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不機嫌な人は「コスト」がかかる
不機嫌な人は「コスト」がかかる。
たとえば、お願いごとひとつするだけでも、ふつうは、
「これ、お願いできます?」
「おう! いいよ。やっとくわ」
で、すむ。時間にして約2秒。
しかし、機嫌が悪い人を相手にすると、
「あの〜、◯◯さん。」
「あ?」
「あ、いや、いますごいお忙しいと思うんですけど…」
「あ? なに?」
「ひとつ仕事をお願いしたくて」
「いま忙しいんだよなあ……」
「あ、すいません。ちょっとあとでまた声かけます」
「んだよ」
これだけのやりとりが必要だ。しかも仕事を頼めていない。時間にして30秒ほどだろうか。
声をかけるほうは朝から気が重い。前の日から「どうやって声をかけよう…?」などと考えていたとしたら、その時間コストは数時間にも及ぶ。
もちろん、本当に忙しいこともあるだろう。仕事にポリシーがあったり、こだわりがあることは悪いことではない。しかし、ただシンプルに「機嫌が悪い」というのは、まわりにとって害悪でしかない。
機嫌が悪い人は「機嫌の悪さ」で人を動かそうとしているのだ。
機嫌を悪くしておけば、まわりが気づかってくれる。機嫌を悪くしておけば、余計な仕事は降ってこない。機嫌を悪くしておけば、勝手に誰かが先回りしてなにかをしてくれる。不機嫌というのは便利な道具である。
ただし、この戦略を使っていいのは「赤ん坊」だけだ。
赤ん坊は他人に気をつかうことなどできない。自らの不快を表現しないと手をかけてもらえない。生きていけない。よって、泣いたり、わめいたりすることで不機嫌を伝える。
ただ、赤ん坊には「コストをかける価値」がある。そこには親の「無償の愛」があるし、育てることにコストをかけるのは当たり前の話だ。不機嫌によってコストがかかったとしても、害はない。
大人になってからも不機嫌を武器に人を動かそうとする人は、赤ん坊であると言える。大人は赤ん坊とは違う。不機嫌でいればまわりから人は去っていき、いずれ仕事を頼みたいという人も減っていくだろう。
もし不機嫌でいたいのであれば「そのコストを払っても余りある技術や才能、センスが自分にあるのか」を問いかけたほうがいい。もしその自信がないのであれば、いますぐ不機嫌をやめることだ。