自#585「キリスト教テーマの絵と、ギリシア神話的な絵と、個人的に、どちらが好きかと言われたら、無論、キリスト教テーマの絵の方です。それは、バロック音楽だけでなく、R&Bや黒人霊歌など、キリスト教系の音楽に、より親しんで来たことも、ひとつの理由だと想像しています」
「たかやん自由ノート585」
ニコラプッサンの絵を見ました。ノルマンディーの田舎から、大都会のパリに絵の修行に行ったミレーが、最も影響を受けたのは、ニコラプッサンです。セザンヌも「自然に従って、プッサンを描き直さなければいけない」と、言ってました。フランス絵画には、ルネサンスもバロックも存在してないんですが、バロックはフランドルのルーベンスが、ルネサンスは、プッサンが一手に背負っているんだろうと、私は想像しています。
これまでにも、何度か、プッサンの絵は見ています。今回は、多分、5、6回目のおさらいです。源氏物語は、繰り返し読めば読むほど、中古のスピリッツに近づいて行けるような気がしますが、ニコラプッサンは、何回、見直しても、正直、よく判らない、遠い存在です。ミレーの絵は判ります。理知的にも判りますし、皮膚感覚で把握できたりもします。セザンヌも、私なりのやり方で、理解できています。ニコラプッサンは、つかみ所がないです。デッサンの線を、相当数多く、地道に引いた人じゃないとプッサンには、接近できないんじゃないかとすら思ってしまいます。
印象派の絵などは、展覧会に行って、ちゃちゃっと会場を回って、カタログを買って、帰りにロイヤルコペンハーゲンのティールーム(昔、新宿の伊勢丹にありました。今もあるかどうかは知りません)で、ダージリンを飲みながら、カタログを捲れば、充分、判った気持ちに浸れました。バロックやルネサンスの展覧会などは、そうそう開催されません(ルネサンスのちゃんとした展覧会は、多分、日本では一度も開催されてないと推定しています。昔、モナリザが上野(東京国立博物館)に来ましたが、あれ一枚だけが、出開帳でやって来たという印象でした)。が、とにかく、ルネサンスやバロックには、ちゃちゃっと理解できるような難易度の低い作品は、ほとんど一枚もないと私は推測しています。
小林秀雄は「近代絵画」という評論を書いています。小林秀雄フリークの私は、当然、この本は、何回も読んでいます。小林秀雄が扱っているのは、ゴヤ以降です。ヴェラスケスの「ラスメニーナス」にも触れていますが、その一枚について、ヴェラスケスの超絶巧い職人的な技について語っただけで、バロックに関して、何らかのメッセージを発しているわけではありません。小林秀雄は、ルネサンスやバロックは、敬して遠ざけ、マニエリズムやロココには、まったく興味関心は、なかったんだろうと想像できます。
私は、中学生の頃からミケランジェロが好きだったので、ルネサンスを遠ざけることはできなかったんです。その後、中学時代には、まったく想定してなかった世界史の教師になりました(中学時代は、25歳くらいまで生きているかどうかすら、危ういと思っていました)。世界史の教師が、ルネサンスを避けて通ることは、不可能です。なおかつ、近現代史を先に学習する学校が多いので、高2の世界史の授業は、ルネサンスがオープニングだったりします。そうすると、やっぱり、ミケランジェロ、ラファエロあたりをプレゼンして、ハデにぶちかます必要があります。
世界史の教師になったので、マニエリズムもロココも、ルネサンスやバロック同様、地道に作品を見て、多少なりとも、生徒に語りかけられるオリジナルのメッセージを、ひねり出しました。もし、教師になってなければ、マニエリズムもロココもスルーしていました。私は、ブルボン家やハプスブルク家の栄耀栄華には、さほど興味がないので(そこは、若い女性とは、興味対象のツボが違います)ロココなんて、「下妻物語」の一択で、充分だろうと、世界史の教師でなければ、嘯(うそぶ)きたい気持ちです。
フランス絵画史の中に欠けているルネサンス的な世界を、自分が背負わなければいけないといった自負心が、ニコラプッサンにあったわけでは決してありません。プッサンには、弟子は一人もいません。フランス画壇を毛嫌いし、ずっとローマで過ごしていました。フランスに一時期、帰ったこともありますが、2年くらいで、イタリアに舞い戻っています。プッサンにとっても、「故郷は遠きにありて思うもの」だったわけです。
ニコラプッサンは、17世紀フランスのNo1の画家だと、誰しもが認める筈ですが、王侯貴族のための壁画とか、大聖堂の祭壇画などは、一切、描いていません。そういう大作を描くとなると、現場に赴いて仕事をすることになります。それも嫌だったんでしょうが、そもそも大作を描く時に絶対に必要な、アシスタントが一人も存在してません。リアルタイムの日本の人気漫画家で、アシスタントのいない漫画家は、まずいないと思います。ニコラプッサンは、17世紀最大のフランスのマエストロでありながら、一人のアシスタントも持たず、自分のアトリエで孤高のスタイルを貫き通して、自分の親しい人たちの注文にのみ応じて、額に収まる絵を仕上げていました。
額縁に合わせて、絵を描く、こんなことは、画塾に通っている日本のリアルタイムの高校生だって、普通に知っています。ポンペイのモザイク画などは、床に描いています。床の周囲には、建具や壁、柱などがありますから、空間は限定されてい、額縁的なものは存在しているんですが、床のモザイク画を見ている人は、そういう額縁的な限界には、まったくとらわれず、無限に広がつて行くような、床空間の絵を眺めているんです。古代は、やはり気宇壮大だという感じがします。
ニコラプッサンに関して、私が判らないのは、キリスト教的なテーマと、ギリシア神話的なテーマの二つを、ほとんど等価だという扱いで、作品を描いていることです。正確な秤で計測したかのように、この二つの巨大テーマの重さは、ぴたっと釣り合っています。私は、二人の女性を同時に愛したという経験はありません。もしあったとして、平等に愛することが可能なのかどうか、はなはだ疑問です。イスラムは、最大四人まで奥さんを持つことができますが、四人を平等に愛することは、やはりラクダ針の類いです。私は、部活の顧問をしている時、各学年の幹部を三人選出していました。部長、PA部長、副部長です。カーストもこの順番です。私の信頼度も、この順番で、部長を最も信頼していました。腹心の生徒たちを信頼する場合だって、平等ではなく微妙な差がやっぱり存在します。キリスト教的なテーマと、ギリシア神話的なテーマの両方を、等価で表現することは、あり得ないと私個人は、思っています。が、ニコラプッサンは、その超絶あり得ないことを、みごとにやり遂げています。
ミレーの解説書に、ミレーが尊敬していたニコラプッサンは、ミレーと同じ、ノルマンジーの農民だみたいなことが、書かれていました。ニコラプッサンの故郷は、確かにノルマンジーですが、ルーツは決して、農民ではありません。父親は、後にアンリ四世になるナヴァラ王に仕えたソワソンの名家出身です。貴族ではなく典型的なブルジョワです。17世紀のブルジョワ勃興期のパワーと勢いを感じます。17世紀のオールマィティなブルジョワだからこそ、キリスト教主題と、ギリシア神話主題とを、同等に扱うことができたんだろうと、勝手に想像しています。まあ、これひとつを取り出しても、ニコラプッサンの希有な才能を、完膚無きまでに感じてしまいます。
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