何があっても、共に生きてゆく
以前住んでいた「アオイエ」というシェアハウスのOBOG LINEが動いた。
「1年間を振り返るアドベントカレンダーをみんなで書こう!」というもので、せっかくなので書いてみることにした。
アドベントカレンダーが何なのか、いまいちよく知らなかったが12月1日から25日まで、毎日いろんなテーマでネットブログを上げていく試みらしい。
僕はあまりこういう企画に乗らないタイプで、シェアハウスで開かれる合宿などの催しにもことごとく参加しなかったが、LINEを見たその日気分が良かったことと、アオイエでできた繋がりってやっぱりいいな、と思える機会があったので参加した。
1年間の振り返りをざっくりしつつ、要所で起こった元シェアメイトとの関わりについて書いて行けたらと思う。
この1年を振り返るにあたって、まず外せないのは「精神障害」のことだ。
僕は今、鬱とパニック障害の療養中である。療養中といっても、感覚的に今後全快復はなく、一生ついて回るであろう僕の一部になりつつある。
家族以外に発作が起きた瞬間や、鬱状態の姿をほとんど見せたことがないため、この1年間で僕に会った人は本当にそうなのか?と疑うかもしれない。いや、実際は誰も疑ってはいないけど、こんなにしんどい思いをしているのに、心のどこかで「やっぱりこいつ平気なんだ」と思われるのが癪なんだろう。つくづく自分は面倒くさいやつだ。
まず症状がひどくなったのは、去年の10月。元々パニック発作は持っていたが、なんとかコントロールできる範囲だったものの、一気に崩壊して家から一歩も出ることができない状態になった。
家どころか布団から一歩も動けなかった。強烈な吐き気、めまい、腹痛、過呼吸…もうありとあらゆる身体症状に1日中苦しめられる日々が1ヶ月ほど続いた。今だから言えるが、眠ろうとすると突然動機がして、体が過呼吸で硬直状態になってしまうため、小学生ぶりに母親に側についてもらって一緒に寝た。すぐに誰か呼べる状態にないと、不安で、苦しくて、夜も眠れなかった。
そこからW杯を見て涙できるくらいには少し回復したが、相変わらず外出は家から徒歩5分圏内が限界だったし、電車にも乗れなかった。特に怖かったのは、お風呂にようやく入れるようになってきた頃、ずっと過去に傷つけてしまった人や、喧嘩した友人からの「死ね!」という幻聴が聞こえてきたことだった。彼らの中には過去に一悶着あって以来、もう縁が切れてしまった人もいて、ずっと浴槽の中で「ごめんなさい」と連呼していた。
症状の急性期(一番酷かった時の状態)を書くとキリがないので、ようやく図書館に出かけたり、2,3駅程度なら電車に乗れるようになったところまで話を進める。なお、このアドベントカレンダーを書くにあたって、スマホに残していたメモを見つけたが、一番しんどい時期に「山羊のキンタマが食べたい」と書いてあって笑ってしまった。たぶんテレビか何かで見かけたのだと思うけど、頭に思い浮かんだことがそれくらいしかなかったんだろう…。
急性期を超えてから4ヶ月ほどが経ち、貯金が毎月少しずつ減っていくのが気になったので今の状態でもリモートでできる軽作業はないかと考えていた。僕は元々フリーランスだったので、傷病手当もなかったため、貯金を切り崩しながら生活していた。そこでアオイエの中崎町で一緒に暮らしていたKさんに相談したところ「仕事あるよ」とすんなり紹介してもらえた。
今回に限った話ではないが、Kさんは僕のお兄ちゃんのような存在で、面倒見が良く、困ったことがあれば何度も助けてくれた。特に仕事をはじめとする金銭的な相談にはよく乗ってくれて、Kさんがいなかったら僕は今の仕事をしてなかっただろう。あ、ちなみに僕はフリーランスでWebディレクターをやっていた。
それで元気な時に使えるくらいのお金は稼ぐことができたし、Kさんが請負先の会社の上司に鬱とパニック障害の状態を伝えて、条件面をすり合わせてくれたおかげでプレッシャーを感じることなく3ヶ月ほど簡単な仕事をこなすことができた。アオイエにいると、親戚のようにお互いを気にかけて助け合える人たちがたくさんできるのは、一ついいことだと思う。HPやSNSでアオイエが発信している内容は、表面上「キラキラしている自己実現集団」のように見えるかもしれないが、実際は、ただ普通に少し大人になった人たちが支え合って日々の営みを送っている物件も多い。少なくとも自分が住んでいた頃はそうだった。
だからこそ、離れ離れになって、その人がどんなふうに過ごしていようが、何をしていようが、いつでも手を差し伸べて支え合える関係性が続いているのだと思う。僕はいつもそう感じているし、ここで紹介したKさんだけでなく、一緒に住んだ人たちのことを数日に1回は「元気にしてるかな」と考えている。
1年の振り返りのつもりが少し話が逸れてしまった。そんなこんなで、薬の効果が出始めたのか、徐々に症状が落ち着いてきて、少し遠出ができるようになったり、調子がいい時は週に3日ほど(数時間だけど)働くことができるようになった。
そんな時、これまたアオイエで2年ほど一緒に住んでいたYから「フットサルしない?」と声をかけてもらった。彼とはよくサッカーの話をするし、一緒に住む中で喧嘩もしたし、僕以上に僕のことをわかっているところも多いくらいの仲だと思う。
走って息が上がるだけで発作が起きそうになるので、誘われた時は少し躊躇ったが、Yが一緒にいるなら大丈夫かと思って参加してみることにした。結果、多少危うい場面はあったが楽しい時間を過ごすことができた。とはいえ次誘われても体調次第で行ける保証がどこにもなかったので「もしかしたら次は無理かもしれない」と言ったところ「とりあえず無視されても誘い続けるわ」と言われ、Yらしい優しさを感じた。これがきっかけで会う頻度が増え、今は週に1回は少なくともフットサルをしたり、一緒に作業するようにな
っている。
僕が僕らしくいられる、Yとの時間がなんだかんだで好きだ。僕が何をしていても、こんな状態になっても、相変わらず一緒にいてくれる存在に触れたことで、鬱やパニック障害と付き合う勇気が出てきたように思う。つい先日、思い切って障害者手帳も申請してきた。はっきり言って、自分が社会的に「障害者」というレッテルを貼られることに嫌悪感がなかったといえば嘘になるが、今はそうではない。これから先、アオイエで出会った人たちが周りにいてくれれば、なんとか生きていけそうな気がする。生きる楽しみを実感できそうだと思う。こんな病気になったけど、卑屈になり過ぎずに済んだのは間違いなく彼らのおかげだった。ありがとう。
次の1年も、みんなで支え合いながら、流れゆくままに過ごしていけたらいいな。