自979「日本の文学は浅く、外国の文学は深いと言えます。これは、価値観の問題ではなく、好みの問題です」

        「たかやん自由ノート979」

 8月の朗読会で、浅田次郎さんのエッセーを読んだ。朗読会のメリットは、こういう機会がないと、絶対に読まないような作家さんの短編やエッセーが読めること。まだ、三回しか出席してないが、浅田次郎、山川方男、ルシアベルリン、阿刀田高、森絵都、藤原正彦など、もう6人も、かつて出会ったことのない作家の短編を読んだ。
 ルシアベルリンには、その場で、即座に嵌まった。朗読会で読んだのは「エンゼルコインランドリー店」という割と、おとなし目の当たり障りのない文章だったが、少しリテラシー能力を働かせて、read between linesすれば、作家の闇の部分が、作品の背後にうごめいているのを、はっきりと読み取ることができた。
 単純に浅い、深いと言いきってしまったら、語弊があるが、日本の文学は浅く、外国の文学は深いと、一般的には言えると思う。これは、価値の問題ではなく、好き嫌いの問題。私は、深い文学が好きだから、長年、翻訳小説を読み続けて来た。が、歳を取ると、そういう魑魅魍魎が跋扈している闇の世界は、もういいかなって気になる。
 日本の古典は、全然、深くない。古典は、日本の自然と同じ。古典を読んで、夜、眠れなくなることは、絶対にない。翻訳文学だと、興奮して眠れなくなることは、今でもあり得る。
 今のとこ、ルシアベルリン以外は、夜、すぐに眠ることができる軽いエッセー、短編を、毎回、読んでいる。善良な市民が、コミュニティセンターに集まって来る朗読会では、やはり、そういう人畜無害の当たり障りのない文章を読むってことで、全然、いいと思う。
 浅田次郎さんのエッセーを読んで、浅田さんは、パソコンを使わない、スマホもタブレットも持ってないことを知った。浅田さんは、昭和26年生まれだから、私より三つ上で、71、2歳。ネットでspeedyに下調べをしたりすることはできないが、売れっ子の作家さんだけに蔵書はどっさりある。エッセーの中に「食うものも食わずに蓄えた蔵書が、昨日今日、出現した機材に劣る筈はない」という一文があった。「あっ、確かにそうだな」と、ツボに来た。
 私は退職した教員で、公団に住んでいるので、さして蔵書はない(部屋が狭いので、ここ数年で、三千冊くらいは処分した)。美術方面の画集の類は、割合持っている方だが、本棚の下段に入っていて、その前に単行本や文庫・新書を平積みしてあるので、隠れていて簡単には取り出せない。窓の桟にも、美術集を平積みしてあるので、風通しが悪い、というか風が入って来ない、日当たりも悪い、不健康極まりないと、しょっちゅう妻に文句を言われている。
 ネットに行けば、参照したい画像を、即座に検索できると、一応、理屈では理解できている。が、昭和30年代、昭和40年代に発刊された由緒ある美術集に、昨日今日出現したインターネットのモニター画像が、太刀打ちできる筈がないと確信している。
 6月に3回、市民会館主催のマチスとピカソの講座に出席して、ネット画像は、本物とも画集のそれとも、色が違うということを、きちんと確認した。ネットの画像は、アルゴリズムを使って、勝手に修正していると感じた。私は、絵画のオーソドックスな修復さえ、NGだと思ってる。ましてや、アルゴリズムをやって感じ。
 芥川賞を受賞した『ハンチバック』を読んで、オープニングと結びのエロ小説の部分が、正直、心の底からツマラナかった。チャットGPTがエロ小説を書く事も、無論できる筈だが、それも間違いなくツマラナイと予測できる。ハッチバックの作者には、性交の体験はおそらくないので、すべてネット上の情報をベースにして、エロ小説をお書きになっている。体験のない子供が、エロ小説を書いても、面白い筈はない。ファンタジーは、想像力で書くことが可能だが、エロ小説は、やはり体験の裏付けが必要。ネット上の情報の二次加工だけでは、どうしたって、劣化してしまう。
 ハッチバックの主人公が、精液を飲んだ後、誤嚥性肺炎で苦しむsceneはリアルだった。現実には精液を飲んだりはしてない筈だが、誤嚥性肺炎的な症状を経験したことはあると想像できた。
 一般的に言って、年輩の女性が、精液を飲む場合もあるとは思うが、寡聞にして良くは知らない。ディティールも解らない。が、無理な姿勢で飲むケースが多いと推定できる。無理なポーズを取らされ、無理な姿勢で飲むと、精液が気管に入ることも充分、考えられる。
 私も、つい2、3日前、ほぼ40年ぶりくらいに、スイカをひとかけ食べた。スイカの水分の収め方が解らず、水分が気管に入りそうになりむせた。歳を取ると、モノを食べたり、飲んだりするのも、姿勢をきちんと正して、摂取する必要がある。
 ハンチバックの作者は、誤嚥性肺炎になった時、肺の中にねずみが三匹入り込んで、一匹退治したと思ったら、三匹また新たに増えていて、容易には、根絶できないと書いてあった。私も四回目の肺炎で倒れ時、39度を超える熱が一週間くらい続いて、最後は自己の免疫力で、菌をねじ伏せるしかないと、理解して、薬を飲むことをやめた。薬ではなく、自分を信じた。
 ハンチバックは、早々と単行本も刊行されて、今や人口に膾炙しいる作品だと言ってもいいと思うが、朗読会では、まったく話題にならなかった。私も軽々しく
「精液を飲むsceneは、ヤバ過ぎますよね」などとは言えなかった。部活の合宿の夜のミーティングだったら、それくらいのネタは、気楽にぶちかましたかもしれないが、もうそんな機会はない。
 ハンチバックを読んで、軽々しく、スイカのひときれ、ふたきれを食べたりはしない、声を出すことを怠らず、喉をきちんと鍛えて、誤嚥性肺炎に備えるといった風なことを、改めて決意した。
 エロ小説を書いていると、脳内で、エロを実践しているという当たり前のことも、改めて理解した。私は、毎日、源氏物語を読んでいるが、それは京都あたりの平均的な日本の四季折々の景色を、脳内で再現したいから、動画よりも、私は、文字を読んで、脳内で再現した方が、よりリアルに感じる。エロの場合も、これは応用できるのかもしれないが、残念ながら、エロのすぐれた作品が、自分の周辺にはない。まあそれに、そもそも、エロに対する欲望自体が、枯渇している。エロに費やすだけのエネルギーとお金が、もし自分にあれば、お四国八十八ヶ所を、自分の足で歩きたい。 

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