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河合優実主演、入江悠監督『あんのこと』のこと

先週(6月7日)から公開されている入江悠監督の最新作『あんのこと』。プレスリリース一式を担当しました(導入の解説、ストーリー、監督インタビュー、主演・河合優実さんインタビュー、プロダクションノートなど)。

本作は2020年、コロナ禍の東京で実際に起きたことをベースにしています。出発点になったのは、ある女性の死を伝える新聞記事。その事実に衝撃を受けた入江監督が、独自に取材を重ね、自らの悔恨も重ねて脚本を書き下ろしました。

主人公の香川杏は20歳、覚醒剤と売春の常習者。ホステスの母親と足の悪い祖母と、東京・赤羽の団地で3人で暮らしています。彼女は子どもの頃から、酔った母親に殴られて育ちました。小4で不登校になり、難しい字の読み書きはできません。初めて身体を売ったのは12歳で、相手は母親の紹介でした。そんな薄暗闇のような日々が、ある刑事との出会いをきっかけに少しずつ変わりはじめます。でも、ようやく繋がった細い糸は、突然のコロナ禍に断ち切られてしまう──。

ここに書いた基本設定はすべて実話です。未来に向けて歩きだしていた彼女は、コロナ禍で居場所をなくし、あっという間に追い詰められていく。カメラはそのプロセスを淡々と、ウェットな情感を排した眼差しで切り取っていきます。

と同時に、不思議にきれいな映画だな、とも感じました。はじめて自助グループに参加した杏を照らす、冬のやわらかい光。実家を飛び出して逃げ込んだ、殺風景なシェルターマンション。その窓ガラスを開けたとき、前髪をやさしく揺らした風。練習のためノートに書き連ねられた拙い文字。彼女の人生にたしかにあった「かけがえのない瞬間」が、スクリーンに映っていたからです。

試写から時間がたち、記憶の中で映画を反芻するたびに、その印象は強まっていった気がします。もちろん、最初に抱いた「私たちの社会は、彼女を救えなかった」という思いが薄まったわけではありません。ただ、打ち合わせや取材を重ねながらリリースを書く中で、文章の軸足は自然と「彼女は全力で生きようとした」の方へと移っていきました。

「これまでの作品と違い、今回はあらかじめ物語の“落とし所”を考えなかった。とにかく彼女の人生を尊重し、彼女の目に映ったであろう風景を、主演の河合さんと考えながら撮っていきました。その意味では作劇のアプローチを根本的に変えています」これはインタビューで印象に残った、入江監督の言葉です。

杏を演じた河合さんは、取材で繰り返し「彼女の人生を生き直す」という表現を使われました。そして、こんなふうに思いを話してくださいました。「私たちにできるのは、数年前の日本で実際に起きていた事件を知ること。コロナが収まった今も、それを忘れずにいることだと思います彼女が感じた痛みを多くの人がわかつようになってくれれば、それは意味のあることかもしれない」と。

関係者から詳しく話を聞き、どこまでも真摯に主人公と向き合った河合さんの演技は、圧巻と言ってもいいと思います。苛酷な境遇に生まれ、それでも全力で生きようとした杏という女性が、まさにそこにいるようです。彼女の人生と交差した人々を演じた共演者の方々も、みなさん実在感があってすばらしかった。平板な(ときに殺伐としがちな)ロケーションを使いつつ、緻密な計算で豊かなルックを創り出した演出・スタッフワークも見事です。

劇場パンフレットにはほかにも共演の佐藤二朗さん、稲垣吾郎さんのインタビュやー、森直人さん(映画評論家)、佐々木チワワさん(ライター)の寄稿も掲載されています。映画館でお手にとっていただけると、とても嬉しいです。

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