文章を描き続けるために
noteを初めてから、毎日今日の出来事を文章に置き換えて振り返るクセがついてきた。
その日のテーマが浮かんでくると、そこから想いを巡らせて深く考え直すこともできるし、明日につながるアイデアや悩んでいることがまとまることもしばしば。
もし、キーワードだけを残していて、文章におこすことをサボってしまうと、後から考えても違う内容になっている。
文章は思い立った時に書くことが大切。
その時が最も感情が沸き筆が走るからである。
と、いうことで今日のテーマは、定年退職。
今月にはいって、自分の部署から3人の退職者を送り出した。コロナ渦の中、宴会はもちろん控えての送り出しとなったのだが、やはり最後のご挨拶で話された内容はそれぞれに重みがあった。40年近く働いてきた方の重みだ。
1番の思い出深いことは怖い上司
3名の方に、思い出深い出来事を伺った時に、口を揃えて出できたのが厳しい時代の厳しい上司の思い出。
今でこそ、パワハラやブラック企業という言葉があるものの、『気合入れろ!』で乗り切ってきた時代で、今考えてると、『なんと理不尽な社会だったのだろう』と今の若い世代は考えられないような時代であったが、そこには人間くさい温かさがそこら中にあった。喜ぶ時は一緒に喜び、落ち込む時は酒を浴びて騒いで吹っ飛ばし、喧嘩する時も本気で喧嘩をしたり、そんな時代だった。
3名の方が、1番思い出に残っていたのが、そんな時代の苦労話で、もちろん痛みではない感謝の想いだった。
人は社会人として、社会と向き合う限り、超えないといけない限界の壁が存在していると思う。そして、そこを超えることで成長していくし、できることも増えていく。昔の怖い上司がいた頃は上司に、限界の壁に連れて行かれて、そして、そこから突き落とされる感じ。もちろん大怪我する場合もあるけれど、気がつくと壁を超えている。
職業人である前に社会人であれ
今の世代の人たちは、『大変だなぁ』と思う。
自分で壁を見つけて、登るべきか、回り道をするべきか、押し上げられる力がないこの時代、全て自分で選択しなければいけない。壁を登ることの重要性もわからない。テクノロジーのおかげで情報な溢れて、スマートだけど、汗はかかない。プロフェッショナルだけに、人の好き嫌いを能力で見てしまう‥
もし、こんなだったらちょっと寂しいよね。
『職業人である前に、社会人であれ』
こんなタイトルのnoteを読んだことがあって、
故野村監督の『野球人である前に、社会人であれ』から、自分の私利私欲のために働くのではなく、チームとして働かなければ、いい成績は出せないという内容だった。
とてもいいメッセージだと思う。
人との関係性を良識をもって育てていく‥
それが社会人だと思う。
良識のある社会人であるために
良識のある社会人とは、こんなことではないだろうか
・謙虚である
・ウソをつかない
・人の邪魔をしない
・社会のため、他人のために働く
・スタンスを貫いて嫌われる勇気をもつ
人によっては、内容が色々とあるだろうが、
書き出してみると自分の目指すべきスタンスが見えてくる。何者かになるには、スタンスが重要だ。
定年退職について書き出したが、思わぬ方向に考えが走り出したw
ともかく、これからの時代、定年退職は何歳?
人生100年時代、退職という概念はなくなるかもしれない。転職を繰り返して、そこで、やり切った充実感もないかもしれない。『勤め上げた』という言葉も死語になりつつある今、見えないゴールに向かって走り続けないといけない‥ そんな感覚さえ感じる。
ともあれ、ご退職の方々、本当にお疲れさまでした。