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アンケートでもらった悩みに答えてみる
生き方ガイド時代に「皆さんどんな悩みがありますか?」と悩みの募集をかけてみた。その中からちょっと気になる悩みに丁寧に答えてみる。
自分がやりたくてやってることなのに辛くなる時がある(20代女性)
やりたくてやっていることが仕事か趣味か勉強なのかボランティアなのかは分からないので具体的な答えは出しにくいが、始める時にノリノリで数か月後に嫌になってやめるのは私も結構やっている。特に私の場合は「みんなで何かやろう」みたいな感じでイベントみたいに「何日まで頑張る」といった期限がないと惰性で続いて精神的に滅入りやすい。
でもまあ、やりたくて始めたあなたもいれば辛くなったあなたもいるわけだし、やりたくなった時の気持ちを思い出してから、なぜ辛くなったのかを分析して今後の方針を決めてみるのが良いかなと思う。
兄と母との不和。家の維持。仕事場の維持。(40代男性)
自分以外の家族の仲が悪いと家全体も維持する話し合いがやりにくくなってしまうし、仕事にも悪影響が出てしまうと思う。
家族の仲を良くする、少なくともこれ以上悪くならないようにするには、直接話し合いさせることをいったん避けて、仲の悪い家族の一人一人に個別で話を聞いて解決できそうなポイントを探すことが今できる一番良い手かと思う。誰かと仲がすごく悪くなって憎みあっている時は相手の事しか眼中にないけど、第三者目線だと当事者に見えないものが見えている部分も多い。 あとは憎みあっている二人にしばらく離れてもらって、怒りが収まってきたときに話し合ってもらう、あたりの手が考えられる。
自分がすべきことがなんなのかがわからなくなります。 何もかもが意味の無いことに思えてしまいます。 働くこと、創造すること、知恵を絞ること、人と人が影響し合うこと、それが例え実現したとしても、次々と新しい課題、ミッション、社会移り変わりに対応しなければならないということ。 「多様性」という言葉一つとっても、多様性を認める人がいて、多様性を否定する人がいて、否定している人に、多様性を認めろ!ということ自体が、多様性を否定していることになるという矛盾。 言っていることと、やっていることの矛盾に気がついていない人が多いこと。 資本主義の堕落と崩壊、かといって、共産化すべきとは思っていない。 大きな政府を目指すことは良いことだが、お金がない。 お金は一体なんなのか?既にドル基軸通貨制度が破綻していると感じている中で、消費生活がお金に左右されていること自体が馬鹿馬鹿しく思える。 などなどです。(50代男性)
社会がめちゃくちゃに変化していて自分の立ち位置が分からなくなってしまう。私も結構同じ失敗やります。
多様性という言葉がずいぶんたくさん使われていて薄ぺらくなったと私も思っていて、多様性は本来は「多様な意見を認め合おう。」という価値観だけど、みんなの心に余裕があるうちは募金に協力する感覚で多様性にも協力してくれる。
しかし今は普通の生き方の人でも生きづらい時代で、心に余裕が無くなってくると「お互いを認め合って少数派の意見も尊重して、ああしてこうして」とやっているうちに、自分の意見が押しつぶされそうになっている人が出てくる。
「多様性にうんざりした。もう協力できないよ」となってしまった人も取り込んでこそ真の多様性なのかなと思うが残念ながら今、多様性を大事にしている人にはうんざりした人を納得させる正当性を説ける人は私が知る限りいないようである。
資本主義の堕落と崩壊について
大きな目では戦争や大災害が起こらないと所得格差が延々と広がり続けてしまう問題や、ドル基軸通貨制度も第二次大戦終戦時のアメリカが少なくとも資本主義国では最強だった時代に作られた制度なので、今後の経済次第ではどう転ぶか分からない。それにお金自体も不換紙幣(金に交換できない)を世界各国で普通に使っているのは世界史の目線で見ても極めて特異な時代である。
大きな目ではお金はくだらない。でも私たちは現実問題としてお金に振り回されている。一般市民にできることは意味の分からない出費を抑えて、本当に好きなモノのためにお金を使うのがこのくそったれな社会へのささやかな抵抗に見える。
何も意味が見いだせなくなったらしばらく隠居みたいな世間から離れてみるとリラックスできてやる気とかがまたわいてくるかなと思う。社会とは適当に距離を取ろう。