はじめに申し伝えておきますが、私は神様というものに対して懐疑的であり、仏様というものは亡くなった人の事であるという認識です。 宗教というものに対しても、自分自身が信じるものがすべてであり、他人に対して強要するものでも、他人から与えられるものでもなく、自己満足の世界であるという認識です。 そのうえで、今日は「因縁」というものについてお伝えしたいと思います。 「因縁をつける」などという言葉がありますが、とんでもない言いがかりをつけて、相手を脅したりすることとして使われること
今の経済的に豊かになった日本であっても、他人を思いやったり、社会の規則に従ったり、あるいは親に恩を返したり、安易なものばかりに飛びつかず、こつこつと誠実に生きることがかすんできているように思えます。 私が今一番残念に思うのは、利己主義、自分中心にものを考える風潮です。それがとても残念であるのと同時に、末恐ろしく、不安になります。 人の心などどうでもよい、自分さえよければという自分中心の考え方、利己主義というものはとても恐ろしいものです。何代にもわたって、このような主義を通
皆さんは、自分を本当に大切にしているでしょうか。 この言葉を聞くと、自分に甘く、わがままに振る舞うことを連想するかもしれません。しかし、それは傍若無人というものであり、自分を大切にすることとは異なります。 「私」という存在は、誰も変わることができない、一度きりの尊いものです。歴史の中で、そして未来においても、「私」という人生は唯一無二のものなのです。そこにこそ、命の尊さや価値が宿ります。その価値は無限大と言っても過言ではありません。 このような命、「私」という人生を生き
こんにちは。かんなです。 今日は、「希望」というものの正体についてお伝えしたいと思います。 人生は時に辛く、苦しいものです。私たちは、その中で希望を見つけることができるでしょうか。希望とは、困難な状況の中で私たちを前に進ませる光です。では、その希望とは一体何なのでしょうか。 私たちは、辛いことや苦しいことがあったとき、頭の中にふっと浮かぶ何かが希望だと思いがちです。例えば、愛する家族のこと、仕事を終えた後の一杯のビール、夢や目標などがそうです。人によっては、死や絶望が希
はじめまして。 かんなと申します。 これから書いていこうと思っていることは、ある人にとってはとても胡散臭く、ある人にとっては有益で、ある人にとっては馬鹿らしく、ある人にとっては心の救いになるものだと思っています。 なぜなら、これから書いていく内容は、心を軽くする方法や、心の持ち方によって幸福感を得られるかといった類の話だからです。 このような話になると、宗教的な話や神様についての話が出てくることが多いです。 先にお伝えしておきますが、私は神様という存在に対してとても懐