読みやすい文章は「デザイン」が優れている
村上春樹さんや林真理子さん、糸井重里さん、『嫌われる勇気』の古賀史健さん。彼ら彼女らの文章は、スルスルと読める。とっても読みやすい。
その「読みやすさ」の正体ってなんだろう? と考えてみる。
読みやすい文章は、パッとその文章を見た瞬間に「読みやすそう!」と思える。これは「文章の中身」というよりも「デザイン」に近いのではないかと思う。
漢字とひらがなのバランス、改行の位置、「(会話文)」の割合などを計算し、「ビジュアルとして」読みやすくデザインされているのではないか。
文章の中身が大切なのは言わずもがなだけれど、それ以前に、パッと見のデザインが秀逸なのだ。
たとえば、村上春樹さんの文章。
彼女の名前は忘れてしまった。
死亡記事のスクラップをもう一度ひっぱり出して思い出すこともできるのだけれど、今となっては名前なんてどうでもいい。僕は彼女の名前を忘れてしまった。それだけのことなのだ。
昔の仲間に会って、何かの拍子に彼女の話が出ることがある。彼らもやはり彼女の名前を覚えてはいない。ほら、昔さ、誰とでも寝ちゃう女の子がいたじゃないか、なんて名前だっけ、すっかり忘れちゃったな、俺も何度か寝たけどさ、今どうしているんだろうね、道でばったり会ったりしても妙なものだろうな。
――昔、あるところに、誰とでも寝る女の子がいた。
それが彼女の名前だ。
『羊をめぐる冒険』より
パッと見ただけで「読みやすい!」と感じないだろうか。中身を読む前に「美しい」とわかる。
ちなみに、こうなるとどうだろう?
彼女の名前は忘れてしまった。死亡記事のスクラップをもう一度ひっぱり出して思い出すことも出来るのだけれど、今となっては名前なんてどうでもいい。僕は彼女の名前を忘れてしまった。それだけの事なのだ。昔の仲間に会って、何かの拍子に彼女の話が出る事がある。彼らもやはり彼女の名前を覚えてはいない。ほら、昔さ、誰とでも寝ちゃう女の子が居たじゃないか、何て名前だっけ、すっかり忘れちゃったな、俺も何度か寝たけどさ、今どうしているんだろうね、道でばったり会ったりしても妙な物だろうな。昔、或る所に、誰とでも寝る女の子が居た。それが彼女の名前だ。
見た瞬間に「うっ」となる。
もちろん村上春樹さんの文章なので、ちゃんと読めばめちゃくちゃ読みやすいのだけれど、パッと見のデザイン的にはやっぱり「読もう」という感じにはならない。
すぐマネできる「読みやすい文章」のつくりかた
というわけで、まあ、これは稚拙なノウハウだというのは自覚しているのだけれど、すぐマネできる「読みやすい文章」のつくりかたというのをまとめてみた。
ポイントは中身以前に「ビジュアル重視」というところだ。
①ひらがなを増やす
ふつうの人は漢字が多くなりがちだ。「何」「事」「僕」「今」などの漢字も「なに」「こと」「ぼく」「いま」などとひらがなにしてみよう(業界用語で「ひらく」と言います)。グッとプロっぽくなるので試してほしい。
糸井重里さんの文章は「え、そこもひらがな?」ってくらい「ひらがな」である。迷ったら「ひらがな」にする、と覚えておこう。
②4〜5行以内に改行する
改行が多すぎる文章はポエムっぽくなってしまう。一方で、改行なさすぎの文章は「読ませる」ためにパワーがいる。
文章力に自信がある人は改行なしでも問題ないが、文章力に不安がある人は読者が「しんどいな」と思い始める4〜5行くらいで改行するといい。(だからこのnoteも改行、多いでしょ。)
③キャッチーな一文を入れる
これは「デザイン」とは少し外れるが、最後まで読ませる文章には「印象的でわかりやすい一文」が1ページにひとつは入っている。ダラダラと同じ調子の文が並ぶのではなくて、ビシッとインパクトのある一文がスパイスのように混ざってるのだ。
上記の文章も冒頭からわかりやすく印象的だ。
彼女の名前は忘れてしまった。
そして、数行後にも、
昔、あるところに、誰とでも寝る女の子がいた。
とある。ちょっと飽きかけたときに「ん?」「えっ?」となる一文があると最後までスルスル読める文章ができあがる。
どういうのが「キャッチー」なのかはまた別の機会に。