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いそがしいひまじん

 「貧乏ひまなし」ということわざがあるが21世紀の貧乏人にはひまあり貧乏人とひまなし貧乏人がいる。まあ私もひまあり貧乏の一人だけど、
 ブラック企業で働いている貧乏人とかはひまなし貧乏に該当するのかなと思う。私が以前働いていた会社も辞めていった社員のロッカーにマスクが放置されたままだったし、会社の洗濯機が壊れても社員の金で直させたりする有様だった。物理的にも法律的にも叩けばホコリが出そうだ。
 ひまあり貧乏のほとんどは仕事のないフリーランスだ。今の私もその中の一人だが、長くやっていると同じような暮らしをしていそうな人が直感で分かるようになってくる。といっても周りがほとんどひまあり貧乏なので、ときどき普通に働いている人が近くにいると周りの空気が変わる感じがするぐらいだけど。
 ごくたまにひまあり貧乏の生活圏にいながら俺忙しいぜアピールをしてくる人がいる。自慢ではなく本当に忙しいのだ。観察をしていると不思議になる。本当に仕事で忙しいなら貧乏でないだろうし、やりがい搾取みたいな感じでこき使われているのだろうかと不安になる。
 人間関係作りで時間を取られすぎているのかなあと予想してみる。時間をかけようと思えばいくらでもかけられるし、名刺交換すれば頑張った気分になる。それでも本当に大事な人間関係ができるとどうでもいい人間関係作りは「これ無駄だな」って気づき始める。「本当に節約したければ高くても質のいいものを買いなさい」って言葉があるけどそれの人間関係版だ。
 この人との人間関係切ったら孤独になりそう。今まで積み上げてきたものがぶっ壊れそう。
 この恐怖で人は動けなくなる。人はいくら強がっても孤独には勝てないし、今まで努力や時間やお金をかけてきたものを簡単にあきらめたり捨てたりはできず執着してしまう。
 考えを説明しても説明しても理解してくれない人とか、うまくいかない時だけ応援する人とか、商売だと協力してこないけどカンパだと協力する人とか言い出すときりがないからこの辺でやめるけど人間関係ダイエットとか活動ダイエットをやらないと際限なく増えていく一方だ。特に趣味の会でも何かのリーダーをやっている人は側近の人が「この活動を始めましょう。この人と出会いましょう。」と進言してくれることはよくあるけど「やめにしましょう」の進言はしてくれない。撤退だけはリーダーの仕事だ。
 忙しくいろんな場所に呼ばれるひまあり貧乏の人は「人間関係の量をこなせる才能」や「忙しくてもやめる決断はしないくらいの人生の可能性」は持っているのだから普通のひまあり貧乏よりは恵まれていると私は思う。

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