プロ化した仕事
私はドア型人材を目指していてそうなるために何かおもしろそうなプロジェクトがあったら自分で参加するだけで終えずに相性のよさそうな人を巻き込むようにしている。
人と人をつなぐ存在をイメージすると頭の中に「お見合いおばさん」が浮かんでしまう。
お見合いおばさんとは文字通りお見合いをセッティングする人の事で、私は直接は見た事がない。今では半ば都市伝説のような存在になっている。「お見合いおばさん」という名前になったのは、おじさんよりもおばさんのほうがお見合いのセッティングに使える自由時間が多いイメージがあるからだと思う。
今ではお見合いおばさんもお見合いも社会から消えかかって都市伝説になりつつある。
お見合いが無くなっていった理由は「断られるから」。
紹介された人が断るようになった理由は「セッティングしてくる人が信用できないから。なんだかよく分からない人に何者かよくわからない異性を紹介されても困ってしまう。」
信用度70パーセントぐらいのおいしい話なら「一応聞いてみるか。」となるけれど、信用度70パーセントくらいの人の持ってきた信用度70パーセントのおいしい話はどんどん信用が下がって実質49パーセントぐらいになってしまうと思う。信用できるか微妙なAさんが持ってきた信用できるか微妙な話を信用してくれる人は少ない。まして結婚相手を決めるとなると「どうやって穏便にすませるか」を考え始めるようになる。当たり前だ。
お見合いは減ったが結婚相手を誰かに紹介してもらうことはビジネスとして生き残っていて、結婚相談所は繁盛している(ように筆者は見える)。つまり一昔前は仲人やお見合いおばさんがやっていたことはビジネス化されてきているのである。
結婚相手の紹介を同じ人が同じクオリティで頑張っても、素人だと「なんだかよく分からないお見合いおばさんの紹介だとロクな人はいないだろう。」ってなるけど、プロだと「看板を掲げてやっている相談所の人ならプロとしての信用もあるからちゃんとした人を紹介してくれるんじゃないだろうか?」って前向きに考える。
基本的に同じモノやサービスならより安いものがいいしできればタダがいい。でも人生における大事な要素がかかわってくると選択における価格の優先度は下がってくる。普段の食事は安くて栄養が取れればいいという考えでも、大事な人との食事には気を使っていいものを食べようとするような感覚である。
同じ理由でいわゆるコミュニティマネージャーの仕事も昔は商店街のコミュニティの中心にいる人が無償で自発的にやっていたと思う。
なぜ無償でもしっかりやってくれたのかというと、
商店街や地域のコミュニティが元気になれば自分のお店も栄えるから。
小さなコミュニティの中で完結していた時代だったら「いつも同じ町で商売している○○さんが地域のマネージャー的役割をやるなら信用できる。」となっていたけれど、今の地域コミュニティは構成要素が複雑になっている。
外部の人も呼びたい、地元の人の満足度も上げたい。増えた空き家を何とかしてくれ。子供のために駄菓子屋や子ども食堂が欲しい。老人が元気に過ごせることも考えてほしい。子育て世代も大事にして。独身者のために婚活イベントも作ってくれ。
みんなの意見を逐一書いていくとこんな感じになる。とても「特定の分野の人」にまかせっきりにはできない。だからこそ政治家という公務員が必要になるのかな?とも思うがその政治家も金を持っている団体がバックについているから信用されていない。自民党が「コロナはそんなに怖くないです。5類になりました。」といったところで街を歩くとマスクを未だにしている人が大勢いる。
結局、しがらみのない地域コミュニティのまとめ役が欲しい時にはお金を払って専門の人を新しく雇うことになるのである。
人が増えていく中でできる「新しい仕事」は「特定の人に頼むのはめんどくさいけど、信用できる誰かに頼みたい。」となってできている。