしっかり考えています。
その大きなビジョンに対して、自分の特性を活かして貢献することが成功につながるのだと思います。
1000日後以降のことは考えない
よく聞かれるのが、こんな質問です。
「じゃあ、1000日後になったら、どうするの?」
ぼくはこう答えます。
「それは1000日後に考えます」
1000日後以降のことは1000日経ってから考えればいいのです。今は考えない。今は「今の成長」にだけ脳を使えばいいのです。
1000日後、もし弟子が育っていたら弟子に引き継いでもらうかもしれないし、ボストンでもっとラーメンをつくりたいと思ったらまた仕切り直しで一からラーメンをやればいい。
もしかすると、ラーメンではなくまったく別の仕事に興味を持っているかもしれない。1000日後の状況は、今のぼくにはわからないので、そのときの感情に従えばいい。そう思っているのです。
ボストンのお店の開店初日から400日以上が経っていますが、ぼくの脳内には「今日のラーメンを昨日よりもおいしくする」ということしかありません。「今日がんばる」というのを毎日繰り返していたら、少しずつでも「成長」するはずなのです。
ぼくはそもそも「なまけもの」です。夏休みの宿題を8月31日の夜から始めるような「めんどうくさがりや」の少年でした。
でもそんなぼくでも、この「今を生きる」思考法を身につけてからは、物事を後回しにせず努力ができるようになり、成長できるようになりました。そして、命を燃やして生きているという充実感のある人生を送れるようになりました。
仏教の時間の概念のひとつで、最小単位を表す「刹那」という言葉があります。人生100年時代と言われる今、この「刹那という極めて短い時間を大切に生きる」ことこそ、長い人生を後悔せずに生き抜くヒントなのではないかと思います。
「○○したら○○しよう」と言う人は一生動かない
「営業部でトップの成績をとったら独立しよう」とか「300万円貯金できたらお店を出そう」などというセリフもよく聞きます。
ただ、これは言い訳です。
「◯◯ができたら〜」という考え方には、主体性がありません。「じゃあ、それはいつなの?」と聞くとだいたいの人が黙ってしまいます。そこに意志がないからです。
「トップになったら」と言っても、放っておいたら勝手にトップになるわけではありません。自分ががんばらないことにはトップになれるはずがない。順番が逆なのです。
大切なのは「3年後にトップになる」と決めることです。
そこには明確な意志があります。考え方の順番を変えるだけで、まるっきり違うものになります。
「英語をしゃべれるようになったら、アメリカで起業する」ではなく「2年で英語をマスターして起業する」。「1000万円貯まったら起業する」ではなく「3年で1000万円貯めて起業する」。期限を決め、考え方の順番を変えるだけでまったく違ってくるのです。
「いつか○○する」という宣言は、宣言していないのと同じです。
「夢は起業することです」「いつか自分のお店をつくりたい」では、何も言っていないのと同じようなもの。そこに「期限」が入るだけでぐぐっと現実味が増してきます。
「2022年の4月までに出版社をつくる」「2023年の10月までに渋谷にお店を出す」など、期限が入ることで本気度が伝わります。それをSNSに書けば、思わぬ援軍が現れたり、いい情報が集まってきたりもするでしょう。「手伝いたい」という人も出てきます。
「期限」があると、まわりの反応が変わります。そこにあなたの「決意」が見えるからです。今日から「○○したら〜」「いつか〜」は禁句です。
「いつでも会える」は、ずっと会わない
フランスのノートルダム寺院も、沖縄の首里城も、火災で一部焼失してしまうとわかっていたら、もっと多くの人が見にいっていたでしょう。火事になってしまってから「あー、見ておけばよかった!」と言い始めるわけです。
みんな「いつか見にいこう」と思っています。でもその「いつか」は永遠に来ないのです。
オーストラリアのエアーズロックも「いつか登ろう」と思っていたら登れなくなっている。富士山も「いつか登ろう」と言っているうちに火山活動が始まって登れなくなるかもしれません。とにかく「いつ」を決めないとダメなのです。
ぼくは基本的にボストンで仕事をしています。
だから日本の友だちには、日本にいる短いあいだにしか会えません。だから「今度いついつに日本に帰るから会おうよ」と会いたい人を誘います。意外と日本に帰ることは多いので、結局年に5回くらい会っていたりします。
もしぼくがずっと日本にいて「いつでも会えるな」と思っていたら、2年くらいは誘わないかもしれません。ほとんどの人が、会いたいけれど何年も会っていない人がいるでしょう。それは「いつでも会える」と思っているからです。
でもぼくの場合は、みんなも「大西くんがボストンから帰ってくるから会を開こう」と飲み会を開いてくれたりします。結果的に、ずっと日本にいるよりもたくさん会えることも多々あります。
「いつでも会える」と思っていると、なかなか会わないものです。そうこうしているうちに、お互い年をとってしまいます。
昨年の3月、母と2人で温泉旅行に行きました。
父が死んで以来、母は3年間一人、大阪に住んでいました。「いつでも会えるわけではないから、3月に帰国するときに温泉に行こう」と言って旅行に行ったのです。
この話をすると「親孝行ですね」とか「2人で行くなんて仲いいですね」とあちこちから言われました。でもぼくは、親孝行をするチャンスが少ないのです。孫もアメリカにいるのでなかなか会わせてあげられない。1年に1回会えるかどうかです。チャンスが少ないからこそ、いつでもできないからこそ、「旅行に行こう」と決めることができたのです。
うちのお店は、200日ごとにメニューが変わります。
そうなると「いつか行ってみたい」という人も減るはずです。なぜなら「大西さんのあのラーメンがおいしそうだからお金を貯めていつか行こう」と言っているうちに、そのラーメンはなくなってしまうからです。
しかもお店自体も1000日後にはなくなります。「いつか行こう」と思って忘れていたら、店はなくなっている。
形あるものはいつかなくなります。みんなそれに気づいていないし「まだ大丈夫、まだ大丈夫」と思っている。そうこうしているうちに、寿命が来てしまうのです。
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