自#550「現代アートは見ても、意味が分からないんですが、良いか悪いかくらいは、見た瞬間に判別できます。現代アートもチャンスがあれば、見てみたいです」
「たかやん自由ノート550」
現代アートの美術家の長坂真護(ながさかまご)さんのインタビュー記事を、アエラで読みました。私は、現代アートについては、皆目、何も知りません。ピカソの作品は、画集などでひととおり目を通していますが、ピカソが逝去して、半世紀近くが経過しましたし、ピカソを現代アートとは、多分、もう言わないんだろうと推測しています。音楽もアートも映画も、西欧のことは、そこそこ知っていますが、日本のことは、たいして何も知りません。これは、世界史の教師の宿命ってとこも、ちょっとはあります。ですから、今、エドトーの授業を受け持たされて、結構、苦労しています。
Tシャツを着た長坂さんの上半身の写真が掲載されています。背景は長坂さんの作品です。火の球にタコの足のようなものが沢山ついています。意味は分かりませんが(現代アートはイミフのものが多いんだろうと、勝手に想像しています)powerあふれる作品です。少年のように、前髪をげじげじにcutした長坂さんは、表情にも目力があります。信念を抱いて、自己のミッションにchallengeしているアーティストであることは、写真からでも、充分、判別できます。
長坂さんは、子供の頃、母親が家に飾ってあったクリムトの「接吻」のレプリカを見て、衝撃を受けた様子です。2年くらい前に、都美術館で開催されたクリムト展に行って、その混雑ぶりに驚きましたが(会場の入り口のとこで、警備員さんにリュックを前で持つように注意されました。朝の200パーセントくらいの満員通勤電車レベルの混雑ぶりでした)クリムトの絵が持つ官能性というものは、洋の東西を問わず、老若男女が、理解できる普遍的なものなんだろうと、私は判断しています。ホロフェルネスは、ユーディットに首を刎(は)ねられますが、クリムトが描いたユーディットの手で刎ねられるんだったら、まあ、しょうがないかと、男たちは、あっさり諦めてしまいそうです(男は案外と諦めが早い生き物なんです)。
長坂さんは「接吻」を見て強烈に感じた、ドキドキした感情を吐き出したいと思っても、表現の仕方が分からず、小遣いで買った植物や動物図鑑の絵を、ひたすら真似たそうです。なるほど、これがアーティストの卵なんだなと、プチ納得しました。
長坂さんは、福井県の高校を出て、上京し、新宿の文化服装学院に進学して、ファッションを学んで卒業し、ホストになります(ホストになっても、充分、やって行けそうなちょっと甘いマスクをしています。メイクをすれば、多分、perfectです)。年収3000万円を稼ぐ、No1ホストになります。ですが「大義のないお金を稼いでも意味がない」と気がつき、1年半でリタイアします。若い頃って、お金があってこそ、楽しかったりします。お金ではなく、人生の大義、自己のミッションを追い求めようとする姿勢は立派です。親の育て方が、しっかりしていたから、こういう真摯なスタンスで、人生にchallengeできるんだろうと想像しています。
ある人から絵の道に進んだ方がいいと、アドバイスされ、美術学校に行くお金もないので、路上画家になることを決意し、中古自動車にキャンバスを積み、全国を回ったそうです。こういう発想をして、それが実践できる若者は、まずそうめったにいません。絵を描くためには、高校生の頃から画塾に通って、美大に進学しなければいけないと、多分、ほとんどすべての高校の進路担当は、考えている筈です(私だって、普通にそう考えます)。が、ゴッホ、ゴーギャンをはじめ、ちゃんとした美術教育を受けてなくて大家になったアーティストは沢山います。たとえば、ルーブル美術館に行って、過去の偉大な作品を模写するといった訓練は、多分、必要ですが、アーティストには、自学自習でも、才能さえあればなれます。画壇はどこの国も権威主義です。アーティストとしての才能を押し潰されてしまうといったことだって、普通にあります。
長坂さんは、コネもなく言葉も通じない所で、自分の絵が通用するかどうか試すために、ニューヨークに行きます。が、1年半滞在して、500件の画廊に自分の絵を持ち込みますが、どこの画廊にも相手にされなかったそうです。こういう強烈な挫折体験も、アーティストの人生には、きっと、必要です。
ニューヨークの生活を切り上げ、帰国します。たまたま手にした経済誌「フォーブス」に世界のゴミ問題が特集されていて、アグボグブロシーの惨状を知ります。アグボグブロシーは、ガーナの首都アクラの近郊に位置していて、そこには先進国から毎年、25万トンの電子廃棄物が持ち込まれています。広さは、東京ドーム32個分。そこのスラム街で暮らす3万人の住人は、廃材を燃やした金属を売り、一日500円程度の賃金を得ています。が、廃棄物には鉛や水銀、ヒ素、カドミウムなどの有害物質が含まれ、30代で病に蝕まれ、命を落とす人が、後を絶たないそうです。長坂さんは、それまでも、世界平和の希求や、環境問題などをテーマに絵を描いていたんですが、どこか腹落ちしない感覚があって、ようやくその原因が分かったと、語っています。
日本や米国など、安全圏内で活動していた自分は、人間の本当のどん底を知らないと気がつき、飛行機に乗って、アグボグブロシーに向かいます。そこは国際協力機構や青年海外協力隊も入って行かない、危険地域だそうです。空は黒煙に覆われ、悪臭が鼻や喉に絡みつきます。電子機器ごみ投棄場は、地平線が隠れるほどに広がり、ハエや蚊が、目障りなほど飛んでいます。長坂さんは、ガスマスクをつけて、ごみ投棄場に入って行きます。スラムの青年は、長坂さんに
「何しに来た」と訊ねます。
「焼き場の現状を知りたい」と返事をすると、スラムの青年は
「そのマスクを僕らにくれないか。僕らはマスクなしで、作業をしているので、多くは30代、40代で命を落としてしまうんだ。まだ死にたくない。今度来る時、持って来てくれ」と、長坂さんに頼みます。
長坂さんは、次にアグボグブロシーを訪問した時、メーカーと交渉して、ガスマスク80個を寄贈してもらい、それを持参して、約束を果たします。こんなことを、きちんとする人は、普通いません。
長坂さんは、アグボグブロシーから持ち帰った電子機器の廃材を使って、作品を制作しています。一種のリサイクル活動です。廃材の本物を使って制作しているからこそ、作品はオーラを発揮できるんです。アキバで、パーツを買って来て制作しても、パワーは放たない筈です。本物の持つauthenticなpowerというものは、間違いなく存在します。長坂さんは、作品を売って得た収益を、アグボグブロシーに還元しています。まず学校を建てました。次にリサイクル工場をつくろうと考えたんですが、リサイクル工場はIT化が進み、雇用がそれほど、期待できないと分かって、オリーブ農場の運営に取り組み始めたそうです。
本物の廃材を使ったアートの威力というものを、ちょっと見てみたい気持ちにはなりました。