自#113|勢津子おばさんの青春物語~その6~(自由note)
1年から5年まで、週2時間、修身と云う、今で言うと道徳の時間があります。テキストがあったのかどうかは判りませんが、たとえあったとしても、毎週2時間も道徳の話をする担当の先生は、コンテンツを準備するのが、相当、大変だったと思います。勢津子さんは、教頭先生が精神訓話をされた1、2年の修身の授業は、まったく覚えてないと、率直にお書きになっています。別段、修身に限らず、授業の中身に関しては、よほど印象に残る話でない限り、生徒は覚えていません。3年~5年は、別の先生が、修身を担当されて、「葛の葉」の話が、印象的だったそうです。
安部保名(あべやすな)に命を助けられた白キツネが、失踪した保名の恋人の葛の葉に化けて、保名の前に現れます。二人は結婚して、子供も産まれます。が、失踪した本物の葛の葉が戻って来て、白キツネは、自分の本性を告白し、わが子を置いて、保名のもとを去ります。去り際、障子に「恋しくばたずね来てみよ泉なる信太の森のうらみ葛の葉」と書いて、野分の中を消えて行きます。障子と云うのは、明り障子のことで、白い紙が貼ってあるので、そこに惜別の歌を書き付けたわけです。
この話は、動物が人間に化けたり、恩返しをしたりと云ったことが、もしかしたら本当にあるかもしれないと、たとえ薄々であっても、信じられていたからこそ、realityが存在していたんです。今、こんな話をしても「人とキツネとでは、ゲノムが違う。そもそもネタ的にアウトや」と、子供たちに一蹴されてしまいそうです。昔は、嫁入りした婚家から、子供(つまり跡継ぎ)が産まれると、子供だけを置いて、離縁される嫁が、そう少なくない数、いました。我が子を置いて、子供と生き別れになる悲劇は、それほど特殊なケースでもなかったんです。小学生の時、私の周囲に、そういう子供は2人いました。
勢津子さんは、今で云うところのリケ女です。数学と理科は好きだったようです。数学に関しては、方程式を書いたり、解いたりしていく、そのプロセスに何とも言えない興奮状態が伴って、スポーツをしたあとのような快感があると、お書きになっています。
生物は、当時、博物と云う名称だったようです。博物は、女高師出身の新沼ツネヲ先生に教わります。1年の最初の頃に、メシベとオシベの話があったそうです。花粉が子房に到着して、実を結ぶわけですが、一個の花粉が子房に入ると、あとの花粉はもう入れません。ゼニゴケやスギゴケの受粉は、雨水に流されて起こると云ったことも習います。メシベとオシベは、性教育を意識して、実践された授業です。理科の授業の後の休み時間に、いたいけないJuvenileの女学生たちは、友達同士で、「何故、結婚すると子供が生まれるのだろう?」と云ったテーマでは、話し合います。女学校の1年生では、真相を知っている超おませな女の子は、いなかったそうです(あるいは知っていて、カマトト?)。親にも先生にも、さすがに聞けません。ある日、クラスメートが、「雨の日にびしょぬれの府立二中の生徒と、満員電車の中で、体がぴったりとくっついてしまった。あの人の精子が、私の方に来るのではないかと、本当に怖かった」と、みんなに報告しました。次の生理が無事来るまで、彼女は、びくびくしていたと想像できます。「お父さんやお兄さんが入ったあとのおフロは安全かどうか?」と、これもみんなで、喧々諤々(けんけんがくがく)の議論をした様子です。当時、エロビデオはなかったし、エロ本はあったでしょうが、女学生の手には入りっこないし、結局、野良犬の生態を見たりして、女学校時代のどこかで(多分3年生くらい)みんなで知恵を出して、真相を突き止めた様子です。将来、ほとんどの生徒が、お見合いをして結婚します。どうせ知らなきゃいけないことだし、修身の時間とかに、黒板にイラストを書いて、すぱっと教えちゃえばいいのにと、まあこれは、今の時代だから言えることなのかもしれません(もっとも、今の時代も、寝た子を起こすなと云うことで、性教育は実施されてないんですが)。
勢津子さんは、実験が一番、お好きだったようです。タンポポの根の再生力について、授業で話があった時、自宅に戻って、井の頭線の土手に行って、シャベルを使って、タンポポの根を掘り起こします。その長さは、1メートルくらいあったそうです。生物の再生現象として、上下は絶対に変化しないと聞いたので、それが本当かどうか、確かめるために、根を5センチほどに刻み、上下を逆さにしたり、横にしたりして、植木鉢に植えます。1ヶ月ほど育成させて見ると、どの方角に埋めても、タンポポは、正確に上から芽を出しているのが、明らかでした。これを新沼先生に報告すると、先生は、大きな目を、一層、大きく開いて、黙って勢津子さんの手を握り締めて下さったそうです。
勢津子さんは、4年生の夏休みに、キャンベルを使ってブドウ酒作りにも挑戦します(多分、違法です)。粒をつぶしてビンに入れ、井戸にぶら下げて、15度と云う恒温を保ちます。二週間ほどで、きれいに発酵し、ブドウ酒はでき上がったそうです。5年生になって、日本橋の丸善に行って「活性炭素」と云う本を購入します。ヒョウタンを焼いて、実際に活性炭素を作り出します。活性炭素にすると、微細な孔を無数に持ち、気体や液体中に含まれる物質を吸収する力が、強くなります。物質の脱臭、脱色、精製、防毒などに使用します。活性の度合いは、メチレンブルー(青色の塩基性染料。繊維の生体組織などの染色、酸化還元指示薬として利用。タール系色素で、青色401B号)を使って、判定したそうです。父親は、勢津子さんの実験に協力してくれた様子ですが、母親は、終始嫌な顔をして、掃除、洗濯、裁縫に勢津子さんを、追い立てて、ふた言目には「こんなことをしていたら、縁談に差し支える」と、文句を言ったそうです。が、まあ、実験好きリケ女を求める需要だってあります。家庭にずっと閉じこもっていたお母さんの見識は、ちょっと狭かったかもです。