自#445「ハンニバルが、31歳から44歳くらいまで、イタリアで無為に過ごしてしまったことに、同情しました。30代でやりきっておかないと、人生の帳尻は合わないだろうと思ってしまいます」

        「たかやん自由ノート445」

 31歳で初めてクラス担任になった時、同じ学年団のベテラン女性のN先生から
「ニシモリさん、女の子というのは、自分が一番だと思わせてあげないと、ダメなのよ」と、アドバイスされました。当時は、一クラスに54人くらい生徒がいました。女子は半分の27人です。27人の女子生徒に、それぞれ自分が一番だと思わせるって、「いったいどういう魔法なんだ?」と、思ってしまいました。N先生のクラスの女子生徒をwatchingしてみると、確かに一人一人の女子生徒が「自分が一番、N先生に目をかけてもらって、贔屓(ひいき)されてる」と、信じてるっぽい感じがしました。N先生は、27人を、上手にいい具合に騙(だま)しています。騙されて、別段、生徒は損をしているわけでもありません。実害はなく、女子生徒の各人が、それぞれクラスの中で、生き生きと、役割を果たしています。「N先生マジック」と、私はネーミングしていましたが、自分には、絶対にN先生の真似はできないと、はっきりと自覚しました。
 その後、彼氏が複数いるのに、それぞれに「あなたが一番、大切だから」と、思わせている四つ股、五つ股をかけているような女子生徒に、何人か出会いました。人を騙すすぐれた才能なんだろうと想像できます。私は、別段、道徳を押しつける教師ではないので、四つ股、五つ股が悪いとか、良くないとか、将来後悔するよ、などと忠告したことは一度もありません。ふーん、そうなんだと、その才能にひたすら感嘆していました。
 人を騙したいという欲望は、多分、人間にはあると推定しています。ローマは、植民市、自治市、同盟市などと個別に条約を結び、それぞれ「あなたのとこを、一番、大切に考えてるから」と、騙し続けていたと思われます。ローマは、政治的センスが、非常にすぐれた国家だったと言われていますが、人を上手に騙す才能も、すぐれた政治的センスの中に、おそらく含まれています。
 カンネーの戦いで、7万人のローマ兵を殲滅したハンニバルにとって誤算だったのは、ローマに支配されている自治市・同盟市がローマから離反しなかったことです。所詮、少数のローマのエリートたちの支配です。どこか一画が崩れたら、そこから一気に崩壊して行くと、ハンニバルは単純に考えていましたが、たとえ一個、二個、腐ったミカンがあっても、そのすぐ傍のミカンは、1ミリも腐らず、ぴかぴかだったわけです。これを、騙されている人たちの強さ、逞しさと言っていいかどうか解りませんが、たとえ騙されていても、信じている人間の方が、強いなとは思ってしまいます。
 ハンニバルにとって、第二の誤算は、その後、徹底してローマがハンニバルとのバトルを避けたことです。敵の軍隊が自分が支配している国の中に存在しているのに、それを堂々と、放置したんです。ハンニバルは、攻城機を持っていません。兵站ラインも存在してません。城攻めは不可能です。カンネーで、華々しく勝ったのは、ハンニバルが31歳の時です。その後、14年間、ハンニバルは、放置されます。イタリアの南部のどこかで、14年間も、鳴かず飛ばずだったわけです。軍人は、戦争をしてなんぼです。戦争がなければ、アイデンティティを保てず、無為な時間だけが、過ぎ去って行きます。ハンニバルは、31歳から、44歳くらいまで、無為に過ごしてしまったわけで、正直、これはきついなと、同情してしまいます。
 ナポレオンは、自分の兵隊を置き去りにして、単独でエジプトから脱出を図り、パリに戻って、ブルメール18日のクーデタを起こして、政権を握りました。エジプトに残っていたら、ネルソンにアブキール湾で、船を全部沈められてしまっているので、ジリ貧で、兵士とともに、共倒れになっていました。「一将功成って万骨枯る」です。ハンニバルも、さっさとイタリア遠征をやめて、取り敢えず、兵は置き去りにして、カルタゴノバに帰っていたら、古代史は大きく変貌していた筈です。
 カプアがローマに敵対していて、ハンニバル軍は、カプアで歓迎されます。世上「カプアの歓楽」と後世に伝えられています。カプアは享楽的な土地柄です。カプアの風習になじんで、尚武の気風をすっかり骨抜きにされたと言われています。享楽が目の前にあれば、それを、ただちに危険信号だと察知する才能、センスが軍人には必要です。
 25歳のスキピオは、スペインに乗り込み、エブロ川を渡ります。カルタゴノバを守っていたのは、ハンニバルの弟のハスドリュバルですが、スキピオにあっさり敗れます。スキピオは、カルタゴノバを占領します。ハスドリュバルは逃れて、イタリアの兄の元に行こうとします。アルプスを越えて、ポー河に達したところで、ローマ軍に遭遇して、死亡します。ローマは、ハスドリュバルの首を、ハンニバルに送りつけます。自分の弟の生首といきなり対面する。残酷な戦争のテーゼと言えるのかもしれません。「キングダム」にも、残酷な戦争のテーゼは、そこら中にあふれています。
 スキピオは、カディスを奪取し、周辺の鉱山を手中にします。カルタゴは、繁栄の基盤をローマに奪われてしまったわけです。カルタゴ海洋帝国の命脈が尽き、運命の帰趨は、この時点で、はっきりと見えてしまいました。このあと、スキピオは、アフリカに渡り、カルタゴの隣国のヌミディア王国と同盟関係を結びます。その後、カルタゴに乗り込みます。イタリアにいたハンニバルは、カルタゴ本国に呼び戻されます。カルタゴは、急遽、編成した五万人の傭兵で、スキピオ軍と戦います。スキピオは、イタリアで、ハンニバルの「戦力を非戦力化する」戦術を、つぶさに見ています。スキピオは、ヌミディアの騎兵を使って、ハンニバル軍を取り囲み、完膚なきまでに、カルタゴ軍を非戦力化します。自分が得意とした戦術で、敗北したハンニバルは、複雑な気持ちだったんだろうと想像できます。
 ハンニバルは、セレウコス朝に亡命します。が、セレウコス朝には、本気でローマとぶつかる勢いはありません。ハンニバルは、参謀部の相談役で、いわば飼い殺しです。ビテュニアがペルガモンと交戦中だったので、ビチュニアに行って、作戦指導をします。ビテュニアにローマの使節が訪ねて来て、ハンニバルの身柄を引き渡すことを、要求します。ハンニバルは、毒杯を仰いで、自死します。享年、63歳でした。

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