TFuku

作文の練習のつもりで書いています。

TFuku

作文の練習のつもりで書いています。

最近の記事

おぼえたい、おふくろの味

81歳の母が要介護1の認定を受けた。 第三者からそういう評価を受けたということ。少し寂しい気もした。 近くに住んでいるわけではないので、意外、というか気づかなかったこともある。でも少し前に会ったときに、身体的な衰えももちろんのこと、いろいろなことへの関心や意欲も、やや薄れてきているのかなぁ、という感じもしていたので、ある意味納得でもあり。 ところで、たまたま材料があったので、昔母がよく作っていたおかず(副菜のようなもの)を作ってみた。 インターネットで似たようなレシピを探

    • せんせい、あのね(昭和59年)12月1日 土よう日

      「テレビゲームをしたこと。」 きょうファミリーコンピューターのパックマンをしました。 パックマンはきのうぼくのおばさんがおくってくれました。 ぼくはむずかしいけれど、おにいちゃんは、かんたんにできます。 ぼくもきょうまたやってみました。 さいしょは二せんなんびゃくてんぐらいとっていたけど二かい目はせん八ぴゃくてんとりました。 ゲームの話題は以前にもあったけど、「げえむ」から「ゲーム」に、表記がちゃんとカタカナになっている。カタカナの使い方を覚えていて、成長が感じられてうれし

      • せんせい、あのね(昭和59年11月28日 水)

        「ふじわらくんと川さきくんとサッカーをしたこと」 きょうふじわらくんと川さきくんとサッカーをしました。 さいしょにいけのこうえんですわってしゅくだいをしました。 つぎにサッカーをしました。 ぼくと川さきくんでくみました。 ふじわらくんは一人でやりました。 ぼくはキーパーになりました。 でも5たい0でまけました。 だけどほんとはとちゅうでおかあさんがきたのでかえりました。 そしてえのことはあれぐらいかんたんとおもいました。 キャプテン翼のブームもあって、サッカーが大人気。 そ

        • せんせい、あのね(昭和59年11月26日 月よう日)

          「こうかいしたこと」 きょうあお木くんにえをかいてもらいました。 そのえはキャプテンつばさの三すぎじゅん、という人のえです。 それでふじわらくんがそのえを見てかっこいいから「うつして。」といいました。 ぼくはだから2まいうつしてあげました。 つぎは「10まいうつして。」といいました。(※先生コメント。このときの気もちは?) ぼくはまず学こうで10まいのうちの1まいをうつしました。 かえりのかいのときふじわらくんがれんらくちょうをわすれていたから1まいあげたらえは9まいでいいと

          せんせい、あのね(昭和59年11月21日)

          「あそんだこと。」 きょう二年せいとじてん車にのってあそびました。 ぼくが二年せいのじてん車にのって、二年せいの人が、ぼくのじてん車にのりました。 じてんしゃに、のってみたら二年せいのじてん車のほうがのりやすかったです。 それで二年せいの人が「ぼくのじてん車とかえっこしよう。」といったけどぼくは「いや。」といいました。 きょうは、唐突に書かれた母親のコメントと、それに対する先生のコメント。 母親もよく教えてくれていたし、先生も子供たちに真摯に向き合ってくださていたのだなぁ、

          せんせい、あのね(昭和59年11月21日)

          せんせい、あのね(昭和59年11月19日)

          土よう日にじてん車をかってもらいました。 ほんとうは日よう日にかうつもりだったけど土よう日にかいました。 いえにかえってたててのってみるとたかくてなかなかのれませんでした。 でも日よう日れんしゅうしてのれるようになりました。 だけどじてんしゃにのらないであそびにいっているあいだにのれなくなっていました。 でもまたれんしゅうするけどきょうはしません。 親に買ってもらった自転車。 イラストまで描いて、うれしかったんだろう。 この手のスポーツ自転車がまだこのころは子供たちに人気

          せんせい、あのね(昭和59年11月19日)

          せんせい、あのね(昭和59年11月16日 金よう日)

          きょういえにかえってきょうかりた本をよみました。 「にんじゅつ・手じなのひみつ。」 という本をかりました。 それでぼくは手じなのなかの二つをやってみました。 1つはゆびを二ほんつなげて10センチくらい、ちかづけてみるとよぶんなゆびがまんなかにでます。 二つ目は十えんだまを二つくっつけてこすると、三つにみえます。 でも二つ目は十えんだまがなかったので一えんだまでやりました。 せんせいもぜひやってみてください。 内容とは関係ないけど、漢字をだいぶ使えるようになってきたなぁと感じ

          せんせい、あのね(昭和59年11月16日 金よう日)

          せんせい、あのね(昭和59年11月13日)

          きょう木のは木のみあつめにいったからよかったです。 それでどんぐりがたくさんみつかったからよかったです。 がっこうにかえってあなのあいたどんぐりを一つだけちょっとみてみたらむしがいました。 それではっぱとあわせてかぞえたら40こでした。 校外学習だったみたい。 木の葉、木の実を集めてみよう。楽しそうな授業。 そして拾った木の葉やどんぐりを使って、何か作ってみよう。 どんぐりに爪楊枝を指してコマや人形を作ったり、大きな木の葉に何か書いたり、とかかな。 ってありきたりなことをつ

          せんせい、あのね(昭和59年11月13日)

          せんせい、あのね(昭和59年11月9日)

          ぼくはどうしてあそべなかったかというとがっこうからかえってきておねえちゃんにあそびにいっていいかきいたらだめといったからあそべませんでした。 でもおかあさんがかえってきてまたきいてみたらいいといいました。 そしてきょうゲームをしてあそびました。 冒頭の「どうして…かというと」は、前に書いたあのねノートでお友達と遊べなかったことに対し、先生が「どうして?」とコメントで質問されたから。 律儀にきちんと回答を記しているところに、まじめさを感じた。 歳の離れた高校生のお姉ちゃんに

          せんせい、あのね(昭和59年11月9日)

          せんせい、あのね(昭和59年11月6日)

          きょうふじわらくんとあそぼうとおもったけどあそべなかったからいやだったです。 でもてれびげえむをしてあそびます。 そしてきょうのしゅくだいはおかあさんがおにいちゃんのちゅうがくのよぼうちゅうしゃなのでごはんをたべるときみます。 気になるのは今日の宿題が何だったのか、ということ。 ヒントはお母さんの何かを見る、ということ。 先生のコメントから推測するに、母親の働いている姿を見て、その感想を考えることのようだ。 お友達と遊べなくなって、晩ご飯を食べるまでの間にこの日記を書いた

          せんせい、あのね(昭和59年11月6日)

          せんせい、あのね(昭和59年10月17日)

          きょう、はらくんとあそびました。 さいしょにおりがみをしました。 つぎにたすけおにをしました。 そしてしゃしんごっこをしました。 でもかえりがおそくなっておこられたからいやだったです。 先生は順序のことを言ってくれている。 「さいしょに」「つぎに」「そして」先生はそこに特に丸をつけてくれていた。 確かに、このノートでそういう書き方をしているのは初めてかもしれない。 授業で教わったのか、読んだ本などでそういう書き方がしてあって、真似したのか。意識して書いているとすればすごいけ

          せんせい、あのね(昭和59年10月17日)

          せんせい、あのね(昭和59年10月15日)

          きのう、あめりかんふぇあにいきました。 でもついていくだけだからいやだったです。 とちゅうでいとこにあっていっしょにあそびました。 それでおみせにいとこがあめりかせいのチョコレートをわすれたのであるかどうかみにいったらありました。 「あめりかんふぇあ」・・・。 これも少し記憶しているのだが、父の田舎の小さな町で行われたイベントだったと思う。 昭和59年の人にとっての「アメリカン」と令和4年の人にとっての「アメリカン」のとらえ方はどのように違っているのだろうか。 「アメリカ

          せんせい、あのね(昭和59年10月15日)

          せんせい、あのね(昭和59年10月11日)

          きょう二ねんせいの人とやきゅうしておもしろかったです。 一かいせんはぼくたちがまけました。 二かいせんになって二ねんせいがホームランばかりうったのでまけていました。 でもとちゅうでかえったのであまりおもしろくありませんでした。 だけどそのときはかんぜんにまけていました。 二年生の友達とした野球、って誰とどこでしたのだっけ? もし記憶に間違いがなければ、その野球をしたという場所は、普通の住宅地の家の前の道路だったと思う。 マンホールがホーム、側溝のふたとかがベースになって、

          せんせい、あのね(昭和59年10月11日)

          せんせい、あのね(昭和59年10月8日)

          きのう、たいいくかいでだんすがおもしろかったです。 だけどにゅうじょうするときあがってしまってあまりうまくできませんでした。 いえにかえっておかあさんに一ねんせいのだんすでどこが、おもしろかったかというととんぼやあひるになってにゅうじょうするところが、おもしろかったといっていました。 先生のコメントがとても優しくて、ほんとうに温かい気持ちになる。 一年生の子供が「あがってしまってうまくできなかった」って自己分析、反省しているのが面白い。 子供なりに、うまくできた、できなかっ

          せんせい、あのね(昭和59年10月8日)

          せんせい、あのね(昭和59年10月3日)

          きょう、ぼくのいえでさいとうくんと、げえむをしてあそびました。 それで5じになってさいとうくんにおかあさんが「もうくらくなるからかえったほうがいいよ。」といったけどさいとうくんはまだしばらくかえらないでぼくが「ぼくのうちは5じまでしかあそばれないからかえって。」といいました。 そしてやっとさいとうくんはわかったといってかえりました。 おかあさんは帰りなさい、と言う。 お友達は帰ろうとしない。 その間で困ったことになっている自分の様子が思い浮かんだ。 人間関係、いまでもこう

          せんせい、あのね(昭和59年10月3日)

          せんせい、あのね(昭和59年10月1日)

          きのう、あめがふったのでおにいちゃんのうんどうかいがちゅうしになりました。 それにげえむがおくってきてずうっとげえむであそびました。 あそんでいたらともだちがきたのでいっしょにげえむをしてあそびました。 お兄ちゃんの運動会に触れてはいるものの…、完全に話題の中心は「げえむ」です。 このころのゲームといえば、ファミコン。 任天堂の初代ファミリーコンピューター。 調べたら1983年発売ということなので、我が家には比較的早く導入されていたことになる。 今なら「スイッチ」をする、「

          せんせい、あのね(昭和59年10月1日)