普通ができない人の世界に普通の人が増えた。
普通の人生ができない人のためのコミュニティに年々「いわゆる普通の人、普通のサラリーマンの方が向いていそうな人」が入ってくるようになった。
すごい人も変な人もいっぱいいるびっくり箱みたいなイベントにはあまり出会わなくなった。私自身はイベントにはたくさん参加しているので「おもしろいイベントかどうか判別する能力」は上がっていると思うのだが最近「当たりはずれのあるコミュニティ」を見なくなった。
その代わりに増えたのが「そこそこ普通の人がそこそこ集まる系のイベントやコミュニティ」、理解不能なことをする人がいないので安心感があるためか人数は結構集まるのでイベント主催者的には合格なのかもしれない。しかもこのそこそこ普通のコミュニティ、何代か前は「やってやるぞ!」と強い覚悟を持った人が作ったような看板を未だにぶら下げていることが結構ある。結果として「未知との遭遇を期待して足を運んだら意外と普通の人の集まりだった。」みたいな事がよく起こる。
普通の人生ができない人の会が年々薄味になっている。誰でもさらっと参加できる代わりに強烈な主張とかが無くなった。どんなコミュニティでも同じことが言えそうな気もするが、コミュニティは成長すると「自分からは動かない、いわゆる普通の人」が増えてくる。こうなってくると人数はいっぱいいるのに新しく何かやりだす人がいない現象が発生する。そして普通の人が多数派になると普通の会になってしまって、立ち上げの時にいたエネルギーのある人が去っていくか幽霊部員になっていく。
ニート的生き方マトリクスに登場する界隈(ギークハウス、リバ邸、ニート株式会社とか)を観察してみて、年々丸くなっていると思う。コンプラにうるさくなった時代のせいで過激な情報を発信できなくなったかもしれないし、社会の当たり前という大陸が年々小さくなっていて普通のサラリーマンやっていた方が向いてそうな人がなだれ込んできたことも大きいと思う。
90年代とかゼロ年代に書かれた「普通ができない人の生き方本」だと、社会の当たり前に対する一種の闘志のようなものがあった。もっと昔のヒッピーと呼ばれた人たちの記録だと独自の世界を作ろうと山を開拓してコミューンを作ろうとしたりととにかく行動が激しい。
長い目で見ると「普通の生き方ができない人の界隈」は拡大して誰でも参加しやすくなった代わりに普通の集団になっていった。
成長すると丸くなる問題を解決できたコミュニティが次の時代を作っていけると思う。いかに普通のサラリーマンの方が向いていそうな人たちを普通ができない人の世界に溶け込ませるかがカギになってくる。